第33章 分類学の曖昧さ
「終わったね」
「終わったな」
「終わりましたね」
空っぽになったライブハウス。
片づけられたステージを客席から眺めて呟く。
5人の物語の大きな章が終わりを告げた瞬間であった。
「楽しかったですね!」
感傷に浸る空気を切り替えたのは中田の言葉であった。
4人にとって共通の後輩である無邪気な彼女は、今となっては、
共に多くの時間を過ごし、音楽に明け暮れたかけがえのない仲間であった。
「打ち上げ!行くだろ!」
白神の言葉が静寂を派手に破る。
静かなライブハウスの中では、必要以上に彼の声が響いて聞こえた。
ライブハウスを後にし、大学近くまで戻る。
北央大学の学生御用達の個室居酒屋でささやかながらも賑やかな宴が行われていた。
思い出話に花を咲かせ、飲み進めるお酒の量に比例する形で、
一つの日常との別れを実感するのであった。
5人は店を出る。
誰から帰りを切り出すのか、なぜか自動的に繰り広げられる意味の無い心理戦が開かれようとしていた。
「みんな!本当にありがとう!楽しかった!本当に!じゃあ・・・またね・・・!」
心理戦に終止符を打ったのは室橋の言葉であった。
軽音楽サークルの創始者であり、このバンドのリーダー。
そう考えれば、この終止符はこの上なく最適な形で打たれたと各々が感じていたことだろう。
「雪乃センパイ~。もっと一緒にいたいですよ~。」
唐突に中田が室橋に泣きつく。相当酔いが回っていたのだろう。
「ちょっと未央ちゃん!?どうしたの!?大げさよ、今生の別れってわけじゃないんだから。ね?」
「分かってるけど・・・でも・・・。」
「帰り道途中まで一緒でしょ?ほら!もう少しだけ一緒に居られる!ね?一緒に帰りましょ?」
「あ、ほんとですね!・・・あっ」
「おっと、危ない」
よろけて転びそうになった中田を古間が咄嗟に支える。
「えへへ、ちょっと飲みすぎちゃいました。」
「ったく。しょうがないな。雪乃、家近いだろ?取り敢えず行くぞ。」
「そうね・・・その方がいいかも。」
「俺、中田背負うから、俺と中田のギター持ってくれるか?ちょっと重いけど。」
「わかった。ほんとに、私の家が近くてよかったわ。」
「えへへ、ごめんなさ~い。」
古間が中田を背負い、室橋が3人分の楽器をもって帰路につく。
「あの後ろ姿、完全に家族ですね。」
3人の後ろ姿を見送りながら音羽が呟いた。
「いやいや、年齢的にかなり無理があるだろ。」
それに白神がツッコミを入れる。
「確かにそうですね、でも・・・古間さんと雪乃さんが築く家庭はこんな感じだと思います。」
「え!?あの二人結婚するの!?」
「もしもの話です。・・・さて、そろそろお開きにしましょうか。私、こっちなんで。それでは、また。」
淡々とした別れを告げ、音羽も自宅へと歩き出した。
音羽は自宅につく。荷物を置き、簡単に片づける。上着を脱ぎ、ベッドの上に放り投げる。手を洗い、冷蔵庫の中を漁る。
缶チューハイを取り出しその場で開ける。
ベランダに出て、風にあたりながら口をつける。再びアルコールを体内に注ぎ入れる。
「・・・本当に、あっという間でしたね、本当に」
物語の一幕が終わった。どんなに綺麗な形でも、『終わり』ってだけで切ない気持ちになるのはなぜだろうか。なんてことを考えていた。
「でも、すぐに次は始まる。『何かが終わると同時に何かがはじまる』とはよく言ったものですね。」
テーブルの上に乱雑に置かれたパスポートに目を向ける。
すぐ近くまで控えた留学のために取得したものだ。
何となくスマホの画面を開く、何となく写真フォルダを開く、何となくサークルでの写真を開く。何となくスマホの画面をスライドさせる。次々に写真が流れるように視界に入る。
「本当に、大好きだったんですね・・・サークル《ここ》が。」
音羽の胸の奥がジーンと熱くなる。
それをごまかすように、缶チューハイに口を付ける。
「・・・もうなくなってしまいました。もう1本取ってこないと。」
再び冷蔵庫のもとへ行き、2本目の缶チューハイを取り出す。
(着信音♬)
スマホが鳴り、着信を知らせる。
「・・・白神さん?」
画面に表示された名前は、とあるサークルメンバーであった。
「白神さん?どうされましたか?」
「音羽、急にごめん。今大丈夫か?」
「はい。もう1本お酒を飲んでいたら危なかったですが。」
