第24章 if焦がれ
「あたし、たまに思うんだよね。選挙結果が逆だったらどうなんだろうって。」
「まぁ、気持ちはわかるが、ifの話をしてもキリがないだろう。」
「そう、そこ!あたしや親父はそんなに気にしない。仮にあたしが落選したとしても、何かしらの形で生徒会に入ったり、別に実行委員会でもいい。何なら、そういうのに入れなくたって、特になんともない。友達が減るわけでも成績が下がるわけでもない。内申点は別の部分で上げればいい。普通の一生徒という立場で変わらず楽しい日常が続くだけ。」
そういって、美聡は大量のお土産が入った袋からパックのコーヒー牛乳を取り出しストローを指す。パッケージから見るに地域の牧場のものだろう。乾いた口を潤すように一口飲み、話を続ける。
「むしろ、私は高2で立候補したわけだから、ある意味チャレンジ枠。落選して別の立場になったとしても、褒められるだろうし、何者にもなれなかったとしても、チャレンジしたってだけで、プラスでしょ?何なら来年再挑戦すればいい。その時は当選のことしか考えてなかったけど、冷静に考えればどう転んでもプラスなの。」
『失敗するなら早いうちが良い。その方が潰しがきくから。』それは、博司が学生によく伝えていることである。最初から上手くいくことの方が少ないのだから、早めに失敗して早めに見直し、必要であれば方向転換すれば良い。それは、限られた期間で研究成果を出すことが求められる大学生にとって大切なマインドセットであり、守ってくれる大人がいるという面では全ての学生にあてはまるだろう。だからこそ、博司はただ、美聡の話に耳を傾けるしかなかったのである。
「でも、あの先輩は違った。当選していれば、二人で幸せな学校生活が送れてた。そっから、あの二人が・・・特に先輩があの状態になったということは、もしかしたら『そのifの世界』にいるのかもしれない。それも『自分にとって最も理想的なifの世界』に。なんてね。でもさ、心地よい夢って覚めた時のガッカリ感すごいじゃん?あれの究極版なんじゃないかな?なーんて思ったりするんだ。だから、覚めないことを選ぶ。」
「美聡、もしかして、後悔しているのか?」
「はぁ~、親父はわかってないねー。あたし、何にも悪いことしてないのに反省する必要なくね?罪悪感も微塵も感じてない。確かにあたしには、そこまで強く想い合える相手はいないけど、あたしたちはフェアに戦ってフェアな勝敗がついた。それだけだよ。」
そうはいかない。人はそこまで簡単なんかじゃない。博司はよく知っていた。絶対的な確信を持った認識が大きく崩れる時、人は大きかれ小さかれ壊れるものである。
ある優秀な生徒がいた。農業高校には珍しく難関大学を目指せるほどであった。本人もそれを望んだ。周囲は『絶対に合格する』と彼を持ち上げた。本人もそう信じて疑わなかった。
『不合格』
進路指導室の時が一瞬止まった。その静寂を一番先に破ったのは彼の足音であった。
ヨロヨロと力なく進路指導室を出る。その刹那、その足音は廊下を駆ける速いものに変わった。博司はその生徒と廊下ですれ違う。来年度の農業機械の授業で使う教材用に購入したジャンク品の原動機を台車に乗せて運び入れている最中であった。目が合う。生徒玄関を飛び出す後ろ姿。
「待ちなさい!」
台車をその場に置き、その背中を追いかける。学校から少し離れた河川敷でその背中を捉え、学校に戻すことができた。その後の進路指導は博司が主となって行うことになったもののその生徒は心ここに在らずであり、やがて学校に来なくなり、やがて入院することになった。全てが遅れた、美聡の言葉を借りるのであれば学校側は「最も理想的なif」に捕らわれ、そうでなかった時の想定を、準備をしていなかったのである。当時の博司は進路指導主任でもなければその生徒の担任でもなかったわけであるが、それを境に自身の進路指導を見つめ直し、想定できる全ての結果に対応できるようにしたわけである。今思えば当たり前のことであるが。しかし、この予測困難な時代において、前倒しで求められる高度で多様な能力を一体どれくらいの若者が習得できるのだろうか。博司ですら、現場の中で徐々に身に着けていった能力を学生の内に身に付けられる者がどのくらいいるのだろうか。
「美聡、それは出来る奴の考え方だよ。」
「・・・確かにね。」
「さぁ、そろそろ戻ろう。」
「親父、それ飲んじゃいな。」
美聡に言われ、手元にある存在を忘れられ、すっかり液体と化したソフトクリームを一気に飲み干した。
車に戻り、再度帰路につく。しばらくすると2人娘たちに加え、美聡も眠りに落ちていた。
「ひろくん、美聡とちゃんとお話しできたみたいね。」
「ん・・・。ああ、確かに久々にしっかりと話したが、どうして?」
「美聡の顔を見てると何となくね。あの子、しっかりしているから心配なの。」
「・・・そうだな。」
「ひろくん、また難しいこと考えてる?」
「・・・朱美。『ifの世界線』って想像したことある?」
「『もっとこうすればよかった』とか『こっちを選んでいれば』みたいな?そりゃあるわよ。でも、今が一番幸せだから、その全てに間違いなんてなかったって今なら自信を持って言えるかな?」
「・・・朱美、今度久々に2人でご飯でも行かないか?」
「え?いいけど、どうして?」
「いいから。行くぞ。」
博司にとって照れを隠すには、それが限界であった。
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