序章

騎士団の帰還

 今日も、血にまみれたあの人が帰ってくる。


 開門と同時に、帰還を告げるラッパの音が鳴り響く。


 煌々と降り注ぐ日差しのなかを帰還したのは、神聖騎士団エルナイトの誉れ高い騎士たちだ。


 精霊の領域に人間が作った騎士の国、ユグドラシエルを守る要と称される神聖騎士団。まず目に付くのが、その圧倒的な体躯の良さだ。


 一般市民とはあきらかに違う。古参の老兵から若者まで、精鋭をよりすぐった騎士たちは皆気骨稜々としていて、多くの戦場を経験した者特有の、多少の物事には動じない余裕と気概を感じる。


 その中心にいるのが、ユグドラシエルの南の地、ゼノンを預かる城主であり騎士団長のイエル・ギルベルト・ラシエルだ。


 ゼノンを囲む城壁の正面にある高い門をくぐると、まず町が見える。


 遠征から帰還した騎士たちに、祝祭に乙女たちの持つ色とりどりの花びらが上空の出窓からまかれ、城へと続く石畳の街道へ華やかに降り注ぐ。


 重厚な騎士たちの帰還にわく民衆の熱気と、年頃の乙女たちの熱い視線。歓喜に満ちたにぎやかな人々の間をいく騎士たち。


 そのなかでも特に名声を浴びて乙女たちの熱い視線の多くを占領しているのが、この男、イエル・ギルベルト・ラシエルになるのだが……


 ──まったく、仕方が無いとはいえ。色目を使われているのを見ることになるのが、これの難点だな。


 イエルの義兄弟である私、ゼトス・ホルストは小さく嘆息たんそくを漏らす。


 帰還したイエルを迎えるゼノンの風景。歓喜する人々の声は、窓の外から伝わり。それらの光景を映した水晶球を目にしている私の元へも届いていた。


 ザッと規則正しく配列を組んだ配下の騎士たちを後方に従え、乙女たちが祝祭の花まく石畳の街道の先陣をいく、圧巻の美丈夫。


 その精悍な顔つきは、騎士の気品と獰猛さを兼ね備えている。


 筋骨隆々の鍛え上げられた見事な肢体に、金髪碧眼の彫りの深い整った顔立ち。


 短い金髪に生える青い瞳は、緑の要素が強く、エメラルドグリーンの海を連想させる。


 ユグドラシエルは広大な土地と豊富な資源で有名な国だが、なかでもここ、南の領土であるゼノンは特に沿岸からくる物資の流通も多い。海を背に、前方を山々に囲まれ、回りを城壁で囲んで防御された鉄壁の守りを誇る城郭都市。大陸でも稀に見る難攻不落の要塞である。


 海岸部には友好的な海の民である人魚も姿を現す。街商も活発で、そこへ集まってくる人々や諸外国との貿易による取引を、重要な収入源としている。


 ゼノンには多民族や多種族がたくさん行き交っているが、なかでもイエルの瞳はとても珍しい色だ。ゼノンの海岸部グリーンオーシャンのように緑がかった美しい青は、まさにこの地を統べる領主としてふさわしい色といえるだろう。


 ちなみにグリーンオーシャンは別名「凪の海」と呼ばれ、いついかなるときも精霊の加護によって波が荒れることはない。


 穏やかにゆれる水面みなもは透き通り、人々の心を癒すと同時に、たくさんの富をもたらす。精霊の加護を受ける土地として、大陸でもゼノンは聖地と呼ばれている。


 そんな恵まれた土地にあって、天然の難攻不落の要塞とも思われがちなゼノンだが、実は元々内陸部にあり。海岸から離れた陸地の、四方が見渡せる場所にあった。


 けれどそれは同時に、諸外国に狙われやすいということだ。


 その狙われ放題だったゼノンの居住区域を丸ごと移動させ、現在に続く強固な砦と安定した住処を一から築き上げたのが、当時、ゼノンの領主であったイエルの父ラキスであり。そのラキスに移転を提案したのが、息子のイエルだった。


 ラキスは息子からの提案を受け入れ、わずか一年で移転を実現させてしまう。


 これは、イエルがまだ十五歳だったときの話である。


 とはいえ、人の欲望には限りが無く、際限なく争いは続いている。精霊の加護を受ける土地を欲しがる国は多く、争いが絶えることはない。その度、イエルはゼノンを守るため前戦に立ち、遠征に駆り出されているのだから。


 そんな人間の義兄弟に何故私がなれたのかというと、私の母アーダ・ホルストが当時ゼノンの領主であったイエルの父ラキス・ギルベルト・ラシエルと再婚したからである。


 今より千年も昔、精霊の領域に人間が作ったことから精霊都市とも呼ばれるユグドラシエルにおいて、精霊の血をわずかにだが引く一族であるホルスト家は、特別な家系とされており。


