第38話 イジュ
雨が降っています。
梅雨が明けて初夏。
午前中だというのに薄っすら暗い。
けれど暑い日です。
「イジュ? イジュ?」
さっきからイジュの姿を探しているのですが、見つかりません。
家にも、畑にもいない、となると。
きっとあそこでしょう。
私はフードの付いた聖衣を合羽のように羽織ると、イジュの姿を求めて、幼いころに使っていた『秘密の隠れ家』を目指しました。
私はクヌギ村の村長となりました。
男爵としての領地にクヌギ村も加えられるなど慌ただしく事は動いていきましたが、面倒なことは全て執事に丸投げしましたので、私の生活は落ち着きを取り戻しています。
忙しいのは、むしろイジュの方です。
秋を目途にしてクヌギ村での薬草栽培が本格的に始まる予定になっているからです。
クヌギ村の土地は、薬草栽培に向いていました。
でも商売をするとなれば、大規模に栽培しなければいけません。
そうなればイジュひとりでどうにかなるものではなくなります。
両親をはじめ村の人たちの手も借りなければいけません。
そのためは準備が必要です。
荒れ地を開拓するにせよ、今まで使っていた畑を使うにせよ、それなりの手間がかかります。
予算についてはエリックさまが協力を申し出てくれましたし、私の方で調達することも可能です。
ですが、薬草栽培を軌道に乗せるには、実際に栽培方法の分かる人が必要になります。
その役目を担うのがイジュです。
ところが、ここで問題発生です。
イジュは私との結婚で、聖女の夫であり、男爵・村長・領主の配偶者、という立場になりました。
これが嫉妬を買ってしまったようで、イジュのことを孤児だとか色々と陰口を言う人たちが増えてしまったのです。
イジュには薬草栽培を進める役割と、嫉妬に立ち向かう強さが求められることとなり。
どうも最近、お疲れ気味なようなのです。
「やっぱり、いた」
イジュは村の外れの森の入り口にある、木と木が傘のように重なり合っていて雨の当たらない場所にいました。
木の根元には、寄り添えば子ども二人がすっぽりと収まる隙間があります。
小さな頃に使っていた隠れ家です。
大人になって体の大きくなったイジュにとっては、背中を預けられる程度の隙間しかありません。
彼は木の根を椅子のようにして足を伸ばして座り、空を見上げていました。
「イジュ」
私が声をかけると、イジュは空を見上げたまま、つぶやくようにいいます。
「アマリリスは凄いな。簡単にオレを見つけてしまう」
「ふふ。見つけられたくなかった?」
「そんなことはないけど……」
私がイジュの横に腰を下ろすと、彼はそう言いながら膝を抱えました。
「アマリリスは凄いから……」
膝の上にアゴを乗せてつぶやくイジュは、子どもの頃のように心許なげに見えます。
「どうしたの? 私は私よ。凄くはないでしょ」
「いや、アマリリスは凄いよ……」
イジュはどうしたのでしょうか。
心の内を探りたくても、視線を合わせてくれません。
「聖女で、男爵で、クヌギ村の領主さまで……村長だ」
「イジュは、その配偶者でしょ? だったらイジュだって凄いことになるわ」
どうしましょうか。
イジュはちょっと落ち込んでいる様子です。
「いや、オレは、……オレは情けない男だから……」
「イジュが情けない男なら、世界に情けなくない男なんていないわ」
私が声をたてて笑ってもイジュが乗ってくる様子がありません。
どうしたのでしょうか?
「魔獣が出たとき、オレは足がすくんで動けなかったし」
「そんなことはないでしょ?」
魔獣が出たとき、イジュはいい感じの棒を持っていました。
敵わなかったとしても、足がすくんで動けない、なんてことはありません。
「今回のじゃなくて、前回の」
「あっ……」
イジュが言っているのは、十二年前の時の話です。
両親を亡くした時の……あの時のことです。
「オレは両親を助けられなかった。魔獣に喰い殺されていくところを見ているしかなかった」
九歳の少年には残酷な光景です。
「それに……アマリリスのことも、守れなかった」
え?
私を守れなかった?
「オレはアマリリスを守らなきゃいけなかったのに……」
イジュは、私のことを守るつもりでいたの?
十二年前の、あの時に?
「守るどころか、守られて……情けない男だよ……」
いえ、普通の人に魔獣の相手をするのは無理です。
情けないとか、そういうことではありません。
なのに、イジュは私のことを守るつもりでいたの?
「お前なんか『孤児』のくせに、と言われるたびに思い出すよ。あの時の情けない自分を。オレは両親のことも、アマリリスのことも守れなくて……」
いえ、そんな。
そんなことは、イジュが気にするようなことではなくて……。
え?
イジュは、他人の言う『孤児』という言葉に対して、そんな形で傷ついていたの?
守れなかったことを悔いて、傷ついていたの?
九歳の男の子に、魔獣の相手なんて無理です。
誰もそんなことを責めていないし、責めさせちゃいけないのに。
イジュは、そんなことで自分を責めて……。
「村の人たちに『孤児』って言われるたびに、こんな自分がアマリリスにふさわしいだろうか? って、思うんだ……」
細かな雨粒が、木々の隙間から霧のように落ちてきます。
イジュの雨に濡れた頬には雫が幾筋も流れ。
雨粒なのか、涙なのか分かりません。
「私は、あなたがいい」
気付いた時には、言葉が先に出ていました。
イジュは正面を向いたままです。
隣にいる私には横顔しか見えません。
「私は、あなたがいいの」
イジュの耳に、私の言葉は届いているのでしょうか?
あなたの心に私の思いが、届いていると良いのに。
ここにあるのは私が寄り添っていい魂。
その魂が入った体。
私は彼の隣で生きて良い。
なんとなく、そう感じました。
許しを与えるのは神でもなく、周りの人々でもなく、自分自身。
だから私は自分を許し、あなたと一緒に生きていく。
「ねぇ、イジュ。私、赤ちゃんができたみたい」
跳ねるようにしてこちらを振り向いた時の、あなたの表情を私は一生忘れない。
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