悪魔の令嬢と死に損ないの世話係

瀬武

第1話

血に塗れた木々繁る森の中、方向感覚もとっくに無く、虚ろなまま前に足を進める。

行く先々に仲間の死体が転がり、同時に敵の死体も目に入る。


1人殺せば自身で舌を巻き、10人殺せば褒められる、100人殺せば恐れられ、1000人殺せば自我を見失う。


もう何年経っただろう。時間の感覚もあやふやで、日を失った夜闇に身を震わせる。


葉が擦れる音にすら神経が動き、寝る間でさえも息を殺す。

周りの者は皆瞳孔が開き、殺気立っている。


「いつになったら終わるんだ。」


そんな声を聞くのは何度目だろう。

この戦いの終止符も耳にはもう入ってこない。


皆、終わりの無い殺戮に怯え苦しむ。


共に連れ添う仲間の数も9人。以前は1000人ものだった。今ではもう軍とは呼べない。


1人がドサリと倒れた。もう、そいつを起こそうとする人間は居ない。


皆疲れたのだ。疲弊しきって、死をも願う程になった。

食料も尽き、ただただ終わりの見えない死へと向かうこの状況に誰が希望を見いだせると言うのか。


倒れた仲間に羨望と哀れみ、そして共に戦ったことに対する敬意を示した。


死ぬのは嫌だ。だが生きる方が辛い。


それでも歩き続ける。終わりの鐘がなるまで、ただただ歩き続ける。何故かなんてもう考えない。

強いて言うならそう教えられたから。



飢餓に脱水、四六時中気を張った精神に身体が追いつかない。身体が鉛のように重たい。

それでも動かして、動かして、動かし続ける。敵を殺すために。



片足が切り落とされようと、腕がもげようと、目が潰れ前が見えずとも戦う、生きているかも分からぬ状態で、敵をただ殺す為に動くその者達を人々はこう呼んだ


『生ける屍』__と






_____________________


「では、タスマニア王国へようこそ。良い日を。」


門番に一通り聴取されてから、私はタスマニアへと足を踏み入れた。



王国の中心部、王都まで足を進める。

の自国とは打って変わり、古臭さを感じさせない賑わった街並みに、生き生きとした表情の国民達。


ここは、いい国だ。


民が活きる内は国は滅びない。

民が朽ち果て、恨み言を常々吐けば、その国は滅びる。



本当にここは、いい国だ。





しばらく歩くと、商いが盛んな場所に入った。屋台が所狭しと並ぶこの場所は、王都の中でも1番の活気に包まれている。


「おいねーちゃん!背ぇ高ぇな!ほら、こいつは良い代物だぞ、どうだ、まけてやる!」


ブリンっと揺れる丸鶏の足を鷲掴み、私の目前に差し出して笑うその商売人は、私の目を見てギョッとした。


「必要ない。」


私は商売人にそれだけ伝え、深くフードを被り直す。



私の目は片方だけ失明している。白く濁るその目は、周りからは嘲りと同情の表情を鈍く反射させる。




何はともあれ私の目的は買い物でもなんでもない。


