Okinawa 心痛

 太田が誘った新しい居酒屋というのは、来てみればなんてことのない全国展開している有名チェーン店が、大学の近くに店舗を出したというだけのものだった。店内は広く2階建てで、平日ということもあってか客入りは芳しくなかったが、開店間もないことだけあって店の内装は綺麗で清潔感がある。

 適当に入口近くの二人席テーブルに向かい合って座り、佐倉と太田は生ビールで乾杯した。

「ここは何回か来たことあるのか?」

「今日で2回目です。最初来たとき、お客さんが可愛い女の子ばかりで声かけまくりでした」

「今日もそれが狙いか」

「ええ。実は」

 あっさりと下心を認め、太田はグイッと生ビールを飲み干した。

「でも今日は残念。ハズレでしたね。全然客が入ってないな」

 太田が店内を大げさなジェスチャーで見渡す。異性がいないか、獲物を探すような目で見ている。

「諦めろ」

「そうするしか無さそうですね」

 太田は潔いところがあるし、他人の忠告も素直に聞く。たったこれだけのやり取りだが、彼が友達が多くて、人に好かれる理由はそういった部分にあるのかもしれない。


「お姉さん、おかわり!」

 奥の団体客用のテーブルから声が聞こえる。2人のテーブルから客の顔は見えないが、佐倉と太田が店に入ってから2時間ほど経つが、その時から馬鹿騒ぎの声がしていた。女性の声は混じっていないので合コンの類いではないらしい。男子学生が数名で騒いでいるだけだろう。

「うるせぇな」酔いが廻ったのか、太田が声がするほうを睨みつける。

「気にするな。もう出よう」

 お互い最後の一杯を呑み干す。テーブル脇に置かれたレシートを手に取り、席を立ったその時だった。

「おい!遅ぇんだよ!」

 奥のほうから飛び出して来た若者が、2人のテーブルを横切ってレジにいる店員の前へ詰め寄った。

「なんだこの店は?飯も美味くないないし、サービスも遅くてナメてんのかぁ?」

 語尾を伸ばし、頭の悪そうな−昔のテレビドラマで出てくるヤンキーのような−話し方で店員を威圧している。

 こんなヤツでも大学生か。佐倉はその光景を見ながら世も末だと感じた。

「あ、あの…、大変申し訳ありません」

 声を震わせながら、これまた大学生と思しきアルバイト生が平謝りを繰り返している。

「おい、やめとけ」

 声をかけた時には遅かった。太田が店員に詰め寄った男の胸ぐらを片手でグイっと掴んだ。男が威圧する立場から、今度は威圧される恐怖を味わう立場に変わった。

「マナーは守れ」

 短くもシンプルで、かつドスの聞いた太田の声は、男を一瞬で黙らせるには十分すぎる効果があった。

「お前のせいで酒が不味いんだよ」

 相手は抵抗する素振りも無い。そのエネルギーが無かったというほうが正しいかもしれない。太田が手を離すと男は黙って自分のテーブルに戻っていった。

「お前さんも気が短いね」

「いや、そういう気が長いとか短いとかの問題ではないでしょう。見ましたか?あいつらの態度」

「見たよ」

 レジで金を払い、店を出る。居酒屋での代金を佐倉が払ったので、今度は御礼にと太田が自動販売機のほうへ佐倉を促した。

「おれ、コーヒー。ホットね」

 佐倉が太田に注文する。肌寒く、冷たい風が頬を刺す。今年の冬は寒い。佐倉が沖縄で迎える7回目の冬だ。

 居酒屋の前の歩道をランナーが走っている。この時期、風物詩のNAHAマラソンのトレーニングかもしれない。最近はやたらランナーの姿が目につく。そう言えば最近運動していないなと佐倉は思った。昔は友人たちと週一回はフットサルに興じていたが、沖縄へ来てからそう言うことも無くなった。ただでさえ不規則な生活である。生活のリズムの中に少しは運動を加えないと、食事が美味しい沖縄では脂肪ばかりがついて生活習慣病にもなりかねない。

「佐倉さん、どうぞ」

 太田がコーヒーを差し出し、それを受け取ろうとした瞬間だった。

 ドン!

