レッドフード・ハンティング01
Ayane
第1話
女は森を走っていた。
吹き抜ける風のように無造作に生えている木々を避けながら、必死に走っていた。
早く逃げなければ、アレが来る。追いつかれれば命はない。
身に纏った赤い頭巾がバサバサと音をたてて、鬱陶しさすら感じた女はそれを脱ぎ捨てる。
次の瞬間、背後から何かが飛び掛かってくる気配がして、伏せた。勢いを殺すことはできない。必然的に前に転がるような形になり、勢い余って砂埃が舞う。
同時に自分の首から上ほどの高さを、斬撃が通り過ぎて、冷や汗をかく。
転がり避けた女は上体を起こした。もはや逃げることはできない。追いつかれたのだ。
斬撃が届きかけたのがその証拠。もう相手の間合いだ。
「な、なんなの、あなたは……! どうして私を狙うのよ!?」
女が吼える。木々の向こうに暗幕の如く垂れる暗闇から、一人の男が出てきた。
空に浮かぶような月を思わせる銀髪に、血を溶かしたかのような紅玉の瞳。
年若く整った容姿に見えるその男の頭上には、大きく尖った獣の耳が存在していた。刃物のように長い爪や、尾てい骨のあたりから伸びる銀の尻尾も相まって、その男が限りなく人間に近い異形であることは隠しようがない。
男は女の問いに対して、極めてうるさそうに、鬱陶しいとばかりに冷たく目を細めた。
「うるせぇんだよ。テメェには関係ねぇ」
「関係あるわよ! 私、あなたに襲われる謂れなんて――」
そこまで言った女は言葉を止めて、後ろに跳んだ。
遅れて自分の長い茶髪がはらり、と千切れて風にさらわれるのを見る。
斬られた。
一瞬で男が間合いを詰めて女にその刃物の如き鋭利な爪を振るっていたのだ。
「うるせぇって言ってんだろうが。大人しく狩られろ」
「あ、あなた狼でしょ? どうして私を狙うの? 私なんて食べても美味しくないわよ!」
男は、『
狼――それは森に潜み、闇夜に紛れて人を喰らう獣たちの総称だ。
彼らは一様に獣の耳と獣の尻尾、大きな口と鋭い牙を持っており、人に化けることができる、
それらの条件を目の前の男はすべて満たしている、まさしく狼然とした狼だった。
だからこそ、女は理解できない。なぜ自分が狙われるのか。
「だって、
それを聞いて銀色の狼たる男は、茶色の狼たる女へ嘲りを向けた。
「わかってねぇのか、マヌケ」
銀色の狼は先ほど、茶色の狼が脱ぎ捨てたローブを眼前に掲げるように見せつける。
「テメェが
赤い頭巾を着ていたから。
ただそれだけの理由で同族殺しをしようとする銀色の狼に、茶色の狼はぞっと背筋を震わせた。
「あなた、イカれてるわ」
「どうとでも言え」
お前が死ぬことに変わりはないと、銀色の狼が爪を振るう。茶色の狼は自身の爪を伸ばして受け止めた。
ガキィン!
明らかに爪同士のぶつかり合いではない、刃と刃がぶつかったかのような音が森に響き渡る。
攻撃を受け止めたことに対して、銀色の狼は口笛を吹いて見せる。
「少しはやるか?」
「意味わかんない理由で襲われて死ぬつもりはないのよ!」
ぐっと体重をかけて圧し切ろうとする。男がそれに合わせて飛び退いた。
間合いを取って、お互いに切先を向け合う。
「ハッ、少しはやるか」
「私だって伊達に狼やっちゃいないのよ」
狼は人を襲い、そして喰らう。その中には武器を持っていたり武術の心得がある者だっているのだから、いかに人より力も速度もある狼だろうといえど、まったく戦闘無くして食事にありつくことなどできやしない。
長く生きる狼ほど、戦闘能力が高い傾向にあるのは当然だった。
「一方的に殺されてたまるか!!」
叫びながら、茶色の狼が飛びかかる。
銀色の狼は振り上げられた爪を打ち払い、その胸に反対側の爪を突き立てようとした。
同じように反対側の爪を使っての防御に、火花が散る。
銀色の狼の爪を弾き飛ばし、よろけさせる。
右足を振るい、蹴り払おうとするが、相手はよろけたまま上体を仰け反らせた。
銀色の狼はそのまま両手を地面に付き、大きく開いた脚を持ち上げて思いきり振り回す。
長いリーチのある脚が茶色の狼の横っ腹を蹴り飛ばした。
「ぐっ!!」
吹き飛ばされた茶色の狼は、木の幹に思いきり背中を打ちつけることとなり、圧迫された肺から一気に空気を吐き出す。
「がは、はっ、はっ……」
咳き込む茶色の狼をつまらなそうに見やる銀色の狼は、呟いた。
「血の匂いだ」
「え……?」
「人間の血の匂い。甘くて芳醇な匂いがする」
お前、何人喰った?
