眼下に広がる満天の星
今井士郎
1. 暗闇のアイドリング
薄いベニヤ板越しに聞こえてくるのは、私の中学時代に流行っていたJ-POP。そして観客のざわめき。
「ざわざわ」としか言いようのないくらいの声と音に交じって、「ご来場ありがとうございます」という、男性にしては甲高い横山さんの声が聞こえる。他にも、「三限どうしたんだよ?」「さぼりー」とかいう、やけに通るやりとりが時折聞こえてきた。
視界は暗い。観客席からベニヤと暗幕を隔てて、「こちら側」の照明は消えている。観客席からの照り返しが、さらに乱反射した、か弱い明かりで、かろうじて物が見えている状態だ。そんな暗がりの中、私は地べたに腰を下ろしていた。体育座りで丸まって、漫画だったら凍り付いているか、ガタガタ震えているくらいのイラストになりそうな心境だ。
ふと、横にしゃがみ込む人の気配がした。風がささやかに流れてきたのを感じる。
「大丈夫?」
私の耳に顔を近づけて、耳打ち。自分の首が軋む幻聴を聞きながら、私は相手に向き直った。
脳内で、声のボリュームを調整する。相手は「ん?」と言いながら、今度は私に耳を向けていた。私が口を近づける。
「ヤバイデス」
小さすぎず、なにより大きすぎず。暗幕とベニヤの薄さに勝ってしまわないよう気を使った私の声は、震えながらもちゃんと相手に届いたようだ。
「うん、確かにヤバそうだ」
脚を抱え込んでいた私の右手が取られて、両手に包み込まれた。
「
「キンキンだね。緊張してる。明日はカイロでも買ってこようか。橋本さん、冷え性?」
「まあ」
「そっかー」
お互いにぼそぼそと話す中で、私の正面に移動した設楽さんは、今度は私の両手を取り、軽く揺さぶった。手が温かい。
日頃、他人に触れることなど滅多にないので、人の体が温かくて柔らかいという当たり前の感覚に、少し戸惑った。
しかし、陽キャってすげーわー。女同士とはいえ、いきなり手を握るとか、普通に考えつかないし。こんな感じで、この先輩は男たちも骨抜きにしているのだろうか。飲み会では、そんな様子もなかったと思うんだけど。
「ちょっとはあったまってきたかな?」
たしかに。完全冷凍だった私の気持ちと体は、安い居酒屋でうっかり出てくる、溶けかけの刺身くらいには温まっていた。……私は未成年だからね。お酒は飲んでないけどね。あったんすよ、そういう店。シャリシャリ。
「セリフ、入ってる?」
「出てくる気がしないんですよ」
「第一声なんだから、それだけは出してよ? だーいじょうぶ。そっから先は、なるようになるから。言ってみ?」
設楽さんは、また耳を近づけてくる。近いなこの人。いい匂いしそう。
「『もう一回言ってもらえますか?』」
設楽さんの声が聞き取れなかったわけではない。
設楽さんは、ほとんど壁ドンするような姿勢で私の横に戻りながらささやいた。
(オッケー)
演劇サークル「劇団プリキーマ」、11月の本公演。木曜
今回の作品タイトルは『せっかくの
捕まったことに気付いた哀れな人質のセリフは、問題なく出てきてくれた。
今日は四日間公演の初日。
大学一年生の私はこれから、人生で初めての舞台に上がる。
観客が入場を始めてから、本番までは三十分。あと、何分の猶予があるのか、腕時計もスマホも持たない今の私にはわからなかった。
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