ひかりを閉じ込めた日

@east_h

ひかりを閉じ込めた日

 あの日、ひかりを手に入れた。


 ずっとあの子は手先が器用だった。誕生日にプレゼントしてくれた手作り

の小さな巾着には、今もお揃いのキーホルダーが仕舞われている。色違いのイルカも、あの子が選んでくれたのだ。

 あの子が赤で、わたしが青。

 

 小さな巾着にはキラキラ光を反射する青いビーズが赤い糸で縫い付けられている。あの子が好きな赤色の糸を使って縫い付けられているのは私の名前で、ところどころずれているのはご愛嬌だろう。

「ねえ、あーちゃん! またそんなの見てるの」

「そんなのって、あんたがくれたやつでしょ」

 夏だ。肩までまくりあげたTシャツに、可愛いキャラクターのピンで前髪を止めておでこを丸出しにしている咲輝さきを見るたびに思う。夏休みの運動部とはいえ、最近の酷暑のせいで練習時間自体は長くない。どうせ行く場所もないのだし

と同じ時間に登校して、図書室で時間を潰して、咲輝の部活が終わるのを待つ。大学受験を控えた三年生が少しいる程度で、人の少ない図書室は日差しもカーテンで遮られ、空調も適度に保たれていて過ごしやすい。咲輝のようにラフな格好をしている生徒のほうが少なかった。彼女だけが夏の輪郭をしている。


 咲輝が涼んだ頃合いで、読んでいた本を閉じる。活字の海では、人殺しが項垂れて懺悔していた。

 明日までそこで、項垂れていてね。

 

「どっか寄る?」

 並んで自転車を押す。普段の放課後であれば教室に居残っても良いけれど、休み中にエアコンがついていないので、時間を潰すならどこか場所を探す必要がある。毎日カラオケに行けるほど、お小遣いに余裕はないし。

「うち、来る? 今日親いないし」

 黙りこくったわたしは、さらに沈黙を続けることになった。高校生にもなって、幼馴染の家に行く機会はそうそうない。小さいときの自分を知っている咲輝のご両親に会うのが気恥ずかしいのが半分、申し訳ないのが半分。

「あーちゃんが嫌なら、違うとこでいいけど」

「いや、じゃない」

「なにそれ! 照れてんの? ポテチくらいなら出すよ」

「めっちゃ汗臭いけど」

「汗臭さなら負けないって! 嗅ぐ?」

「求めてない求めてない」

 少し私より前を進んで、咲輝は振り返って笑った。

「じゃあうち来てよ! わたしもシャワー浴びたいし」

 焼けつくような暑さに背中を押されて、わたしは頷いた。


 咲輝は本当にシャワーを浴びに消えた。

 いくら何でも無防備すぎやしないかと、ひとり取り残された咲輝の部屋を見回す。いや、信用されてるのはありがたいけど、ありがたいけど、ね。

 部屋には可愛らしいぬいぐるみと並んで、何年も前に一緒に撮ってもらった写真が立てかけてある。写真の中の咲輝は、お気に入りの裁縫セットを抱えていた。ほかのクラスメイトと同じように指定のカタログから選んだ、ありきたりなデザインだったけれど、咲輝はそれをずっと大事にしていた。家庭科の時間は言うまでもなく、休みの日でも時間さえあれば咲輝は何かを作っていた。わたしがいつも持ち歩いている巾着もその作品のうちのひとつで、わざわざ誕生日にプレゼントしてくれたのだ。何色が好き? と聞かれて軽い気持ちで青が好きと答えたから、巾着は青い。それ以来、わたしの周りには青色が溢れている。

 海が好きだから、青が好きだ。水中から見上げた太陽の光が、綺麗なレースのカーテンみたいに揺れるから。


 鞄から読みかけの本を取り出して、開く。懺悔の時間は、まだ少し続きそうだった。

 

 溺死するくらいの勢いで、シャワーを浴びる。

 ついつい連れ込んじゃったけど、絶対にあーちゃんは気にしてる。だって私の部屋には、何年も前の写真とか結構置いてあるし。悪いことしたなーって気持ちが半分、ラッキーかも、が半分。ごめんね、あーちゃん。私たぶん、あーちゃんが思ってるみたいな良い子じゃない。

