Okinawa 温情

 いつものように扉を開き、カランカランと鈴の音を鳴らす。しかし待っていたのは義姉の軽蔑とも取れる視線だった。

「何をしに来たの?」

 愛子の低く、冷たい言葉が刺さる。その手は開店準備のためにコップやカウンターを綺麗に拭こうと忙しく動いている。午後7時。2時間後の開店に合わせ、そろそろ送迎の準備を始めないといけない。

「いや、送迎の仕事に」

「必要ないわ」

「必要ない?」

「そう。あなたクビよ」

 愛子は佐倉の目を見る事なく言った。それは驚くほどあっさりとした解雇通知だった。

「仲間さんから連絡があったわ。河村さんの娘さん、昨日の大学の火事の際に亡くなったらしいわね」

「あぁ。目の前で撃たれて死んだ」

「それであなたは手を引くことに納得しているのよね?」

 何も言い返せなかった。一向に目を合わさず話す愛子の冷たく淡々とした口調は、言うまでもなく佐倉への怒りを表している。

「帰りなさい。送迎は他の人間を雇ったわ」

「雇った?」

「そう。それと年内で荷物をまとめてマンションも出て行きなさい。もう解約手続きもしたから」

「え?」

「自分の弟がこんな骨の無い男とは正直思わなかったわ。片親とはいえ姉弟きょうだいと思いたくない。早く出て行きなさい」

 厳しい言葉とは対照的に愛子の手は淡々と開店の準備を進めている。もうそこには乾いた、虚しい空気しか流れていなかった。


 部屋に戻った佐倉はコンビニで買って来た缶ビールをビニール袋から取り出した。フタを開け喉に一気に流し込む。一本、また一本と浴びるように呑んだ。自分が抱えている感情が怒りなのか、哀しさなのか、虚しさなのか、佐倉自身わかっていなかった。

 気晴らしにテレビをつけても大学の火事とパリでの桐谷殺しの一件が全国ニュースで流れているのが目に入り、すぐに電源を切った。佐倉は大きくため息をつきソファに横たわった。


 目覚めたのは訪問者のチャイムの音だった。腕時計を見ると朝の7時。重い体を起こし玄関へと向かう。ドアスコープを覗くとそこに立っていたのは意外な訪問者だった。

「おはようございます」

 ドアを開けるとそこにはリランの従業員である真琴が立っていた。従業員の中でも1番若い20歳で国立大学に通っている。真面目すぎるその性格は、将来弁護士になることを目標にしながらも、社会勉強の為にとリランのドアを叩いた女の子だ。

「どうした?」

「あ、あのこれ作って来ました」手には布に包まれた四角い物を持っている。

「作って来た?何これ」

「朝ごはんです。お腹空かせていると思って」

「誰の指示?」

「いえ、誰の指示でもありません。ごめんなさい、勝手なことして」

「どうして急に」

「あの…、昨日ママから佐倉さんはクビにしたって聞いて」

 言いにくいことを平気で口にするのも社会経験の少なさからなのか、それとも天然なのか。しかし佐倉は真琴のことを昔から買っている。社会勉強とはいえ夜の仕事。男どもの酒の相手は想像以上に辛いものだ。彼女が出勤して初めての日、酔っ払った客にお尻を触られて閉店後に泣きじゃくっていた姿が思い浮かぶ。それでも彼女は辞めなかった。そこで辞めたら逃げになると勝手な解釈をしたらしい。嫌なら辞めればいいのにと思っていたが、いつの間にか店の中でもその天然さと素直な性格で客から人気者になっている。

