第35話エミリア、反撃する
「お嬢様、セドゥ家のご当主様とそのご令嬢がお見えです」
「約束通り二人で来たわね。アン、お客様を私の書斎へお通しして頂戴」
セドゥ伯爵家とペナン子爵家は鉱山組合から脱退した家門だ。この二人は先日組合にやって来て、3つの条件を提示して組合に復帰してもいいと言って来た。
ひとつは二人が理事の席に就く事、二つ目は私が理事から退く事、三つめは私の後釜にセドゥ伯爵の娘のジュリアを据える事だった。組合の最終決定権を持つ私を追い出し、自分たちの都合のいいように事業を操作する気のなのだろう。
「我々を呼んだという事は決心がついたと思ってよろしいのですな」
私が入室するなり、書斎のソファにふんぞり返ったままでセドゥ伯爵がいやらしい笑みを漏らした。
私の後にすぐ入って来たアンが用意したお茶に口をつけながら、更に得意になって話し出す。
「それはそうでしょうな。セドゥ家とペナン家が手を引けば、鉄鉱石を安価かつ、十分な数を手に入れられない。利益が下がる見通しでは銀行も融資を渋るでしょう。融資が得られないと・・まぁ色々と窮地に陥る事は明白ですな」
「セドゥ伯爵とペナン子爵が理事にお着きになるという事は、理事は4人にされるおつもりかしら?」
「それは話し合いを持ちますよ。ゴールドスタイン理事がご心配されることはありません。あなたがいなくなった後の事なんですから」
「そうですわ。エミリア様の後は私が立派に努めて差し上げます」
ジュリアは勝ち誇ったように私を見据えている。現在の組合理事は私とロビンス侯爵、ホスキンス伯爵。他国との取引を見切り発車してしまったのはホスキンス伯爵の方だが、多分これはセドゥ伯爵と画策したことなのだろう。私を理事から蹴落とし、自分たちが理事に就任した後にロビンス侯爵を理事から解任してしまえば、後は自分たちの好き勝手に出来る。組合乗っ取り計画という所か。
「それでしたらご紹介したい人を呼んでいますから、お会いになって」
アンが連れて来た人物は20代後半のまだ若い青年だ。理知的なグレーの瞳に赤毛が印象的な人好きのするタイプ。
「彼は今度お父様の後を継いでコークス伯爵になった方よ」
「お初にお目にかかります、ニール・コークスと申します」
「コークスといえば・・うちと入れ替わりに衰退された家門ですな。まだ組合には在籍だったか」
「ええ、そうです。まだなんとか潰れずに持ちこたえてますよ」
ニールはセドゥ伯爵のあからさまな嫌味にも顔色ひとつ変えずに応対している。年齢よりずっと落ち着いていて、多少の事では動じない貫禄さえ感じられる。彼を見ていて、私はなんとなくルーカスを思い浮かべてしまった。
「今日彼をここに呼んだのはコークス領で新しく発見された鉱脈について報告してもらうためなのよ」
新しい鉱脈と聞いてセドゥ伯爵の眉がピクリと動いた。それをちらりと認めたニールが話し出した。
「私どもの領地には鉄鉱山が2つと小さな銅鉱山などが幾つかありますが、もう取り尽くしたと思っていた、ある銅鉱山の下から新たに大きな鉄鉱石の鉱脈が見つかったのです」
一旦話を切ったニールの後を受けて、今度は私が話し出した。
「現在、その鉱山から大量の鉄鉱石を採掘しています。製鉄所を大きくした後でも加工する鉄鉱石に困る事はない量を既に蓄えてありますの。ですから心配なさらなくて結構なのはセドゥ伯爵、そちらの方ですわ」
セドゥ伯爵のお茶を飲む手が止まっている。ジュリアは顔色が変わった父親を見て狼狽えた。
「どいう事なの? お父様、心配しなくていいってどういうこと?」
「しっ、少し黙っていなさい」
ジュリアは詳しい事を聞いていないのだろうか。私の後に理事に就任するという話も、ただのお飾り目的だったのかもしれない。セドゥ伯爵は必死に脳をフル回転させて挽回策を練っているようだ。そして動揺を隠しきれていないままでぱっと顔を上げて言った。
「そうだ、ホスキンス伯爵の領地がコークス領の隣だったな。ゴールドスタイン理事、用事を思い出したのでこれで失礼させていただきますよ」
セドゥ伯爵は脂肪がたっぷりついた腰を浮かしたが、ニールが間髪入れず待ったをかけた。
「ホスキンス領とうちは確かに隣り合わせています。それで先日ホスキンス領の一部を私の家で買い取らせていただきました」
