第26話イライザ、骨抜きになる


「いつも思うんだけど、イライザはエミリア様がすごく好きよね?」


 2年生に進級して同じクラスになったソフィアが言う。その隣に座ったルーカスが自分も同意だと頷いている。ルーカスも同じクラスになったのだ。


「いつも食事はルーカスとエミリア様と一緒でしょ? 1年の頃からよね」

「生徒会長もだな」とルーカスが付け加える。


「私、初めはルーカスの事を好きなんだと思ってたわ」

「「絶対ない」」ルーカスと私の声が重なった。


 今日からエミリア様はデビュタントの為にご実家へ帰省されていた。数日前から私の食事のテーブルにエミリア様はいない。


「エミリア様って・・その、なんだか冷たそうじゃない? 私ちょっと怖いわ。イライザがどうしてそこまでエミリア様に入れ込むのか分からない」


 その他大勢にエミリア様の良さが分かってたまるもんですか。エミリア様は見た目が美しいだけじゃないの、正義を測る天秤を持った、女神テミスのような方なんだから!




 入学して少し経った頃、私はクラスの中でも自分が浮いているのに気付き始めていた。クラスの同級生たちとはあまり交流を持たず、エミリア様の背中ばかりを追いかけていたからだ。


 ある時、週末の帰省から寮に戻って来た時の事。私はお父様が自ら率いて来た馬車から降りて寮の門をくぐった。我が家は現状、御者も雇えない程に困窮しているのだ。馬車もいつ壊れてもおかしくない位ボロボロだ。その御者台に座るお父様に挨拶をしている所を同じクラスの令嬢が窓から見ていたらしい。


 その令嬢が自分と同室の先輩にこの話を吹聴したのだ。


「あなたのお家が経済難にあるというのは本当だったのねぇ」


 門をくぐるなり、同じクラスの生徒ひとりと先輩が私の前に立ちはだかった。エミリア様より1つ年上のジュリア・セドゥというこの伯爵令嬢は、最近大きな鉄鉱山を掘り当てた勢いのある家の長女だった。


 我がコークス家の領地も鉄鉱山が有名だ。でもセドゥ家が安く鉄鉱石を売り出したのとお父様の手腕が振るわない為に、5年ほど前からうちの財政は火の車だった。


「私分かっちゃったわ、あなたがゴールドスタイン家のお嬢様に尻尾を振って歩いてる理由を」


 ゴールドスタイン家は代々、この国の鉱山組合の理事を務めている。私がエミリア様に取り入ってコークス家の鉄鉱石の取引に便宜を図ってもらおうとしているのだろう、とジュリアは指摘した。


 寮の前庭には私と同じように帰省から戻って来た令嬢たちが沢山往来している。私達のやりとりを足を止めて見ている生徒もいた。「そういう事なのね、納得だわ」と囁き合っている。


 私は何も言い返せなかった、それは事実だったから。


 私より6つ年上の兄、ニールは2年前にアカデミーを途中退学している。家の仕事を手伝うのと私がアカデミーに通うお金を捻出するためだ。私が結婚するまでは自分と父でなんとか踏ん張って家を持たせ、アカデミーでいい相手と巡り合えるようにと私を送り出したのだ。家が没落してしまってからでは、良縁を得るのは難しい。ニールは自分の事より私の将来を優先させたのだ。


 だから入学してエミリア様に出会った時、私はチャンスだと思った。家でお父様とニールの会話はよく耳にしていた。その中でゴールドスタインの名は何度も出て来た。ジュリアが今言ったように、私は打算でエミリア様に近づいたのだ。


「同じ伯爵家として恥ずかしいわ、由緒正しきこのアカデミーでそんな下級商人みたいな真似をするなんて恥を知りなさい!」


 私は顔を上げる事すら出来ずにいる。自分の打算的な行動は簡単に見破られしまった。エミリア様の耳に入るのも時間の問題だろう。きっとエミリア様は激怒され、私とは口も利いてくれなくなるわ。それどころか理事を務めるゴールドスタイン公爵様に話して、うちの鉱山との取引を控えるようにお願いされてしまうかもしれない。私の浅はかな行動でお父様とニールを更に窮地に立たせてしまったらどうしよう。


「私が思うに、イライザの行動は最も貴族らしいと言えるのじゃないかしら」


 寮から出てきて私の事をこう分析したのはエミリア様だった。


「イライザは1年生、まだ8歳よね。家業を助けようと自ら考えて私に近づくなんて、その年ではなかなか出来ない事ではないかしら」

「ミス・ゴールドスタインはこの子が打算で近づいてきたのを知っていたというのですか?」


 ジュリアはエミリア様本人が現れた事に動揺している様に見えた。それでも引き下がれないと思ったのか、エミリア様に食って掛かった。


「イライザの行動が打算だと思った事はないわね。でもそういう目的で近づいで来る方は今までにも大勢いたわ」


「大勢の内の一人だったから取るに足りないという事ですか?」


「社交界ってそういう物でしょう? わざわざ大勢の前で指摘する方が野暮ではないかしら。貴族の社交界は戦場なんだから」


 エミリア様はにこやかに話されていたが、その堂々とした態度、はっきりとした口調にジュリアも一緒になって私を攻撃していた同室の生徒もすっかり気圧されている。


「イライザ、寮に入りましょう。同室のアマンダがご実家から郷土菓子を持ってきてくれたのよ。一緒にいかが?」


 私は半分夢見心地でエミリア様の後に付いて行った。あの毅然としたエミリア様の勇姿。私の事を庇ってくれた上に、私の行動を貴族的だと肯定してくださった。でもエミリア様の部屋の前まで来たとき、突然私は後悔の念に駆られた。


「どうしたの、立ち止まって」


 私はこんな優しい人に打算で近づいたんだ。本当はエミリア様はそれに気付いていたに違いない。それでも私を受け入れて傍に置いてくれたのに、私は・・私にこの部屋に入る資格があるだろうか?


「私・・あの、やっぱり・・」

「いつものイライザらしくないわね。中で話しましょう、今は誰もいないから」


 エミリア様はお茶を用意して下さり、それを飲んで私が落ち着くのを辛抱強く待ってくれた。私は大きく息を吸い込んで覚悟を決めた。コークス家の内情、自分の打算的な行動をエミリア様にすっかり打ち明けたのだ。


「そう、正直に話してくれて嬉しいわ。それにやっぱりあなたは偉いと思うわ。私があなた位の頃なんて、誕生日のケーキを2段にしてもらう事しか考えてなかったもの」


 そう言ってエミリア様は私を笑わせた。


「ただね、私のお母様、公爵様は利益第一主義なの。私が口添えしてもそれを考慮に入れてくれるかは・・少し難しいかもしれないのよ」

「いえ! もうそんな事は望んでいません。エミリア様のお手を煩わせるわけにはいきませんもの! 私はアカデミーで勉強を頑張って、家に貢献できる別の方法を考えます」


 私の決意を見ると、エミリア様は一緒に考えてあげると言ってくれた。エミリア様の優しさ、寛大さ、気高さ、そして優美なそのお姿! こんなお人形みたいに可愛らしいお顔なのに、その態度は毅然としていて神々しささえ感じられるわ。


 私はすっかりエミリア様に骨抜きになってしまった。彼女の為なら私はどんな事でもするわ!


 




 

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