ツクモガミン

平中なごん

一 重大事故

 国内某所、どこにでもあるような某地方都市……。


 豪雨に見舞われた曇天の夜空に、時折、眩い稲光が光り輝く……その一瞬の瞬きに、山上に建つ白い巨塔が闇に浮かび上がる。


 一見、大きな病院のように見えるその建物は、表向き民間企業の製薬研究施設を称してはいるが、じつは偽装された太古の隠されし叡智を探求する秘密機関──国立オカルト科学研究所である。


 時刻は夜九時。勤務時間も終わり、照明の落とされた薄暗いラボに、カツーン、カツーン…と甲高い足音が木霊する。


 それは白衣の裾を颯爽と翻して闇を闊歩する、タイトなスカートから伸びる生脚も艶めかしい黒髪の美人研究員、Dr.アシアのヒールが奏でるものだ。


 明かりも点けないまま、冷蔵保管庫の前まで歩み寄ったDr.アシアは、ロックを解除すると中から50cmほどの透明な円筒形ケースを取り出す。


「フフ…これでわたしも成功者の仲間入りだわ」


 そして、その中に詰まった水色の液体を非常灯の光に透かして眺めながら、彼女はその顔に妖艶な笑みを浮かべる。


「そこまでだ、Dr.アシア。君はここで何をやっているのかね?」


「…!?」


 だが、突然、背後から男の声に実績され、彼女の美貌からは一瞬にして愉悦の笑みが消え去る。


「ど、Dr.アベ……」


 続いて照明が点けられ、パッとラボ内が明るくなると、振り返った背後には白髪頭の厳格そうな老翁が一人、立っていた。


 白い口髭を生やしたその人物も白衣を纏い、彼女同様、この施設の研究者であることを外見からも主張しているが、この老翁はDr.アベ。Dr.アシアの上司にして、ここのチーフ研究員でもある。


「ど、どうして……今夜はもう帰られたんじゃ……」


 手にした容器を背中に隠しながら、動揺したアシアは譫言うわごとのように呟く。


「なに、ネズミを誘き出す罠を張らせてもらったんじゃ。やはり君はカサブレア社の産業スパイだったか」


 対するDr.アベは彼女の眼を真っ直ぐに見つめ、射竦めるようにして厳しい口調で答える。


「な、なんのことかしら? わたしはただ、忘れ物を取りにきただけで……」


「ほう…その後に隠したものが忘れ物かね? 勝手に持ち出したそれが何よりの証拠。すでにこの施設の出入口はすべて固めてある。もうどこへも逃げることはできんぞ? さあ、おとなしくそれを返して投降するんじゃ」


 この期に及んでなお惚けようとするアシアであるが、無論、アベの追求が弱まることはない。


「い、いやよ! この〝TMGガス〟の開発はわたしの功績よ! このガスは物質に記憶された情報を惹起させ、ネットワークを構築することで意識を生み出す……これを使えば、まったく新らしいAIも…いいえ、生命すらも作り出せるのよ? なのに、こんな田舎の研究所に眠らせとくなんて宝の持ち腐れだわ!」


「違う! それはみんなで造ったものだ。君だけの力じゃない。それに、もしそのガスが外界に漏れたりなどしたら、いったいどんな被害がもたらされることか……さあ、それをこちらへ渡しなさい!」


 最早、言い逃れはできないと悟るも素直に非を認めないアシアを、Dr.アベはなんとか説得しようと試みる。


「いや! ぜったいいやよ! これでわたしは科学史に名を残すのよ!」


「ま、待ちなさい! カサブレラ社はそれを軍事利用するつもりじゃ! 君もそれはわかっておるじゃろう!」


 だが、諦めるどころか逃げようと駆け出すアシアを、慌ててアベは掴みかかって止める。


「どう使おうとかまわないわ! とにかくわたしは名声が得たいのよ!」


「目を覚ますんじゃDr.アシア! そんなことをしても歴史に悪名を残すだけじゃ!」


 アシアの手にした容器をアベも掴み、揉み合い、言い争いを続ける二人……と、そうこうする内にさらなる悲劇が起きてしまう。


「あっ…!?」


「ああ…!」


 なんと、容器がアシアの手から滑り、床に落ちて割れてしまったのだ。


 パリン…と透明な円柱が割れた瞬間、中に入っていた水色の液体はすぐさま気化して拡散し始める……。


「な、なんということじゃ……」


「わ、わたしの研究成果が……」


 気化すると無色透明なために視認できないが、ラボ内を満たすそのガスに、二人はお互いに違う意味で驚愕している。


 と、その時。部屋の隅に置かれていた医療用廃棄物入れの箱がガタガタ…と不意に激しく揺れ出し、中にある割れた試験管や注射器がひとりでに外へと溢れ出す……いや、溢れ出すばかりか、それらは驚くことにも空中に浮かんでいるではないか!


「ま、マズイ! Dr.アシア、早く逃げるんじゃ!」


 その現象に何かを察したDr.アベは、慌ててアシアを促すとともに自身も出口の方へと踵を返す。


「ひ、ひぃ……」


 だが、あまりのことに固まったまま動けずにいるアシアへ、宙に浮かんだガラス片や注射器の群が、その鋭利な先端を向けて一斉に飛びかかった──。

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