そうなのだ。ホスキンス伯爵が他国との取引を見切り発車してしまった直後にセドゥ伯爵は組合を抜けた。だから私はホスキンス伯爵に不信感を持っていた。それでコークス領から新たな鉱脈が見つかった時、鉱脈が隣り合わせているホスキンス領地を可能な限り広く買い取るようにニールに助言してあったのだ。新しい鉱脈の事を知らないホスキンス伯爵は、提示された高値に喜んで自分の領地を差し出した。
「今からホスキンス伯爵に鉱脈を探すようにおっしゃられても遅いですよ。そこはもううちの領地になりましたから」
「ぐうぅ」
セドゥ伯爵の額には玉のような汗が浮かんでいる。堪らなくなったジュリアはもう一度父親を詰問した。
「ねぇお父様、どうなっているの? 私は理事になれるんでしょうね?」
だんまりを決め込み、目をそらす父親の代わりに私が答えた。
「あなたは理事になれないわ。セドゥ家もペナン家も組合に戻って来る理由が無くなったの。それどころか他の組合にも入れて貰えないでしょうし、鉱石の取引も今までの様にはいかなくなるわね」
組合乗っ取り計画は失敗に終わった。この顛末が社交界に知られるのも時間の問題だわ。うちの組合は国内で一番規模が大きく、公明正大でクリーンな事業で知られている。そこを乗っ取ろうとするのは私利私欲目的だとすぐ悟られる。ましてや国で大きな影響力を持つゴールドスタイン家を敵に回しては、彼らの将来はあまり芳しいとは言えないだろう。
「そんな! この女が失脚した後に私が理事になって、思い知らせてやるって約束したじゃない!」
ジュリアは私を指差しながら父親を攻め立てている。この女とは聞き捨てならないわね。もしかしてアカデミーでの出来事をまだ根に持っていたのかしら。
「あなた、アカデミーでの事で私を逆恨みしてたのかしら?」
「アカデミーでの事ですって? ああ、あれもそうね、沢山の生徒の前で私に恥をかかせて! でももっと許せないのはアレクサンドルの事よ、再会した彼に色目を使ったんでしょう?! デビュタントの時みたいに彼を弄ぼうとしたのね。あんたが現れる前までは私達、上手くいっていたのに」
息つく暇もない勢いでまくし立てたジュリアは興奮して肩で呼吸している。固く握りしめられた拳はぶるぶる震えていた。
「あなた・・そんな誤解をし・・」
「誤解じゃないわ、アレクサンドルの態度が明らかに変わってしまったのよ。仕事が忙しいからと、会う時間は減るし、私が話しかけても上の空で・・全部、全部あんたのせいよっ!」
娘の醜態に戸惑ったセドゥ伯爵は、喚き続けるジュリアの腕を掴んでドアの方へ促した。
「今日は帰るぞ、ジュリア」
「離してっ、デビュタントの相手だって別に誰だって良かったんでしょう。なのにアレクサンドルの気持ちを使用して! あんたなんか、あんたなんかぁぁ」
ドアの前で伯爵は私に捨て台詞を吐いた。
「む、娘の事はともかく私は諦めませんぞ。母親の後継として悠々と理事の座に座っていられるのも今のうちだ」
私はジュリアがそんな風に思っていたことに驚いていたが、いつまでも悪あがきする伯爵にもう一つの事実を突きつけることにした。
「そうそう、先日、私をバルコニーから突き落とした犯人が判明しましたの」
すると今まで泣き喚いていたジュリアの動きがぴたりと止まった。伯爵はハッとして娘を見下ろす。
「お前・・まさか」
「何人かの方が、私の背中を押す令嬢を目撃していましたわ。伯爵が鉱山組合から手を引くのであれば、私も令嬢への告訴を取り下げようと思いますが、いかがでしょうか?」
「くっ・・わ、分かりました。鉱山組合からは手を引きましょう。ですからそちらも訴えを取り下げて下さい」
「ええ、お約束しますわ」
セドゥ親子は私の書斎から出て行ったが、開け放れたままのドアからは二人の声がまだ聞こえてきていた。
「お前はまったく何てことをしてくれたんだ」
「腹が立ったのよ! あの女の顔を見て喜ぶアレクサンドルが! 私が横にいるのに『じゃあまた』って言うのよ。すぐあの女に会いに行く気だったんだわ。そんなの絶対許せないっ」
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