「まだ飲んでたのかよ!?ほんとに酒強いな!」
「それで、どうされました?」
「おっと、ごめん。・・・あのさ、今から、会えないか?」
「え?どうしてです?電話じゃダメですか?」
「何というか・・・直接伝えたいことがあって。」
「・・・わかりました。明日は1日中寝るつもりでしたので別に構いません。どこに行けばいいですか?」
「今、音羽の家の方に向かってて、大学の近くにいる。」
「では、大学前で待っていてください。今から向かいます。」
「ありがとな。待ってる。」
音羽は、ベッドに放り投げた上着を再び羽織り、外へ出る。
アパートの階段を下り、大学へと向かう。
音羽の家は、一応大学から徒歩圏内に位置しており、数十分で大学に辿り着く距離である。
大学の正門前で音羽を待つ白神の姿があった。
「白神さん。お待たせしました。」
「音羽、急に呼び出してごめん。」
「いえ、別に構いません。それで、要件は?」
「えっと・・・あのさ、少し歩かないか?」
「?・・・ここじゃダメなんですか?」
「何というか・・・音羽と歩きたくてさ。」
「白神さん、なんか変です。」
「そ、そうか?・・・へへっ、そうかもな。いいから・・・行くぞ!」
白神は音羽の手を掴み歩き出す。
状況を理解できない音羽は、手を引かれる形で一足遅く歩き出した。
「覚えてるか?俺たちが初めて会った日のこと。」
「・・・。顔合わせの時ですか?」
「そうそう。音羽さ、最初俺のこと嫌いだったろ?」
「嫌いというか、五月蠅いのがいるなとは思ってました。」
「おいおい、言ってくれるね~。でもさ、ボロボロの部屋をみんなで大改造してさ、曲作ってみたり、ライブハウスやイベントだけじゃなくて路上でライブしてみたりしてさ。楽しかったよな!」
「そうですね、白神さん。いつも思いっきり楽しんでましたね。もちろん、私も楽しかったですが。」
「・・・あのさ、今でも俺のこと苦手か?」
「?そんなわけないじゃないですか。あくまで第一印象の話です。」
「じゃあさ。」
白神が足を止める。
まもなくして音羽も足を止め、振り返る形で白神を見る。
「音羽、俺と付き合ってくれないか?」
姿勢を正した白神が音羽に言う。
少しの間、二人に流れる時間が止まる。
「・・・わかりませんね。」
「え?」
「わからないと言ったんです。白神さんは私のことが『好き』なのですか?」
「えっと・・・そう言ってるだろ?」
「いつからですか?私のどんなところが?」
「いつって言われても・・・いつの間に?音羽は、優しくて、素直で、いつも落ち着いていて、一緒にいて安心感があるし・・・可愛いし。」
「そんな人、探せばいくらでもいると思いますよ?」
「俺は、音羽が良いんだ!」
「・・・私は、ピアノが好きです。」
「え?」
「私の人生はピアノと共にありました。ピアノが好きだから留学もします。もっと向き合いたいから。仮に白神さんが私のことを好きだとして、それは、私がピアノが好きなのと何が違うのですか?」
「えっと・・・」
「誤解しないでほしいのが、私はこのサークルが好きです。雪乃さんも古間さんも未央さんも、もちろん白神さんも好きです。この好きと何が違うのですか?」
「俺にとって、音羽が『好き』ってのは、もっと、こう・・・特別で・・・」
「だとしたら、尚更わかりません。私にとって、このサークルは特別な存在でした。でも、この物語はもう終わりました。人との繋がりは簡単には切れないでしょうが、私たちの音楽譚は終わったのです。それで言うと、私にとっての『特別な好き』はピアノです。」
「・・・」
静寂がその場を支配する。
白神の視界がゆっくりと色を失っていく、思考が緊急停止を行う。
あらゆる事物への認識を拒む。
「別に白神さんが嫌いというわけではありません。それでは、また。」
音羽のこの言葉が、社交辞令でもオブラートに包まれた言葉でもなく、音羽の素直な言葉であることを白神はよく理解していた。
だからこそ、その心を深く抉ることになった。音羽は気づく由も無かった。
音羽は、そのまま来た道を戻る形で帰路につく、立ち尽くす白神の横を通過する。
その後、音羽と白神が出会うことはなかった。
時が経ち、4月下旬、サークルの誰もが白神と連絡が取れなくなった。
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