銀色の狼が首を傾げて問いかける。茶色の狼は腹部を抑えながら立ち上がり、地面に唾を吐く。
「さあね」
「ざっと考えて12人ってとこか?」
「それがあなたに関係あるの?」
「あるさ」
銀色の狼の様子を伺いながら、よろよろと立ち上がる。茶色の狼は彼の断言するような口ぶりに、首を傾げる。
確かに、この森の麓で喰った人間は12人。だがそれがどうしたというのか。
「最初に殺したのは、あの頭巾の持ち主だ」
「だから、なによ」
「なんであの頭巾を使った?」
「あれさえあれば、
「気に食わねえな。あの頭巾を利用するなんざ」
銀色の狼が右に歩いていく。ポケットに手を突っ込みながら優雅に歩くその様はまるで舞台役者のようで、茶色の狼の心を逆撫でした。
「あなたの美学に反するって? そんなの知ったこっちゃないわよ!」
茶色の狼が吐き捨てた瞬間、銃声が響き、茶色の狼は胸に衝撃を受けてよろけた。
「え」
すかさず二、三と撃たれた弾丸が文字通り、死への追い打ちとなる。
体を急速に蝕んでいく
森の闇から、人影が出てくる。
その手に握られていたのは、
そして人影が被っていたのは、先ほど茶色の狼も被っていた
「
狼殺しを担う狩人という存在がいる。
彼らは階級により色の違う頭巾を被り、その中でも上から二番目の実力者の色は赤。
彼らは
急速に薄れていく意識の中、
「まさ、か」
脳裏に一つ、あり得ない可能性が浮かぶ。
「仲間、なの? 嘘でしょ」
狼と狩人が手を組むなど、信じられない。
しかし、その思考は一発の銃声とともに撃ち抜かれ、二度と戻ることはなかった。
森の中を一人と一匹が歩いていく。
「ジル」
銀色の狼ことヴァイスは少し先を行く赤い頭巾を被った少女を呼ぶ。
ジルと呼ばれた少女は静かに返した。
「なに?」
「あいつ、持って帰らなくていいのかよ」
ヴァイスがいうあいつというのは、先ほど狩った狼だ。
同胞たる
そして派遣されたのがジルとヴァイスである。
「いらない。人型の狼なんて厄介な割に大した素材にならないし」
遺品を回収できただけで構わないと、ジルはあの茶色の狼が被っていた赤い頭巾を見せる。
「そうかよ」
これはかなり怒っていると、普段より乱雑な口ぶりになっているジルの反応から察したヴァイスは口を閉ざした。
仲間を殺され、その誇りである頭巾を人を喰うために利用されていたとあっては、腑が煮え繰り返るのもやむなしと言ったところだろう。
「……ヴァイス」
「なんだ」
「……ありがとう」
黙っているヴァイスに何かを感じたのか、ジルはそう言って再び歩いていく。
ああ、普段の乱雑な様も好ましいが、こういう細やかな気遣いも愛おしい。
ヴァイスは口元が緩みそうになるのを抑えて、「そうかよ」とだけ返す。
狩人と狼。狩るものと狩られるもの同士である奇妙な二人組は肩を並べて、朝日が差し込む森を歩いていった。
レッドフード・ハンティング01 Ayane @musica0992
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます