Okinawa 急転
「それで桐谷杏奈の身辺調査でお前はどこまでわかったんだ?」
桐谷杏奈。河村杏奈は偽名を使って具志堅知事の孫娘の家庭教師を行っていたのだろうか。それにしても桐谷という名字はつい最近どこかで聞いたことがある。
ふと顔を上げると仲間が刺すような目で佐倉を見ていた。その目は幾多もの修羅場をくぐり抜けて来た鋭さのある刑事の目になっている。
「おい、聞いているのか」
「あぁ、聞いている」
「じゃあ答えろ。どこまで知っている?」
「情報交換が条件だと言っただろう。刑事が揃って何が起こったんだ」
「お前には関係ない。答えないと公務執行妨害で県警に連れて行くぞ」
「そんな昔の刑事ドラマみたいなこと言うなよ。まぁいい。最低限の情報だけ教えてやる。俺は店のある客から、ある女性の身辺調査を頼まれた。その女性がその桐谷杏奈だ。いろいろ訳あって依頼は打ち切りになったが、これまたいろいろあって俺個人の思いで調査を続けている」
「本当かそれは?」
「こんな可愛げの無い嘘ついてどうするんだよ」
特に意図があったわけではないが、佐倉は依頼の対象が桐谷杏奈ではなく、河村杏奈名義ということは伏せた。
仲間が顎に拳をあてて黙り込む。いろいろと頭の中で整理しているようだ。
「まだ他に何か知っているような感じだな」
「知っていてもあんたが話さない限り、もう喋んないよ」
「誘拐だ」
「は?」
「知事の孫娘が今日誘拐されたんだよ」
あまりにも突拍子の無い仲間の言葉を、佐倉は一瞬で理解することが出来なかった。
「学校帰りに何者かに連れ去られた。19時頃に犯人から家族に連絡があり、その後、警察が通報を受けた」
「誘拐…」
「あぁ。まぁ誘拐事件というのは知ってのとおりデリケートだ。犯人に警察の動きが知られるのはマズい。だから警察も最小人数しか来ていないよ」
「犯人からは何か要求があったのか」
「いや、電話が一度かかってきて知事の娘、つまり女の子の母親が対応したんだが『娘を預かった。また連絡する』とだけ伝えて電話を切ったそうだ。それ以降、何の連絡も無い」
「電話の声は男?それとも女?」
「機械的な声だったらしい。ボイスチェンジャーでも使ったんだろう」
「知事の孫娘を誘拐か」
「あぁ。マスコミにでも漏れたら偉いことになる」
「でも誘拐事件っていうのは事件解決の為にマスコミと警察が紳士協定を結んでいるんだろう?」
「一応はな。でも半年後には知事選が控えている。万が一、対抗馬の支援者の耳にでも入れば具志県知事が犯罪者のターゲットになっているだとか、なにかにつけて格好のネタになるものだ」
「選挙に勝つためとはいえ、そんな下衆い人間がいるかね」
「権力欲のある人間と言うのは、その権力を手にする為なら手段は選ばないもんだよ」
「なるほどね」
仲間の言葉は妙に佐倉を納得させる。リランに来る客を見ていると、酒のせいか出世や名誉しか頭にないような人間をたくさん目にすることが出来る。
「さぁ。桐谷杏奈の情報を教えろ。場合によっては今回の誘拐事件と関係があるかもしれないからな」
関係あると見て間違いない。偶然にしては出来すぎている。佐倉は河村修一の名前を伏せたまま、リランでの身辺調査の依頼からショッピングセンターで杏奈に煙に蒔かれた一連の流れ、そして杏奈がフランスに向かうことまでを仲間に伝えた。
「その家庭教師、匂うな」
「まぁ、担当している中学生が誘拐されたっていうのも偶然ではないでしょ」
佐倉は率直な感想を口にした。
「しかしその桐谷杏奈が誘拐の実行犯とは考えられないな。誘拐事件なんて取引の成功率なんて正直
「犯罪者の考えていることはわからないよ」
「ただ『フランス』と『桐谷』っていうセットはパリでの猟奇殺人と全く一緒じゃないか。確か殺された日本人の被害者も桐谷っていう名字だったぞ」
そうだ。桐谷姓をどこかで耳にしたことがあると思ったら、今まさに日本中を騒がせている日本人殺害事件の被害者じゃないか。