 今日も図書室であれ見てて、ちょっとだけ笑いそうになった。ね、いつまでそんなの気にしてるの。気にしてくれてんの。

 

 小学生のとき、気に入ってた裁縫セットがなくなった。誰かに隠されたのか、自分で無くしたのか、今となってはわかんないけど。裁縫セット自体にそんなに未練はなかったけど、あーちゃんにもう褒めてもらえないかもって思ったら、死んじゃいそうなくらい悲しくてずっとずっと泣いてた。ちょうど誕生日に小物入れをプレゼントしたすぐあとのことだったから、「すごい! ありがとう! 大好き!」ってもう言ってもらえないかなって、悲しくて。

 悪いことしたのは、こっちのほうなんだ。

 シャワーを止めた。鏡に映る自分は、いつもと変わらない。

 優しくて、可愛い灯里あかりが大好きな、自分のまま。


「お裁縫なんか出来なくなっても、さーちゃんのこと大好きだよ」


 それ以来、咲輝は手芸をやめた。あんなに楽しそうに色んなものを作っていたのに、きっぱりとやめた。泣いている咲輝を慰めたかったのは本心なのに、言葉を致命的に間違えたのだ。あんなに大好きだったことを、「なんか」呼ばわりした。私はきっと、親友なのに。咲輝が大事にしているものを、一緒に大事にしたかったのに。後ろめたさが、不意に顔を出す。わたしが咲輝と一緒にいるのは、友達だからで、楽しいからで、罪悪感を濁すためじゃないって、自分だけが信じ切れない。

 自分の名前を縫ったビーズの青を見て、咲輝がこれをプレゼントしてくれた日のことを思い出す。青いきらめきは、海から見上げた光と同じだ。

 きっともう手に入らない。


「お待たせー」

「おかえり」

 部屋に戻ると、あーちゃんは正座して本を読んでいた。相変わらずお行儀がいい。開いたままのスクバから、青い小物入れが見える。ほんとに、可愛い。もう十年以上経つのに、やっぱりまだ気にしてくれてるんだ。

「咲輝はもう課題終わってるの?」

「そこそこ? ギリで焦ることにはなんないと思うよ」

「お、流石じゃん。あんだけテニスしてて良く勉強する時間あるね」

「優秀なあーちゃんのご指導があるからですよぉ、休み前の小テストもあーちゃんが予想してた例題と似た問題出たし! マジ感謝だわ」

 あーちゃんは本を閉じて鞄にしまった。一つに結った髪が流れる。代わりに英語のワークを取り出して、机に広げた。カンカン、と水色のシャーペンが机を叩く。あ、それ私が去年あげたやつ。

「ちゃんと咲輝が対策してるからでしょ。自分の力だよ」

「あー! またそう言って謙遜して! やめてよやめてよ、生徒会だし成績良いし優しいし可愛いし、多少自慢気にしてくれないとこっちが困るって」

「可愛いは咲輝にしか言われないけどね」

「みんな思ってても言わないだけなの! 私がよーく目を光らせてるからね」

「言葉の使い方間違ってるでしょ、それは」

「間違ってませんー」

 咲輝の正面に座って、同じように英語のワークを出す。あーちゃんと同じレベルの大学に行くためには、今のうちから準備しとかなきゃいけないからね。

 あーちゃんは全部が丁寧で、綺麗だ。髪の毛から爪先まで、気を配っているんだろうな、っていうのがわかる。そしてそれは、クラスメイト相手にも同じで、誰にだって笑顔だし、優しい。優等生って言葉のモデルを私が選ぶなら、きっとそれはあーちゃんだ。

 あーあ、誰にも取られたくない。

 小物入れの名前を赤い糸で縫った理由は、赤が好きってだけじゃないんだけどな。


 あの日、あの時に私が手芸をやめたら、ちょっとはあーちゃんが気にするかなって思った。嘘とか吐けない子だから、手芸やんなくなった私から離れるとか、逆に出来ないんじゃないかって。人気者のあーちゃんの近くにいるためには、なんだってやろうって、小さい私は思ったんだよね。

 どんな理由であーちゃんが今も私と一緒にいてくれるのかは分からない。

 

 私のひかりは未だ私の隣に縫い留められている。

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