第6話ルーカス、執事見習いになる



 ルーカス・ウォーデン。


 このウォーデンという名前は母方の姓だ。私はルーカス・ギリゴールとして今日まで60年以上を生きて来た。だが明日からはルーカス・ウォーデンとして生きて行くつもりだ。



「ギリゴール卿、本当にそれでいいのですか?」小さなデスクに向かっている私にダーモットが食い下がる。心配そうな表情だが、半分は呆れているのかもしれない。


「もちろんだ、ダーモット。総督なんぞになって机にかじり付くのは私の性に合わん。君こそ、こんな老いぼれを執事として迎え入れて平気かね?」


「私は客人としてあなたを迎えたいと言ったのですよ。あなたは人生をこの国に捧げた英雄だ。これからは何の心配もなくのんびりと暮らして欲しいのです」


「何もしないでいるのも性に合わないのだよ」


 ダーモット・ゴールドスタインはため息をついた。私が頑固なのを彼は良く知っている。


「分かりました。私はまだこの地を離れられませんが、妻と執事長には事情を伝えておきましょう」

「頼んだよ。私は明日、出発する」


 ダーモットは頷いて部屋を出て行った。ここは戦地より少し離れた街にある宿舎だ。


 私は魔物を討伐する軍隊の剣士だった。だが魔物との戦いで左足を負傷し、傷は完治したが麻痺が残ってしまった。もう第一線で戦う事は出来ないのだ。


 この戦争に終結はない。相手は魔物で不定期に大量発生する。負傷した私に国は総督と言う地位を提案してくれたが、私は退役する事を選択した。


 ダーモットに言われたように私の人生は戦う事が全てだった。この年まで結婚もせず、両親はとうに他界し兄弟もおらず孤独な身の上だ。


 行く当ての無い私を、同じ部隊の後輩だったダーモットが自宅に招いてくれた。ダーモットは高名な貴族の家に婿養子に入っており、とても裕福なのだ。


 彼は私が執事として働く事に不満のようだが、短い人生だ、明日からは自分の好きなように生きて行こうと思う。





「いやしかし・・ここまで大きなお屋敷だったとは」


 ゴールドスタイン公爵家の話は私も少し小耳に挟んだ事がある。この国有数の由緒ある家柄でお金持ち・・それは王家を凌ぐとさえ言われている。


 私も王宮には何度か足を運んだことがある。大きさは王宮ほどではないと思うが、屋敷内の贅の尽くされ様、使用人の数は王宮を上回るのではないだろうか。


 私は執事長に出迎えられた。


「ルーカス・・ウォーデンさんですね。事情は旦那様から伺っております。私自身もあなたには賓客としてこの屋敷に滞在して頂きたかったのですが・・」

「いえ、ただの執事見習いとして接して頂きたい。私は貴族でもないし、その方が気を使わなくていいのです」


「そうですか。それではお部屋も簡素な部屋になりますが・・日当たりの良い、一番いい部屋を確保してあります」

「お心遣い、痛み入ります」


 執事長のジョージ・オダウド氏は私と同年代だろう。その所作から優秀な執事であることは疑いようがない。彼に屋敷の決まり事、仕事について説明を受けながら私は屋敷を案内して貰っていた。


「旦那様は来週、戦地から戻られる予定です。奥様は今日は慈善パーティーで遅くなられますから、挨拶は明日になるでしょう。まずはお嬢さまにお会い下さい」


 部屋の前まで来ると中から子供の喚き散らす声が聞こえて来た。まだ幼い声だが、言葉遣いは大人びている。執事長は軽いため息をつきながらドアを開けた。


 なるほど、あそこに放り投げられている白い帽子が騒動の元だな。


 確かに小さな子供が被るにはごてごてとした飾りが余計に思える。帽子を拾い上げ、不要な飾りを全て取り払って癇癪を起している小さなレディの前に跪いた。


 人形の様に可愛らしいとダーモットから聞いていた通り、薔薇色の頬に空色の大きな瞳、フワフワとカールしたプラチナブロンドが人形っぽさを際立たせていた。


 しかし目玉をくり抜いてやるとは、なんとも物騒なお嬢様だ。使用人とはいえ大人を見下す態度もいただけない。お金持ちで高貴な身分のお嬢様だ、きっと甘やかされて育ったのだろう。


