湖畔集落→→沈没したビルの孤児院

一夜明けて

「おはよう」


「おはようじゃねーっつーんだよ。馬鹿野郎」


 昼前。

 暇を持て余した大河がホテル前でたまたま鉢合わせした朱音に挨拶をすると、開口一番に罵倒された。


「な、なんだよ」


「なんだよじゃねーっつーんだよ。馬鹿野郎」


 目の下に隈を拵えた朱音は、不機嫌さを隠そうともせず大河を睨む。

 酒焼けで掠れた声に、セットの行き届いていない髪型。

 充血した瞳に青白い顔。

 

 それは完全に二日酔いであり、寝不足である事を表している。


「なんで朝っぱらから不機嫌なんだアンタは」


「お前っ……自分の胸に手を当てて考えてみろこのっ……」


 朱音は拳を固く握り、ラティメリア・ファミリア戦で見せた表情よりも神妙な顔で怒りに震える。


「な、なんかしたか俺」


「してただろうが明け方まで! あのなぁ! こういうやっすい宿の壁ってのは三軒隣の部屋のテレビの音が聞こえるくらいうっっっっっすいんだよ! それをまぁ、ぱこぱこあんあんいちゃいちゃらぶらぶと太陽が昇るまで乳繰りあいやがって! 悠理が初体験だって知ってたから怒鳴り込むのは流石に我慢したが、お前の顔見たら一気に沸騰したわ! アンタらの声と音で一睡もできず酒を飲むことしかできなかったアタシに詫びの一つでも入れんかい!」


 朱音は大河の襟元を掴んで怒鳴る。

 この可哀想な女は、絶賛彼氏募集中の独り身でありながら、知っている顔の情事の声を聞きながら酒を飲むという拷問のような寂しい夜を耐え抜いた。


 何度か部屋を抜け出して時間を潰そうかとも考えたが、冷え込み始めた夜の空気に身体が耐えきれず、そして異変後の東京には娯楽施設なぞ軒並み閉店して使えなくなっているので、結局は新たな酒を買って部屋に戻り一人で宴会し、我慢できなくなったらまた酒を買いに外に出るというローテーションで夜を凌いだのだ。


「え……?」


「お前、初めての彼女相手にまぁわかりやすく無理させやがって。そうだ、そっちもムカついてたんだったわ。性欲旺盛なのは結構なんだが、あんなにサカらなくてもいいだろう? あぁん?」


「ちょ、ちょっと待って。聞こえてたの?」


「何言っているかまでは分かんなかったけど、盛り上がっているなーとか、そろそろクライマックスかーとか、また盛り上がって──おいおいどんだけスるんだよ若いって怖えーくらいには聞こえてたわよ!」


「ち、違うって! 俺は何回も止めたし、無理だって言ったんだけど悠理が!」


 大河の叫びと同時に朱音は掴んでいた手を離し、何かを察したように顔を曇らせた。


「ああ、あの子かなり溜め込んでたもんね……そっか……」


「な、なんかごめん……」


 苦虫を噛み潰したような表情で居た堪れない空気を出し始めた朱音に、大河は思わず謝った。


「もういいわよ。んで、その悠理は?」


「まだ部屋で寝てる。ちょうど出発を一日遅らせないかって、朱音さんに相談しようと思ってたんだ」


「あんだけスりゃ、バテるだろーよそりゃ……」


 結局、今日一日悠理を休ませる事で二人の意見は一致し、軽い今後の打合せをしてコンビニで昼食を買い、部屋に戻るのだった。


 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


「朱音さん、ごめんね……壁の薄さとか全然考えてなかった……」


 夕方、体調と整えた悠理が、部屋に備え付けられているキッチンで夕食を作っている。


 一緒に夕食を取ろうと大河らの部屋に訪れていた朱音に、悠理は顔を真っ赤にして消え入りそうな声で謝罪の言葉を呟いた。


「あはは……まぁ、もうアタシも忘れたいから……」


 悠理の隣で調理の軽い手伝いをしていた朱音は、苦笑いを浮かべる。


 ちなみに大河は減った食糧をまた補充するために、大工房へと一人でおつかいにでかけている。


「んでどうだったの? 念願の初体験は」


「まぁ……それは……その……痛かったけど……なんか、凄かったっていうか……満足感っていうか……」


 前々から大河の奥手度合いについてある程度相談を受けていた朱音は、悠理が大河への想いを拗らせて身体を持て余していた事も知っている。

 

 付き合いが短い故に二人の関係性について強く言えなかったのであまり良い相談相手にはなれなかったが、それだけに結果は知りたくなるものだ。


「痛いのってさ、回復魔法でどうにかならなかったの?」


「私もそれ気になってさ。一回試してみたんだけど……」


「だけど?」


「あの……魔法だと新しい傷って判断されちゃうみたいで、戻っちゃったの……」


「戻っ……? ああ! なるほど! えっ!? つまりあんた、二回も処女を──っ!」


 驚くと共に、朱音は戦慄している。


 数少ない自分の経験と照らし合わせても、幾ら大好きな男との情事といえど、あの痛みを二回も味わうのは正気の沙汰ではない。


 しかも一夜に二度、更には間隔を開けずに。


 隣で包丁を握る大人しそうな年下の女の子の、その愛情の深さと執念に、背筋にうすら寒いモノが爆走した。


「いや、自分でもちょっと引くなぁって。大河は気を遣って何度も止めてくれてたんだけど……」


「アンタが止まれなかった……と」


「うん。嬉しさと心地よさの方が……上回っちゃって……」


 興奮が痛みに勝り、変な分泌物が脳内を駆け巡ってしまった。


 思い起こせば、リードしていたのも催促していたのも、そして積極的だったのも全て悠理だ。


 一夜明けて我に返ってみれば、消え入りそうなくらい恥ずかしく、そしてはしたない事をしたと悠理は反省している。


「ま、まぁ……アイツはそれでも全部受け入れてくれたし、満足してくれたんでしょ?」


「満足してくれたかはちょっと……私が体力使い果たして疲れて眠っちゃう寸前まで、まだ……あの……元気、だったし……」


「ま、マジか……アイツ、見た目に寄らず絶倫であったか……」


「でも……嬉しかったなぁ……」


 さっきまで恥ずかしさで紅潮していた悠理の頬が、今度はまた違う理由で赤らんでいく。


 包丁を操る手を止め、頬に手を添えて記憶を反芻し、そして意識を少し遠くへと飛ばしている。


「……へーへー。幸せそうでなによりですよっと」


 そんな悠理を見て、寂しい我が身を僻んだ朱音が、拗ねて唇を尖らせる。


 そんな甘酸っぱく朱音に優しくない女子トークは、大河が戻ってくるまで続いた。

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