肩に提げた鞄から、小さなメモ帳を取り出す。


『エヴィルバード公爵邸』


その文字の下にはタスマニア国境を位置する門からの簡易な地図が記されている。



それを見ながら、私は目的地へと足を進めた。






_____________________


「何者だ!!」


エヴィルバード公爵邸に着くや否や、門番2人に槍を構えられ、行く先を止められる。



「…驚かせてすまない。エヴィルバード公爵に用がある。」


敵意は無いことを示すために、両腕を顔の横に上げる。


「フードを脱げ。身分を示すものを持っているか。」


「…いや、持っていない。」



そう言って、フードを脱ぐと門番2人に緊張が走る。

徐に敵意を示され、自身の身体も臨戦態勢に入ろうとする。




「────ああ、来たね。」


誰かの声がピリつく空気を和らげる。


こちらに近づいてきた門の奥の声の主に目を向ける。


その30程の歳の見目麗しい男は、金色の髪を揺らし翠の瞳をこちらにやった。



「...公爵様、この者はお知り合いですか。」


門番の1人が、男──いや、エヴィルバード公爵に向かって発言した。


「ああ。それを下げたまえ。...フェルマーさんから聞いているよ。よく来たね。」


公爵様は門番に槍を下げさせてから、私に微笑んだ。


「いえ...身を寄せる場所が無い私が、貴方様へお仕えすることをお許し頂けた事に感謝します。」





フェルマーというのは、私を拾ってくれた人間だ。

60すぎの歳でありながら、1人孤独に過ごした家に、泥と血に塗れ、息も絶え絶えに歩く私を招き入れてくれた。


口は悪いし粗暴なババアだが、初めて私に愛をくれた人だった。

暖かいご飯に暖かい風呂、柔らかい寝床に彼女の体温。

人生で初めて、生きていて良かった、と心から思い、初めて涙を流した。


しかし、私が20を過ぎた頃、彼女は病に伏せた。

死も近づいた頃、古き友人の息子であるエヴィルバード公爵に彼女は短い手紙を書いた。


『自分の娘同然の者を、その家で預かって欲しい』と。


その手紙を書いてすぐ、彼女は眠るように息を引き取った。



彼女の願いを聞き入れて下さったエヴィルバード公爵は、息を引き取った彼女に、了承の旨を記した手紙を送り、私をエヴィルバードの使用人として招いてくれたのだ。



「そんなに畏まらないでくれ。彼女には父が多大な恩を受けていてね。私が、死を前にする彼女の願いを、何がなんでも聞き入れたくなってしまったんだ。」


そう言って懐かしむように笑う公爵様を、私は目を細めて見つめる。


暖かい。この人も、この人の記憶も。


「じゃあ、詳しい話は中でしようか。ロイ、通してやってくれ。」


「かしこまりました。ループスさん、こちらへ。」


公爵の命令で動くこの人物はロイというらしい。オリーブ色の髪の毛を後ろに流し、黒を基調とした燕尾服を着用している。私と同じ高さに目線がある為、180程の身長だと考える。



「分かりました。」


自身の名を呼ばれ、ロイの後ろについて行く。



手練だな。


締まった身体に柔軟な筋肉、公爵様の知り合いであると知った上でも、背後を歩く私に警戒の意識を欠かない。




─────────────────────


「こちらでお待ちください。」


そう言ってから、ロイは礼をして部屋を後にした。



客間に通された私は、ロイに言われた通り、ソファーに座り公爵様を待つ。



しばらくすると、木製の扉をノックする音が聞こえた。


「失礼するよ。」


入室してきた公爵様は、穏やかな笑みを浮かべ私の前にあるソファーへと腰掛ける。

彼のノックで起立した私も、彼の許しを得てからソファーに座り直した。


「この誓約書を読んで、確認と了承が出来たらここにサインと印をしてね。」


「かしこまりました。」


断りを得てから、私は誓約書の内容に目を通してからサインと印をした。


「うん、これでループス・パトロニウスはエヴィルバード家の使用人になった。」


「ありがとうございます。誠心誠意エヴィルバード公爵家に仕えさせていただきます。」


ソファーから立ち上がり、公爵様に向かって頭を下げる。感謝と忠誠を胸に。


「ああ、これからよろしく頼んだよ。」


そう言って軽く笑ったあと、公爵様は私の肩をポンと叩いた。



────────────────────


「それでね、君には私の娘の世話係をお願いしたいんだ。」


少し話そうか、とソファーに座り直した際に困った顔でそう告げられた。


「...お嬢様の、ですか。」


「ああ。リビアと言ってね、とても可愛い子なんだ。」


にやけたように言うその様子から、彼が娘をどれだけ愛しているのかは目に見えて理解出来た。


「お言葉ですが、それでしたら私のようなまだ何も知らぬ者よりも、もっと熟練の方を傍に置いた方が良いのでは。」


まだ使用人としての仕事も理解出来ていない私を傍において、リビア様に迷惑をかけるよりも、勝手を知った使用人を世話係として傍に置いた方が何かと都合がいいだろうに。


「...娘は人が怖いんだ。」


公爵様は私の問いに膝の上で指を組み、目を伏せてそう答えた。


「...でしたら尚更、私のような新参者は相応しくないと思います。」


「あー...ううん、違うんだ。彼ら使用人も同様に、彼女を怖がっているみたいなんだ。」


「...お嬢様を、ですか?」


「ああ、リビアはね、赤い目をしているんだ。赤い目の別名を知っているかい?」


「申し訳ございません、存じ上げません。」


「...悪魔の瞳、と言うんだ。これから話す事はただの御伽噺だ。偏見を持たずに聞いて欲しい。」





───ずっと昔に、王国では大きな戦争が起きた。

かつて農作物が豊富で、富もあったその国は、戦争が起きてからというもの荒れ果て、枯渇し、戦火に燃やされた。

民が死に怯える中、長く続く戦争にうんざりした王が戦争に終止符を打とうとする。

その方法が悪魔を呼び出し敵国をほろぼす、といった狂案だった。

王は儀式の捧げ物として、民を犠牲にし、地に蔓延る民の血を悪魔に捧げた。

そして、民の血を礎に、赤い瞳をした悪魔が生まれた。

その悪魔は敵のみならず、呼び出した王をも殺し、王を失った民の血を貪った。

そして王も民も望まぬ方法で、戦争は終わりを迎える。

死体を積上げた更地で、赤い瞳をした悪魔は次の獲物を待っている────




「といった御伽噺おとぎばなしでね...。赤い目はこの国では悪魔の象徴として恐れられていて、御伽噺と言えど皆にはリビアの瞳は不気味に見えるようだ...。」


「...馬鹿馬鹿しいですね。」


「え?」


先程まで目を伏せて暗い表情だった公爵様は、私の言葉に目を丸くした。


「その御伽噺でいちばん恐ろしいのは王でしょう。民を捧げ物にし、自身の欲を優先する。結局は自身の欲っした物すら手に入らず、命を落とす...。」


愚かだ。本当に、愚かだと思う。


自身が欲する者を民に持ってこさせる。

それをできる立場である人間は、民を見て、欲を制し、理性的に動かなければならない。

王の言葉一つで何人もの命が朽ちていく。民の心を蝕み、そして壊してしまう。


ああ、なんて怖いんだろうか。


眠っていた記憶が溢れ出てくる。

苦しい、痛い、殺さないと、───が言うのだから、国の為に、殺さないと、歩かないと、前へ、前へ、進んで殺せ、前へ、、、



「...ス、...ル...プス、.....ループス!!」


「っは...!」


公爵様の声が耳に入り、記憶をまた抑え込む。


「...大丈夫かい...?顔色も悪いし汗が凄いよ。」


「...ああ...申し訳ございません。少し、その...考え事を...。」


額に手をやると、ピチャリと汗が付く。



「...いいんだ。君にも何か、あったんだろう...。」


フェルマーには、私の素性は知られていない。彼女は聞かなかった。私が失明していても、身体中傷だらけでも、何かに怯えていても。

ただそっと頭を撫でてそばに居てくれた。

彼も同じだ。私の素性を踏み込んで聞かない。

心地良い。

彼らはなんでこんなにも優しくいられるんだろうか。


「お気遣い感謝いたします...。リビア様の件、喜んでお受けさせて頂きます。」


「本当かい!?ああ...ありがとう。リビアは塞ぎ込んでいてね...。どうか、よろしく頼む。私からも声をかけてみるよ。」


公爵様は、ほっとしたような顔をして、嬉しそうに翠の瞳を潤ませた。
































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