 お嬢様の部屋を出るとすぐ執事長が言った。


「とても気難しい子供なのです。1人っ子でうっ憤を発散する相手がおらず、怒り出すと手が付けられません。狂犬などと呼ぶ使用人まで出て来て、周囲の人間も手を焼いています。」


「見た目からあの言動は想像できないですね」

「全くです。大人しく座っていると本当に人形の様ですから」


「ですがあの優しい瞳の色はダーモットにそっくりだ。ダーモットはとても優しい気性の人物だし、きっとそのうち落ち着くのではないですか?」

「そうであって欲しいですね」




 執事の仕事は慣れない事ばかりで戸惑いも多いが新鮮でもある。剣を羽箒に持ち替え掃除をし、銀器を磨く日々。メイド達の他愛ない噂話や害のない愚痴、不満を笑って聞き流す。


 理解できない様な貴族たちの習慣や金遣いも驚きだった。だが何より感じるのは平和さだ。命の危険など皆無な平穏な時間が流れている。



 ある日私はエミリアお嬢様付き侍女であり、侍女長でもあるアン・ディクソン夫人から護衛騎士を呼んでくるように指示された。だがすぐに動ける騎士は入団したての若い騎士一人しかおらず、私がもう一人分としてお嬢様の買い物について行くことになった。


 馬車で向かい合わせに着席するとエミリア様は私の頬の傷が気になるようで、傷について質問をしてこられた。


 これは15年ほど前に戦闘で負った傷だ。あの戦いでの勝利は、何度も死にかける様な悪条件の中で得た奇跡だった。


 だがメイド達が色々と憶測をし、噂し合っているのを私は知っている。恐らくはメイド達から良からぬ事を吹き込まれたのだろう。エミリア様の表情が微妙に硬くなっていき、しまいには私から離れようと窓際に席を移されたのが可笑しかった。そこはやはり子供なのだな。


 さてエミリア様の買い物は宝飾品らしかったが、どうもありきたりな品ではなさそうだ。


 次に向かうのは金物屋らしい。こういった用事は使用人に頼んでも良さそうだが・・また何か良からぬことを企んでいるのではあるまいか。


 宝飾店を出るとすぐ我々を付けて来る気配に気が付いた。宝飾店から貴族の子供が出て来たのを目ざとく見つけたのだろう。人通りの少ない路地に入る時に背後からいきなり襲ってきた。が、ただのコソ泥だったようで、前を歩いている護衛騎士の剣を拝借し、峰打ちすると簡単に気絶した。


 しかしこの若い騎士は後を付けられている事にも気づかず、腰のベルトから剣を抜き取られた事にも気づかず・・これでは先が思いやられる。


 さて買い物も終わり、また宝飾店の前まで戻ってくると近所の子供らしき少年と犬が遊んでいた。私は犬が大好きで撫でに行った。だが護衛騎士は少年をあからさまに蔑んでいる。彼は恐らく貴族なのであろう。貴族が平民を見下すことなど日常茶飯事だ。


 まぁお嬢様も高貴な貴族の箱入り娘だ、近付いては来まい。ところが予想に反して彼女はこちらにやって来た。余程犬と遊びたかったのだろう。そして犬と戯れるだけでなく、みすぼらしい少年が差し出すパンにも平気でかじり付いた。

 

 使用人達から狂犬呼ばわりされている彼女の横暴さもわがままも、それら全てはお嬢様の本質ではないように私は思う。きっと何か原因があるのだろう。


 忙しく、かまってやる時間のない両親に姉妹も居ない一人娘。周囲は大人の使用人だけ。もし寂しさから来るわがままなら、なんとかその寂しさを埋めて差し上げたいものだ。


 

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