ナイター

祐里

選球眼を鍛えろ


小松こまつくん、いつも親切にしてくれるんだけど……」


「対象にならない?」


「うん。かわいい系だし、好みじゃないからそういう対象にはならないかな」


「んー、でも優しいし、けっこういい人だよ。亜美あみのこと大事にしてくれると思うけど」


「そうかもしれないけど、壱花いちかにだって外見の好みくらいあるでしょ? わかってよ、この気持ち。あーあ、大学入ったら彼氏できると思ったのに」


 小松こまつりくは、混み合う学食で女子二人が話しているのを聞いてしまった。カフェテラス形式で丸テーブルの隣同士に座る彼女たちの、ちょうど真後ろを通った時だった。


 亜美は、陸が密かに好意を抱いていた女の子だ。聞いてはいけない会話を聞いてしまったと胸が押しつぶされそうになり、その場を逃げるように遠いテーブルを確保してB定食の天津飯を眺める。


「対象……」


 「対象にならない」のは仕方ないと、陸は自分に言い聞かせる。誰が好き好んでこんな女顔の自分を彼氏にしたがるのかと。身長と体重の数値も、一般的な二十歳の男子より控えめなのだ。


「……わたる、今日空いてるかな……」


 スマートフォンのメッセージアプリを立ち上げ、違う大学に通う友達の亘に『今日空いてる?』とメッセージを送る。すぐに返信が届き、開くと『何だよ』と表示された。


『今日一緒にご飯行こう』


『いいけど』


『横浜駅西口交番前18時』


『おけ』


 約束は短い言葉のやり取りでみるみるうちに取り付けられたが、陸の気持ちは晴れなかった。



 ◇◇



「んだよ、何泣いてんだよ」


「え、別に泣いてないけど」


 混雑する横浜駅西口交番前に到着して早々、亘は陸に向かって吐き捨てるように言った。数分前から待っていた陸は例の会話を思い出してしまい、自然と視線が落ちていたようだ。


「何か嫌なことでもあったか」


 亘は大きな体を丸めるように、陸の顔を覗き込んだ。


「……何も」


「何もないわけねえだろが、いつもうるせえくらいなのに」


 ただでさえいかつい顔つきなのに、眉をひそめて疑念を露わにする亘の顔はとても怖い。その怖さに負けたわけではないが、陸は「……だって」と、落ち込んでいる理由を話し始めた。


「亜美ちゃんが……」


「あ?」


「僕のこと、好みじゃないからそういう対象にならないって言ってるの……聞いちゃって……僕がかわいい系だからって……」


 泣き言を漏らす陸に「行くぞ」とだけ言い、亘は歩き出す。陸はただ付いていくだけだ。移動中、二人はあまり話をしなかった。そんな時間を、陸は不思議と心地好く感じていた。JRの改札を通り、電車に乗って関内駅で降りる。そこから五分もかからずに到着したのは、横浜スタジアムの入口だった。


 亘は陸に「ナイター見るぞ」と、決まり事のように言った。幸運なことに当日券は売り切れておらず、彼は売り場で陸の分のチケットも買ってくれた。プロ野球のナイターの試合は開始されたばかりで、観客たちの熱がこもった応援も始まっている。


「後攻の、打順が二番の選手を見てろ。外野だから見づらいが」


「え、うん、わかった」


 一巡目の打席は見逃してしまったようだ。二巡目を待ち、バッターボックスに立った二番の小さな選手に注目していると、彼は四球を選び、一塁に出た。


「高校野球の全国大会には出場したことがない。大学野球でプロ志望した選手だ」


「そうなんだ」


「開幕戦でタイムリーエラーをしでかしたこともある。怪我で登録抹消されたこともある」


「うん」


「でも返り咲いた」


「そっか」


 亘が淡々と説明する。陸は聞きながらうなずき、試合の行方を見守るだけだ。


「プロ野球選手の中で一番小柄な選手で、顔は童顔かわいい系」


「……うん」


「二塁、三塁、ショートを守れるユーティリティプレーヤーとして重宝されている」


「うん」


「華はない。が、クリーンヒットを飛ばす力がある。さっきのように選球眼も鋭い。十分チームの勝利に貢献している」


「うん」


「もちろんファンもいる。結婚もしている」


「う、ん」


 陸はいつの間にか泣いていた。涙が出ているという自覚はなかった。亘に「陸、泣くな、しっかり見ろ」と言われ、頬を触ると濡れていて、そこで初めて自分が泣いていることに気付いた。


「見て、る、よ」


 亘は陸の頭をくしゃくしゃとなでると、その後は黙って試合を見ていた。陸も何も言わなかったが、亘の優しさを思うたびに胸が熱くなっていく。


 約三十分後、陸と亘が注目していた彼は外角のストレートを思い切り引っ張り、三遊間を破る痛烈な二塁打を放った。



 ◇◇



「奢ってやったんだからしっかりしろよ。あと、おまえも選球眼を鍛えろ」


「う、うん、わかった。ありがとう、亘」


 中華料理のオーダーバイキングの店を出た陸と亘は、ぱんぱんに膨らんだ腹を押さえながら路上で話す。


「元気出たか」


「うん。すごく出た」


「ふん」


「強引だけど優しいよね、亘は」


「そうかよ。ほら、帰るぞ」


 二人の間を、夜の風が気持ちよくすり抜けていった。



 ◇◇



「小松くん、いつも学食だよね。今日一緒に食べない?」


 文化人類学の授業が終わると、上田うえだ壱花が話しかけてきた。


「あ、うん」


「今日のA定食、親子丼だって」


「えっ、何で知ってるの?」


「ふふっ」


 壱花の軽い笑い声が、陸の心にふわりと届く。


「卵料理好きなんでしょ?」


「えっ……何で……?」


「内緒だよ」


 そう言いながらくるりと踵を返して学食に向かう壱花の耳は、少し赤くなっていた。

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ナイター 祐里 @yukie_miumiu

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