もしかして霊障?

平中なごん

もしかして霊障?(※一話完結)

 以前、市の嘱託職員として埋蔵文化財の調査の仕事をしていた。平たくいえば、遺跡の発掘調査だ。


 遺跡の発掘と聞くと、多くの人が縄文時代の竪穴住居だったり、前方後円墳のような古墳だったりを想像することかと思われるが、〝遺跡〟と称されるものは何もそんな古い時代のものばかりではない。


 戦国時代の山城などはもちろんのこと、たとえば江戸時代の城下町跡なんかも現代の街並みの下に眠っている近世遺跡であるし、さらに新しく、明治の近代化を象徴する工場跡や駅舎の跡なども調査対象となる立派な近代遺跡だ。


 つまり、廃墟化したり、地面の下に埋もれていたりなんかして、考古学的アプローチで歴史を探究する不動産的資料はすべて〝遺跡〟となるわけである。


 そんな遺跡の中には〝戦争遺跡(略して戦跡とも)〟という少し特殊なものも存在している。


 一般的には太平洋戦争の時期に造られた軍や軍属絡みの施設跡のことをそう称しているが、廃墟マニアなどに人気な離島に残された旧日本軍の基地や、軍用機用の飛行場跡なんかもそれに当たる。


 戦中は極秘にされた情報も多く、また、終戦時、膨大な資料が軍の命令で廃棄されたため、いまだ不明な点も多い当時の実情を明らかにするのに、そうした戦争遺跡の調査も極めて重要な手段であるといえるだろう。


 さて、私が働いていたその市にも戦争遺跡があった。


 いろいろ支障をきたすといけないので詳しいことは伏せるが、戦争末期、空爆を逃れるために名古屋から疎開してきた戦闘機の工場跡だ。


 悪化の一途をたどる戦局の中、起死回生のジェット戦闘機を製造しようとしていたなんていう話もある。


 ただし、建設されたのが終戦の年であったため、計画はあまりにも遅くに失し、けっきょくは使われぬまま放置されている。


 その疎開工場には山をくり抜いて作った地下工場と、その山腹に築かれた半地下工場があり、半地下工場の方は戦後埋め戻され、地元民により農地として利用されていた。


 その場所が田地の区画整理のために大規模に削られることとなり、文化財保護法に則り、壊される前に記録保存をする緊急発掘調査を行う運びとなったのである。


 その担当の一人に指名されたのが私だった。


 当時の写真を見るに、半地下工場は竪穴住居のように地面を掘り、その上にかまぼこ形の屋根を乗せたような造りであるが、実際、現場に赴いてみればその痕跡はほとんどなく、山肌に段々田んぼが並ぶ長閑な景色だけが広がっていた。


 わずかに凹凸の残る地形から、おそらくそこがそうじゃないかと推測できるくらいのものである。


 地下工場の方は一応現存しているし、有名な〝松代の大本営〟にも似た構造となっているため、それなりには知られた地元を代表する戦争遺跡となっていたが、農地と化した現場の風景が表す通り、半地下工場の方はすっかり忘れ去られ、市民でもその存在を知る者は皆無に近い。


 かくいう私自身、この調査に関わるまではまったく知らなかった。


 それでも、米軍の撮影した航空写真や先行する文献・聞き取り調査のデータなどを元に、目星をつけた場所での発掘は順調に進み、半地下に地面を掘った痕跡はもちろん、屋根材に使われていた木材や塗料など、想像した以上に残骸の残りもよく、なかなかに有意義な成果がそこでは得られた。


 ところが、まったくの想定外にも戦争遺跡とはまた別に、柱を立てるための巨大な礎石を持つ、中世のものと思しき館の跡までが出土してしまう。


 じつは、地下工場の掘られた山というのはこの地を治めていた戦国大名の山城跡でもあり、半地下工場のある場所はその山城に左右を挟まれた格好になっているのだが、となると、見つかった建物跡は山城に付属する、戦国大名の居館跡だった可能性も出てくる。もしそれが事実であれば大発見だ。