 テスト前には愛子に許可を得て、店の中で昼間や出勤前に勉強もしている。

「あの勝手なことをしてすみません。私、帰ります」

「いや、ありがたく頂くよ」佐倉は真琴から弁当を受け取った。

「それでは私、学校がありますので。食べたら弁当箱は捨ててください。失礼します」

 真琴は深々と頭を下げ去っていった。


 真琴だけではなく夜には別の訪問者が現れた。

「早く開けなさいよ!」

 ドアチャイムがあるにも関わらず扉をドンドンと叩いてやって来たのは、これまたリランの従業員の恵だった。

「何?」

「何じゃないわよ!これ!弁当!」

「弁当?」

 突き出して来たのは真琴の時と同じく丁寧に布に包まれた四角い箱らしきものだった。

「わざわざ作って来たのか?」

「そうよ」

「仕事はどうした?」時計を見ると針は店の開店時間となる21時を過ぎている。

「今から行くに決まっているじゃない。この格好見たらわかるでしょ」

 確かに恵の格好は、これまで何度も目にして来た出勤時に身に纏うドレス姿だ。終始、刺々しい攻撃的な口調で恵は話し続ける。

「子供の夕飯ついでに作って来たのよ。じゃあ私行くから」

 恵はシングルマザーで幼い幼稚園の娘がいる。仕事の時は両親に娘を預けており女手一つで子供を育てている。強い女だ。


 その日から佐倉の部屋には朝は真琴が、夜は代わる代わるリランの従業員が弁当を持参して訪れるようになった。

 ピンポーン。チャイムを鳴らした3人目の訪問者は25歳でリランの中では中堅の恭子だった。

「はい、これ」

「弁当?」

「そうよ。ちゃんと食べているの?」

「皆さんのおかげで、なんとか栄養は取れているよ」

 年齢が従業員の中でもちょうど中間にいることもあって、みんなのバランサーになっている恭子らしい気遣いの言葉だった。

「お店の雰囲気はどう?」

「特にこれといって普通よ。お客さんがいる時は」

「いない時は?」

「最悪ね。ママの機嫌の悪さが身体中から満ち溢れていて店の中を充満させているわ」

「原因は俺か?」

「他に何があるのよ。とにかくご飯はちゃんと食べなさいよ」


 4人目の訪問者はチーママの聖奈。

「ゆうちゃん、大変だったわね」

 ママの愛子と同じく佐倉のことを「ゆうちゃん」と呼ぶ聖奈は愛子の学生時代からの同級生で、佐倉と愛子の複雑な家庭環境を知っている唯一の従業員。愛子からの信頼も厚い。愛子が中学を卒業して進学せずに夜の道に飛び込むと言った時も、側で常に支えていたのが聖奈と聞いている。

「火事に巻き込まれたって本当?怪我はしていないの?」

昔から佐倉のことを知っているせいか、母親目線で聖奈はいつも佐倉に接してくる。

「特に怪我はしていないよ」

「なら良かった。愛子に言いづらいことがあったら遠慮なく私に言うのよ」

 聖奈が持参した弁当は、リランの中でも一番の料理上手というだけあって栄養バランスの取れたものだった。


 5人目にやって来たのはリランの中で一番客から人気のある智子。

 年齢は恭子より1つ下の24歳。その美貌目当てにやってくる客は多く、佐倉は智子が店の経営を支えていると常々思っている。本人は至ってマイペースな性格だが、まさか彼女が他の従業員と同じように部屋を訪れてくるとは思っていなかった。

「これ、作って来ました」他の従業員と違って智子が持って来たのは小さい四角い箱だった。

「これは?」

「お菓子。たまに作るから。良かったら食べてください」

「あぁ、ありがとう」

「お口に合わなければ捨ててください。それじゃ」

 リランの中でも一番掴みどころがない。と言っても佐倉も積極的に他人とコミュニケーションを取る人間ではないので、彼女のような距離感が働いていて一番楽な存在だ。

 箱の中を開けると小さなメッセージカードと手作りのチョコレートが入っていた。一口頬張る。美味い。二つ折りになったメッセージカードを広げるとそこには小さい文字で〈メリークリスマス〉と書いてあった。

 そのたった一行の文字が、佐倉に優しく温もりを与えてくれた。

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