第10話 悲しみの中で
院長先生が亡くなったのは、それから半月が過ぎた頃だった。シーアはそのころにはもう院長先生を失うということを理解してしまっていた。
それでも半月間、シーアは毎日院長先生に治癒魔法をかけ続けていた。最初は病を治そうと、失うと理解してからはせめて少しでも苦痛を取り除こうと。
涙を流しながら必死に治癒魔法をかけ続けるシーアに、院長先生は言った。
「シーア、立派な聖女におなり。立派な聖女と言うのはね、すべてを治せる聖女じゃない。命と真正面から向き合える聖女の事さ。私が死んでも悲しみに心を曇らせてはいけないよ」
シーアは本当はわかっていた。最初から、院長先生はもう長くはもたないと。でも、希望を捨てられなかった。ハニュというすごい存在と出会ってからはなおさら、奇跡が起こるのではと信じていた。
でもそんなに都合のいい話があるはずない。命には、限りがあって当然なのだ。
「ねえ、ハニュ。私、立派な聖女になれるかな?こんなに悲しいのに……」
胸の中のハニュをぎゅっと抱きしめて、シーアは問いかける。
ハニュはプルプルと震えてシーアを慰めようとする。リマも、シーアの足に顔を摺り寄せて慰めてくれる。
院長先生が亡くなってから、孤児院は騒がしかった。シーアより小さい子が沢山居るのだ。死の意味がわかっていない子もたくさんいる。シーアは常にしっかり者のお姉さんであらねばならなかった。でも、守るべきものの存在が院長先生を失った悲しみを忘れさせてくれた。
孤児院が落ち着きを取り戻したのは、さらに一月がたった頃だった。
シーアは一月半ぶりに教会へ行くことにした。残りの任期は一月半だ。正直喪に服すことを理由に行かなくてもいいかと思っていたが、院長先生と立派な聖女になると約束したのだ。
残りの一月半でできる限り勉強しようと思った。
教会へ行くと、いつものようにアニータ様が掃除を押し付けてくる。どうやらシーアが居なかった間、主要な場所以外はアニータ様の命令で誰も掃除をしなかったらしい。埃が山のように積もっていた。教会長には嫌味を言われた。療養や看病、喪中の休暇は認められているはずなのにである。
シーアはすっかり得意になった魔法で掃除を済ませると、書庫に向かった。
「えーと、『シーラ様』の本は」
シーアは自分の名前の由来になった『シーラ様』の事をほとんど知らなかった。それこそ授業で習ったことだけだ。この際だから『シーラ様』の伝記を読んでみようと思ったのだ。
院長先生がどんな思いを込めてシーアと名付けてくれたのかわかるかもしれないと思った。
伝記を読み進めていくと『シーラ様』は何もかもがシーアと対極だったことがわかる。『シーラ様』は貴族のお嬢様だった。類まれな魔力と治癒魔法の才能を持って生まれ、生まれた頃から蝶よ花よと育てられる。
シーアは伝記に手を伸ばしたことを後悔した。なんだかアニータ様を彷彿とさせたからだ。
しかし似ているのは境遇だけだった。『シーラ様』は身分問わず誰にでも分け隔てなく治癒魔法を使った。国の王子に見初められ、婚約してからもそれは続いた。
彼女が一躍時の人となったのは、その後に起こった大規模なスタンピードだった。普通は森の奥深くに住まうドラゴンですら人里に降りてきた、数百年に一度あるか無いかの大規模な魔物の暴走。
『シーラ様』は王家の婚約者でありながら、周囲の反対を押し切り最前線で兵士達の治療をし続けた。その行動が、彼女を大聖女たらしめた。
無私の奉仕――教会がまず聖女に最初に教える精神だ。彼女は誰に言われるでもなくそれを持っていたのだろう。そこに書かれた彼女の生きざまはどこまでも美しく高潔で、あえていうなら人間味が無かった。
読み終わると、横からのぞき込んでシーアと一緒に本を読んでいたハニュがもの言いたげに震えた。シーアはなんだか微妙な顔をしているハニュに笑ってしまう。
まるで『シーラ様』のようになる必要は無いと言っているようだ。
シーアはハニュが何を考えているのかわからなかったが、シーア自身もこれは違うと感じていた。院長先生がシーアに望んだのは、きっと世に伝わる『シーラ様』のようになれという事ではないのだろう。
シーアはまだ、自分がどうなるべきなのかわからない。立派な聖女がどういう人物を指すのかも。いつか、答えを見つけられる日が来るのだろうか。シーアはため息をついてハニュを撫でた。
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