『好き』の気持ちに雨が降るまで

みやび

ep.1 恋、運ぶ雨



 四月、雨の帰り道。



 通りかかった公園で宮坂みやさかうみは、クラスメイトの北原きたはら明日花あすかを見つけた。


 二人は同級生。この春同じ学校に入学したばかりの、高校一年生である。



「……北原?」


 傘を反対の手に持ち替えながら海が声をかけると、


「宮坂……?」

 制服のままベンチで俯いていた明日花は、目を丸くして立ち上がる。


「な、なんでっ……」

「いや、そこ僕ん家だし……」


 サイドテールの茶髪。短いスカートからはすらりとした脚線が伸びて。

 ――でもその眉根を寄せた表情は、陽キャと呼ばれるには弱々しく、

 不安を帯びて揺れる瞳に気付いた海は、思わず息を呑んで口を噤む。




 表通りから一本入ったこの道を通る人は決して多くない。

 だからこそ彼女はこの場所で佇んでいたのだろうけれど――


 隣が同級生の家であることは誤算だったらしい。


 驚いた顔で、海を見つめている。




「……なんでもないから」

「……」

 ふいに目を逸らす明日花。


 その顔がなんでもあることは、普段彼女と関わりのない海でも、すぐにわかった。


 でも誰にでも、触れられたくない悩みはある。


 ――だから海はただ、何も言わずに傘を差し出した。



「あした返してくれればいいから。風邪、引くなよ」

 自宅はすぐそこだし、玄関に傘はいくらでもある。


「悪いよ、そんな」

「いいって。別に恩着せたいわけじゃないから心配すんな」



 そのまま海は、彼女の目を見ずに背中を向け歩き出して。



「――宮坂、」

「ん?」

「……ありがと」



 明日花の見せた素直な微笑みに、ふといたずらっぽく口の端を上げた海は、


「無理すんなよ、」

 とだけ告げて、家のドアをくぐった。



 二階の自室で部屋着に着替えてカーテンを開ける。


 彼女が去った公園にはもう人影はなく、虹がかかった空の下、陽の光を映した水たまりだけが、きらきらと瞬いていた。



     *


「で、」

「ん?」

「なんで北原が僕ん家でゲームしてんだ?」



 次の日、その姿は彼の部屋の中にあった。



「いいじゃん、宮坂やさしーんだもん♪」

 そう口にしてにかっと笑う明日花。


「ほら、よそ見してると倒しちゃうゾ?」

「ぅおっ、と、負けるか――」


 画面を飛び交う銃弾。


 FPSをプレイしているのだが、彼女は初プレイ。

 その割には筋がいい。


「このこのこのっ……、」

「ちょ、北原ちっか……っ、、」


 ただ一つ難点であるのは、プレイに熱中すると身体が動くタイプだということだ。

 おかげで肩と肩が触れ合い、宮坂は画面に集中できない。



 至近に迫る横顔。鼻腔をくすぐる華やかな香り。



 そして、制限時間終了間際、無防備に彼女と戦場でエンカウントした海は、


「――隙ありっ!」

「しまっ……っ!」

 ドガガガ! とアサルトライフルを撃ち込まれて、操作するキャラクターが頽れる。


「負けた、だと……?」


 その衝撃はしかし、


「やったー!」「ッ⁉︎」――刹那、

 飛び込んできた明日花の柔らかな感触に――全て塗り替えられてしまう。



「――ひゃっ⁉︎ ご、ごめんよ宮坂! だいじょぶ⁉︎」


 床に背中から落ち、次いで聞こえた明日花の声に海は我に返る。


 ――クラスメイトの女子に、押し倒されている。

 人生で初めてのシチュエーションに、頭がパニクって言葉が出てこない。



 鈍痛の走る背中を重力に引かれながら、


 天井を背景に慌てた明日花の顔の熱が、間近に伝わって。



「宮坂、」


 甘い吐息が鼻先を撫でて、瞬間、



 ――彼女の艶めいた唇が、ほんのりと紅を差す。




 海の身体の内から、ドキドキと響く心臓の音が、高揚と焦燥を駆り立てて。



 ごくりと唾を飲み、明日花の目が潤むのを認めた刹那、

 顔の熱を自覚した海は、口元に意識を向けつつ、ぎゅっと瞼を閉じて――




(――ガチャ、)

うみにぃ、お茶〜……」



 刹那、部屋の入り口から声。

 直後、その声の方からガシャン、とガラスが割れるような音がする。たぶんギリ割れてないが。


「は、」と我に返った海は、扉の方を仰ぎ見る。

 聞き間違いでなければ――妹の声。毛先を踊らせたショートカットの似合う、お年頃の中学三年生。


「あ、え? 海にぃ……?」


 腰が抜けてへたり込む妹。

 セーラー服のプリーツスカートの上で、グラスからこぼれたお茶がトレイに溢れて――



「――ぉ、お母さん‼︎ 海にぃが彼女とイチャイチャしてる〜!」

「なッッ、こら誤解だってすず!」

 階段を駆け下りていく妹の涼を、海は慌てて追いかける。



「あああああたしは宮坂と一体ナニを……⁉︎


 残された明日花は取り残された部屋の中で、一人顔の熱と戦っていた。



 ――――――――

 ――……

 ……



 その後、誤解はどうにか解けたものの。


「どぉ、明日花ちゃん?」

「おいひーです♡」

「ほんとぉ? どんどん食べてねぇ♪」

 海の母の誘いで夕食をともにすることになった明日花は、すっかり宮坂家に認知されていた。


「っ、海にぃは渡さないんだから……」

 特にに。

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