 精霊を信仰するユグドラシエルにおいて、王侯貴族から市民に至るまで、ホルスト家はとても重要視され、大切にされている。


 むしろ大切にされすぎて、祭事などの重要な式典以外で外に出ることは滅多になく。籠の鳥のように扱われている。ホルスト家を軽視する輩は、そういない。


 イエルの一族、ラシエル家はユグドラシエルに古くからある四大貴族の内の一つに属する。生粋の大貴族であるラキスの再婚者として、アーダの家柄も申し分なく、祝福された二人だ。


 ラキスは家督をイエルに譲ると、夫婦揃って城から離れた場所にある別邸へ移動した。ゼノン領内にはいるが、今では滅多なことでは訪ねてこない。


 二人はかなり夫婦仲が良く、一緒に旅行に行くなど隠居生活を満喫しているらしい。それはなによりと、私も二人の子として安心している。


 そうして私は成人する前に、城に残された。今は二人の代わりに未成年の私の保護者となった、イエルと共に城で暮らしている。


 元来、内気で根暗。かつ、引きこもり体質な私にとって、籠の鳥であるホルスト家の人間でいることは、好都合でもあった。窮屈と思うこともなく、たまに外の空気が吸いたければ屋敷の中庭で事足りるくらいに、この巣ごもり暮らしが自分の性格にもあっているからだ。


 一方の勇猛果敢な騎士たちの取りまとめ役であるイエルは、人々からは守護者と称えられ、配下の騎士からの信頼も篤く。イエルは流血騎士団長ブラッドジェネラルと呼称され、絶大な人気を誇っている。


 十七歳の私よりも五つ年上で二十二歳のこの男は、同じ十代の頃より先陣を切って敵地へ飛び込み、退却を余儀なくされる場面では常にしんがりを務める。


 戦いが生き甲斐のような男と、読書や水晶球から見る外の世界で満足している私とでは性質が正反対だ。


 お陰でイエルは見目麗しくもがっしりとした巨体の、金髪碧眼の美丈夫へと成長した。


 それに比べて私は……どこにでもいるありふれた黒い瞳に腰まである長い黒髪。外出はほとんどなく、筋肉のあまりついていない細身で色白の肌。体力も当然あまりない。


 背丈は平均並みのはずだが、長身のイエルの隣に立つと頭二つ分ほど低い。その上、根暗な私とでは比べるまでもない。イエルは私とは正反対の、まるで夢のように眩しすぎる男だ。


 なのにイエルが未だに結婚せずにいるのは、きっと私の保護者役を担っているからだろう。


「騎士の見た目に反し、中身は完全な肉食系の好戦的な男だがな」

「ゼトス様?」

「といっても義弟にはいつまでも甘いのが、この男の欠点だ」


 呟き、自嘲気味にクスッと笑った私に、ホルスト家に生まれたときからずっと執事として傍に仕えているオウルが、優しげな茶色い目をパチパチさせた。首をかしげている。


 彼は整った身なりに白髪混じりの茶髪を後ろへ撫でつけた、いかにも品の良い老夫だ。


 話をしながら水晶球を眺める。


 すると──


 水晶球に映るイエルのエメラルドグリーンの瞳が、気づいているようにこちらへ向いた。イエルには精霊力がない。私が水晶球で見ているなどわからないはずなのに……


 チッ、本当に勘の鋭い男だ。


「いや、なんでもない。そろそろいくか。オウル、出迎えの準備を」

「かしこまりました」


 心得て頭を下げたオウルは、とても優秀な執事だが、実は涙もろい。優しいおじいちゃんといった印象が強いけれど、普段はこうしてキリッと頼もしく、とても好感が持てる。


 人付き合いの苦手な私を、オウルは理解してくれる数少ない人間だ。


 気立てもよく、私にとって、まるで本物の祖父のような大切な存在でもある。


 ──ああ、そういえば、あと半年で十八の成人を迎えるからと、母上からまた結婚の話が出ていたな。


 全部断っているが、実はホルスト家は十八で成人すると男でも子孫を残すために妊娠できるようになっている。お相手は女だけでなく男も含まれていたけれど、そういう家系に生まれた手前、特に男女の違いに私もこだわりは持っていない。


 ホルスト家は縁談については特におおらかで、基本的に恋愛自由主義だ。だからだろう。籠の鳥でも皆伸び伸びとしていて幸せそうなのは。


 まあ、私は一生結婚などするつもりはないからな。関係ないが……


 お一人様を満喫して、最後は寂しく独りで死んでいくのもいい。


 恋愛自由主義の家系といっても、どうせ想いが叶うことはない。本命であるイエルには、私はとっくの昔にこっぴどく振られているのだから。

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