第37話ルーカス、冷水を掛けられる
イライザの調査の結果、エミリア様を劇場のバルコニーから突き落としたのはジュリア・セドゥだと判明した。夜だったとはいえ、人でひしめき合うバルコニーでは近場に居た数人がジュリアの顔をはっきり見ていたのだ。
イライザはすぐにも告発して警備隊に捕まえてもらう方がいいと主張したが、エミリア様には何か考えがあるらしく、告発は保留された。
後日、セドゥ親子がゴールドスタイン家を来訪した折、うまく事が運んだらしく、告発もしないとエミリア様から説明があった。
鉱山組合の事業の方も融資が通り、理事についてのゴタゴタも収束したようで、エミリア様はやっと一息付けると安堵されていた。
ジュリア・セドゥはもうエミリア様に手出しして来ないと思うが、結局モーガン卿との婚約は解消されてしまったから、逆恨みしているかもしれない。エミリア様の警護体制は通常に戻ったが、まだ完全に安心するわけにはいかないと僕は思う。
ジュリアはエミリア様に嫉妬心を抱いていても、大人しくしているべきだったんだ。そうすればあのまま自分の愛するモーガン卿と結婚する事が出来ただろうに。
モーガン卿は婚約解消後、足繫くエミリア様の元に通ってくるようになってしまった。本人は『友達』だからと言っているが、彼の恋愛感情がエミリア様に向いているのは誰の目にも明らかだ。
ほら、言っているそばからまたやって来た。
「やあルーカス! 今日も良く晴れていい日だね」
何がいい日なものか、こんな風に週に1度はやって来て『花屋の前を通りかかったから』と巨大な花束を持ってきたり、『新しい菓子屋がオープンしたから』とスイーツをどっさり持ってきたり、エミリア様だって迷惑しているに違いない。
「今日はどこのお店がオープンしたんですか?」
僕の少し嫌味がこもった質問に、モーガン卿はケロッとして答える。
「どこもオープンしてないよ。今日はエミリアを観劇に誘いに来たんだ。以前あんなことがあって嫌な思い出になってしまっただろうから、それを刷新するためにさ!」
そんなデートみたいな勧誘をエミリア様が承諾するはずはない!
そう思っていたのに後日、エミリア様はモーガン卿と観劇に出掛けてしまった。まさかエミリア様はモーガン卿に気持ちが傾いているのでは・・。そう思うと居ても立ってもいられなくなり、僕は騎士団の訓練場で一心不乱に剣を振った。
だめだ、こんなのではいけない。僕はエミリア様の幸せを願っているんだ、モーガン卿はエミリア様を大切にしてくれるだろうし、身分も見た目も申し分ない方だ。エミリア様もモーガン卿をお好きならそれで万事めでたしじゃないか!
「ルーカス、集中してないな」
振り向くと父上が後方に立っていた。ああして腕組みをしているのはお説教の前触れだ。
「いえ・・そうですね」
「闇雲に剣を振っても何の鍛錬にもならないぞ。それならやらない方がましだ」
もっと色々言われるかと思っていたが、それだけ言うと父上は騎士団の建物の中へ戻って行った。
「はあ~」
僕はその場に仰向けに寝転がった。傾き始めた太陽が、それでもまだ焼けるような熱い日差しを否応なく浴びせてくる。眩しい日差しはエミリア様を想う僕の気持ちの様で、思わず腕で日差しを遮った。
「はあ~僕は何をやってるんだ・・」
もう一度だ、今度こそ集中して・・
「きゃ~っ、大丈夫ですか? きっとお日様にやられたんだわ! 失礼します、えいっ!」
顔に水を浴びせられた驚きで、心臓が飛び跳ねた。
「っつ! つめた・・」
腕のお陰で顔には掛からなかったが、首と頭がぐしょ濡れだ。びっくりして体を起こすと、心配そうな顔をした女性がこちらを覗き込んでいる。
「気が付かれました? あなた、ここで倒れていたんですよ」
「えっ、いや僕は・・」
「私の叔父が敷地内に住んでいるんです。お茶の用意も出来ているはずですから行きましょう。水分を取らないといけませんわ!」
女性は僕の腕を引っ張ってずんずんと歩いて行く。何が何だか分からないまま、僕はついて行くしかなかった。
「あ、あのちょっと」
「あ、私は怪しい者じゃございませんわ、こちらのお嬢様の侍女長の夫になったのが、私の叔父ですの」
振り返り、笑顔を見せながら女性は付け加えた。でも歩みは止めずに。
「ノーマ・アンドーゼと言います」
「ああ、先生の姪御さんですか」
「あら、叔父をご存じですか」
「ええ、今日の午後のお茶に招待して頂いてます」
ここでようやくノーマは足を止めた。驚いたせいなのか、もう先生の家に着いたからなのか定かではないが。
そしてタイミングよく扉が開いてアンドーゼ先生が出て来た。
「おや、ルーカス。丁度よかった、今呼びに行こうと思っていたところでした。それにしても・・天気はいいようですけれどねぇ」
僕の濡れた頭と空を見比べながら、先生は僕を招じ入れた。
「ほんっとうに申し訳ありませんでした」
アンさんに借りたタオルで頭を拭きながら、何度も頭を下げるノーマに僕は笑顔を返した。
「いえ本当に大丈夫ですから。あんな所に寝転がっていた僕が悪いんです」
「この子は深く考える前に行動してしまうタイプなんですよ、驚いたでしょうルーカス」
どうやらノーマは僕が太陽にやられ、熱病で倒れたと勘違いしたらしい。まずは体や頭を冷やすのが大事と記憶していた彼女は、手元にあった冷たい井戸水(レモネードを冷やすための物)を僕に浴びせたのだ。
ノーマは少しおっちょこちょいだが、明るくてとてもいい子だ。僕より3つ年下で、アカデミーを卒業した後に、高位貴族の侍女になるための行儀見習いをしにアンさんの元へ通ってきているそうだ。
それから何度かアンドーゼ先生に招かれる事があり、その度にノーマが同席した。最近はイライザも一緒に先生のお宅にお邪魔するのだが、イライザはノーマと僕が付き合っていると勘違いしている。
「私とルーカスの仲じゃない、隠す事なんてないわ。それとも何? 団長にはまだ知られたくないからなの? 分かったわ、団長には言わないわよ」
「違う、違うって。ノーマとは付き合ってないよ」
「あ~あ、好きだけどまだ付き合ってないって事ね。早く交際を申し込んだ方がいいわよ、ノーマみたいな天然な子はきっとモテるわよ」
確かにノーマと話していて楽しいとは思う。でもそれはイライザと話して楽しいと思う気持ちと変わらない。
今何を考えているのか? 僕と一緒に居て楽しいと感じてくれているのだろうか? もっと笑ってほしい笑顔が見たいと思う相手は、僕には一人しかいない。
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