第2章 少年期

第1話 旅路

 レオンハルトはクッキーを二枚ほどかじり、今度は優しい口調で語り始めた。


「旅路は楽しいものだった。

 ベッカー先生は、俺に魔導学の基礎となる数学・数理の他、様々な基礎知識を与えてくれた。

 同時に倫理を説いてくれたことで、俺自身の行動を顧みる機会もくれたんだ。」


 ミナトがレオンハルトのカップに紅茶を注いだ。

 小さく感謝を伝えると、レオンハルトは一口紅茶を啜る。


「この振り返りによって、母さんがどれだけ正しかったかを身に沁みるほど知ることができた。

 同時に自分の幼さが恥ずかしくなった。

 その事を先生に伝えたら、『それは成長する上で避けては通れぬ門だ。しっかり反省することで、後への糧としなさい。』と俺を諭してくれた。

 ベッカー先生は本当に素晴らしい先生だったよ。」


 寂しそうな笑顔を見せ、レオンハルトは語り続けた。

 先の幼年期を語っていた時とは全く異なる口調に、ミナトは内心胸をなでおろしていた。


 不意にギルベルトが口を開く。


「そう言えばベッカー翁はまだご健在なのかな?」


 レオンハルトは静かにかぶりを振った。


「多分、もう亡くなられていると思う。

 俺が学術師になった時、祝いと激励の手紙を送ってくれてから先、消息を聞かなくなってしまった。

 あれだけの人望を集めた方だ。ご健在なら俺の耳にも活躍の報が入ってもおかしくはないからな。」


 ギルベルトの瞳の光がまた静かに消えた。

 己の知る者の訃報を聞く度、自分が今浦島となったことを痛感する。

 二十有余年の時間を過ごしたとしても、結局ギルベルトの時間は二十五歳の時点に張り付いてしまっているのだ。


 そんなギルベルトの様子を見ながら、レオンハルトは口を開いた。


「話を続けよう。

 先生は魔法使いを始めとする様々な知識人と俺を引き合わせ、それぞれの得意分野での高等教育を俺に与えてくれた。

 先生の教えによる基礎知識が次々と役に立つのは、この上ない充足感があった。

 学ぶ事の楽しさ、知る事の喜びを、俺は先生の元で十二分に身に付けることができたと言えるだろう。」


 レオンハルトは、また紅茶を一口啜る。

 ほっと溜息をついて、彼は再び語り出した。


「そんな旅を二年ほど続けたのち、先生はこんなことを言ってきた。

『お主の魔導術のセンスは並外れておる。

 このまま儂の元で亀の歩みが如きで学び続けるより、もっと立派でしっかりした魔導士に付いた方が良いだろう。』

 悲しかったな……。

 言っていることは理解できるが、納得ができないといった具合だった。

 先生は、その魔導士の元に到着するまで、よく考えるよう言ってくれたが、どうにも答えは出なかった。

 ずっと先生と旅ができれば、こんなに楽しいことはないと考えていた反面、より強い力が手に入るのも魅力だった。」


 カップを所在無げに手で回すレオンハルト。

 先に話していたエルドニアの話の時とは別の悲哀が彼の瞳に浮かんでいた。


「ただ、最後に先生はこう言ったんだ。

『お主の母親の遺言を守るなら、儂では力不足なのだよ。』

 母さんの遺言……この言葉を聞いた俺は、非力だった村での生活を思い出した。

 それが決定打となって、俺は断腸の思いで先生と袂を分かつ覚悟を決め、まだ名も知らぬ魔導士に教えを請うことにしたのさ。」


 レオンハルトは瞳を閉じた。

 今は亡き己の師を悼むように。

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