 歴史的大発見……学術的には喜ばしいことであるが、仕事的には少々困ったことになったりもする。


 緊急発掘調査は、一種、開発側との闘いでもある。


 調査期間中、開発側としては工事を止められている状況にあり、一刻も早く調査を終えてもらいたいというのが向こうの本音だ。


 なので、ギリギリのところで調査期間が定められており、想定外の仕事が増えると調査が期限までに終えられなくなる可能性が出てくるのである。


 そうでなくても余裕を持って工事を進めたい関係者は、期限までまだ猶予があるというのにジワジワとプレッシャーをかけてきたりもする。


 さりとて、出てきてしまった重要かもしれない遺構をそのまま見過ごすわけにもいかない……なんとか日程をやりくりし、できうる範囲で破壊される部分のデータをとることに努めた。


 地中深くにあり、工事で壊されない部分であれば、地下に保存されるので未来へ託すことができるのである。


 さて、そうこうしてとりあえずは無事にすべての調査を終え、早や時が経つこと十数年……そんな苦労も良い思い出となったつい最近のこと。よく視ている怪談系ユーチューバーさんのチャンネルで戦争遺跡にまつわる怪談を話していて、ふと当時のことを思い出した。


 私の場合、戦争遺跡に深く関わってはいたが、特に霊現象などがあるということはなかった。


 まあ、工場跡なので戦闘があったわけではないし、空襲を受けたこともない。その上、未操業だし、建設中の事故等で死亡者が出たなんて話もまったく聞いたりはしない。戦争関連ではあっても、極めていわく因縁のまったくない場所だ。怪異が起きないのも至極当然だろう。


 ただ、発掘作業員のお爺さんが一人、自称〝視える〟人らしく、「お姫さまの霊がいる…」みたいなことを言っていたが、私には霊感はないし、他に視えるという人もいなかったので本当かどうかは怪しい。


 そうして過去を振り返り、驚くほどに何もなかったな…という感想を抱く私だったが。


 ああ、そういえば……。


 よくよく思い起こしてみれば、その調査中、私は変な咳の症状を患っていた。


 喘息なのか気管支炎なのか、一月ほどずっと咳が止まらず、ついには咳をするたびに胸の脇へ激痛が走るまでになった。


 もしかして、咳をしすぎて肋骨が疲労骨折した?


 とも思ったが、先輩職員に「骨折してたら息できないよ」と言われたので、まあ、そんなもんか…とそのまま我慢して調査を成し遂げ、一仕事終えたので自分へのご褒美にと台湾旅行へも行って来たりしたのだが……。


 帰国後、まだ少し痛むので病院で診てもらったところ、「ああ、折れてますね」とさらっと言われた。 


 確かにレントゲンを見ると、ポキリと綺麗に肋骨の一本が折れて、すでに着きかけている亀裂が確認できる。


 骨折した状態で飛行機に乗ると気圧の関係で痛むらしいが、知らなかったとはいえ、我ながらなかなかに無謀なことをしていたものだ。


 また、これが呼水となっていろいろと思い出してきたのだが、他にも謎の痛みが背中全体を襲い、一日で治りはしたもののしばらく動けなくなるようなこともあった。


 いや、そればかりじゃない。自分の他に怪我で骨折した者も二人ほどいたように記憶している。


 確かに現場は山であるし、多少の傾斜のある場所ではあったのだが、さりとてそこまで危険な地形というわけでもなかったのにだ。


 まあ、季節は地面もコンクリートのように凍てつく真冬の頃だったし、一月ほど休みもなく連勤してたり、昼間現場を終えた後にも調査報告書というのを書く残業をしていたりしたので、そんな無理がたたって体調を崩したのかもしれないのだが、それにしても何かあるんじゃないかと勘繰りたくなるようなアクシデントの頻繁具合だ。


 ただ、やはり戦争遺跡ではあっても別にたくさんの犠牲者が出ているわけではないし……もしかして、中世の居館絡みの方か?


 隣接する山城も戦で攻められた記録はないが、城主であった戦国大名は武田信玄の侵攻により追い出されている。


 それに中世のことだ。現代とは違って血生臭い刃傷沙汰があっても不思議ではない……。


 そういえば、あの自称〝視える〟作業員のお爺さんもなんか言ってたし……。


 果たして単に偶然が重なっただけなのか、それとも何か見えざるものの介在がそこにはあったのか……これまでは霊現象など何も起きなかったと認識していたのであるが、ふと思い返してみれば、もしかして霊障だった? と、疑ってしまいたくなるような、そんな若き日の思い出である。


(もしかして霊障? 了)

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