「偶然ではないかもな」
思わず佐倉は口にした。すると杏奈はその殺人事件関連でパリに向かうかもしれない。いったいそこで何をしようとしているのか。
「仲間さん!」
具志堅宅のほうから比嘉刑事が出てきた。
「仲間さん!…ん?」
佐倉の存在に気づき言葉を止める。
「なんでお前がここにいるんだ?」
「ちょっとな。ところで何かあったの?」
「お前には関係ない!」
比嘉もリランの常連客だ。仲間と一緒に来るときは大人しいが、どうやらママの愛子がお気に入りらしく、1人で来るときはしつこく愛子をデートに誘っている。
「いったいどうした?」仲間が佐倉と比嘉の間に割って入る。
「いや…、ちょっと」
「こいつの事は気にするな。報告してくれ」
仲間に諭され、比嘉がふて腐れた表情で報告する。
「たった今、誘拐犯から連絡がありました」
「身代金か。金額と期限は?」
「いえ、犯人の要求は身代金ではありませんでした」
「は?身代金じゃなければ何を要求してくるんだ」
「それが『具志堅功、お前が昭和52年に行ったことを12月10日の新聞広告に掲載しろ。12月10日の新聞にそれが掲載されていなければ孫の命は無いと思え』とだけ言い電話は切れました。最初の連絡の時と同じく声はボイスチェンジャーで変えられていました」
「昭和52年に行ったこと?」
「はい。何のことかはさっぱりですが」
「そんなもの本人がいるんだから直接聞けば良いじゃないか」
佐倉が2人のやり取りに口を挟む。
「うるさい!お前は黙っていろ!」
比嘉がいちいち反応してくる。お目当ての女性の弟に対する態度とはとても思えない。
しかし誘拐の実行犯は果たして本当に杏奈なのだろうか。彼女は12月10日にまだ沖縄にいるのか。もしフランスにいたとしたらネットや知人を頼って沖縄県内の新聞広告を確認出来たとしても、孫娘を一緒にフランスにでも連れていかない限り、手出しをすることは出来ない。
「比嘉、先に戻れ。すぐに行く」
「わかりました」
最後にもう一度佐倉を睨みつけ、比嘉は具志堅宅へ戻って行った。
「おそらくこのままここにいても意味は無いぞ。これからどうするんだ?」
「尾行をまかれて関わるなと言われたまま黙っておくわけにはいかないからな。しかも出入りしているのが知事の家で、そこの孫娘が誘拐と来ている。事態が大ごとになってきて引くつもりは無い。桐谷杏奈を探すさ」
「依頼人に打ち切りと言われているのにか」
「関係ない」
「それとも桐谷杏奈に惚れたか」
「まさか。まぁ美人なのは認めるけどな」
仲間がひと呼吸つき、佐倉の胸を軽く小突く。
「とにかく俺はあの家に戻って知事と話さないといけない。お前も余計なことはしてくれるなよ。じゃあな」
仲間も比嘉に続き具志堅宅へ戻って行く。その表情はどこか、これから先どんなことが起こっても迎え撃つ覚悟をしているようにも見えた。
こっちもこれからのアプローチを考えなければいけない。河村杏奈がいつ沖縄、そして日本を経つのか。そしてパリで何をするつもりなのか。
「佐倉さん」
仲間が去ったのを確認し、太田が車から降りて来た。
「あいつらとどんな話をしたんですか?」
「いや、何か特別なことを話したわけじゃない。それよりお前の大学、図書館はあったか?」
「ええ、もちろん」
「過去の新聞記事が閲覧出来るのであれば、昭和52年にあったイベントや事件、大きい話題性のある記事を片っ端から探してみてくれないか?」
「昭和52年?またなんでそんな昔のものを?河村杏奈と何か関係あります?」
「それは調べてみないとわからない。とりあえず頼むよ。というか他にこれといってお前に頼む仕事は無いぞ」
「わかりましたよ。さっそく明日から調べてみます」先ほどの比嘉刑事に負けぬほどの不満顔で太田は答えた。
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