突然、佐倉の左手を鈍い痛みが襲った。

「あぉ!」

 左手を抑えながら佐倉はその場にしゃがみ込んだ。缶コーヒーが静かに音を立てて目の前を転がっていく。顔を上げると先程太田が黙らせた男が、鉄パイプを持って見下ろしていた。後ろには仲間らしき男が3人。全員が酒で顔を赤くしている。

「殺すぞ?あぁ?」

 男は鉄パイプを太田に突きつける。

「店で恥かかせやがって」

 佐倉は痺れる手を抑えながら、ゆっくりと立ち上がり男と向き合った。

「おい、馬鹿野郎。お前に恥をかかせたのはこいつだろ?なんで俺を殴るんだよ」

「うるさい。お前ら2人殺す」

 佐倉と太田が顔を見合わす。どうやら建設的な話は出来そうにない。それが2人の判断だった。鉄パイプの男の目は殺気立っている。馬鹿な男だ。太田のスイッチを入れたことに気づいていない。いや、彼らは太田のスイッチが入った時を見たことがないから当然と言えば当然だ。それに仲間もいれば強気になるのも仕方ない。

「どうします?佐倉さん」

「ふざけるな。俺は平和主義者だ。だいたいお前が蒔いた種だろう。何で俺がやられなきゃいけないんだ」

「そうでした。すみません」

 太田がゆっくりと男に近寄る。

「後悔するなよ」

 その瞬間、太田が男の腹に強烈なブローを入れた。居酒屋で食べた料理やアルコールが、詰まった胃袋に響いたのだろう。男の口から胃液が吐き出され、鉄パイプは握っていた手から簡単に地面に滑り落ちた。柔道だけでなくボクシングもかじっている太田のパンチはいつ見ても重そうで、時に相手が可哀想になる。

「え?もしかして終わり?たった一発で?」

 太田がしゃがみ込み、笑いながら男の顔を覗く。あまりにもあっけなく決着が見えたものの、スイッチの入った太田はこれだけで終わらない。ポケットから煙草を取り出し口に咥える。

「おい、これで終わりか?」

 男の髪の毛を掴み、煙草の先を顔ぎりぎりまで近づける。

「おい、返事しろよ」

「ひぃっ」

 先程の勢いはどこへいったか。男は情けない悲鳴をあげながら涙や鼻水を垂れ流している。男の仲間である3人も身体を小刻みに震わせながらその様子を見ている。太田の気迫に既に縮み上がっているようだ。

 火が男の鼻に触れた。

「うあぁぁぁ!」

 深夜、静まり返った駐車場いっぱいに男の悲鳴が鳴り響く。それでも容赦ない。次は片手で男の顎を掴む。悲鳴をあげ大きく開かれた口の中に煙草を詰め込もうとする。

「もう止めとけ」

 佐倉の一言で太田の動作がピタリと止まった。チッと軽く舌打ちし制裁の時間は一瞬で終わった。

「おい、馬鹿ども。お前らも怪我したくなかったら、こいつ連れて早く帰れ」

 これ以上、太田の暴走を放置すると男の学生生活がしばらく入院生活に変わる。情をかける理由は無いが、これ以上痛めつけるのも無意味なものに思えた。

「聞こえないのか、早く消えろ」

 再度佐倉に促された男たちは、倒れている男を両脇から2人で抱え上げ、残り1人が停めてあったワゴン車に向かい走る。エンジンをかけた車に全員が急いで乗り込み駐車場を出ていった。

「太田、やり過ぎだ。おまえの悪いクセだ」

「申し訳ないです」

「本当にそう思っているのなら今度からもっと自分をコントロールするんだな。手を出した時のおまえの目は正気じゃない」

「すみません」

「謝罪はもういい。俺らもここで今日は解散だ。明日から河村杏奈の件は頼む」

「わかりました」

 太田は最後に深々と頭を下げ、その場を去っていった。その後ろ姿を見ながら佐倉は太田が何故決まったアルバイトに就かないのかわかる気がした。

 根は真っ直ぐ過ぎる男だ。アルバイトでも上下社会の世界に飛び込めば理不尽なこともたくさん訪れる。彼はそこで自分をコントロールする自信が無いのだろう。いや、もしくは出来なかったのかもしれない。アルバイト経験の有無を詳しく太田から聞いたことはなかったが、佐倉は勝手に彼の将来を心配した。現在、大学3年生。学校を卒業したら彼はどうするのだろうか。おそらく彼の周りの同学年の生徒たちは、アルバイトで社会生活というものを齧りながら、既に就職活動で動いているのがほとんどのはずだ。しかし彼からはそういった就活の匂いが全くしない。

 もしや自分が彼を縛っているようなことはないだろうか。自分の仕事を手伝わせていることが、彼が社会に出る為の助走期間を奪っているのではないか。

 この一件を最後に、自分の仕事に巻き込むのはやめよう。佐倉は太田の将来の為に決めた。これ以上、自分の隣にいることは彼にとって良くない。たとえ本人がこれからもそれを望んだとしても。

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