第15話 ある男の想い 3(セルゲイ視点)

 結婚して彼女と過ごす内に、庶子とはいえ今までどんな扱いを受けて来たのか…と同情を禁じえなかった。


 コルネリアはこちらが気遣う言葉ひとつかけるだけで嬉しそうに喜ぶ。

 当たり前に出される温かい食事に涙した時には困惑した。


 初めてあった時の状態からある程度は予想していたが、僕は全く分かっていなかった。


 男爵家から成りあがった子爵令嬢で婚外子。

 実際、使用人として働かされていた彼女はまともな生活をして来ず、ろくに教育を受けさせてもらえなかったようだ。


 けれどそれは本人も自覚しているらしく、遅くまで図書室にいるところを何度も見かけた。

 テーブルマナーも日を追う毎に上達している。

 毎日、どれだけ努力をしているかが垣間見えた。


 初めての場所、慣れない生活に戸惑う事は多々あっただろうに…それでも決して弱音を吐かず、遠慮がちな笑顔を見せる君。


 健気に振舞う君に、思わず手を差し伸べたくなるこの気持ちは………やはり同情なのだろうか。


 そんな彼女を見て、街へ出かけないか誘ってみた。

 仕事のついでのように言ってみたが、実際は何もない。

 ただ、彼女が喜ぶことをしてあげたいと……そう思った。


 君は初めて見るものばかりのようで、とても嬉しそうに街を歩いていた。

 何を見ても驚いている君の様子に、僕の口元がゆるむ。

 たくさん話をして、たくさん笑ったね。


 帰りの馬車では子供のように寝入っていた君の隣で、その優しい吐息に愛おしさを感じた。


 ある日の休憩時間、自分で作ったという焼き菓子を持ってきたコルネリア。

 侯爵夫人が自らの手で物を作るなどありえない。

 彼女は使用人をしてきた経験からか、料理や裁縫が得意なようだった。


「お嫌でなければ……あ、いえ、し、失礼いたしました。や、やはりいつも用意されているものを…っ」

 そう言いながら、一度置いた焼き菓子を片付けようとした。


「いやっ このままでいい」

 それは単なる好奇心。

 どんなものを作ったのか食べて見たくなった。


 サクッ


 表面はカリッと、中身はふわっとやさしい食感。

 そしてアーモンドの香ばしさが口の中に広がった。

 歯ごたえも僕の好みだ。


「…おいしいよ」


「! あ、よ、よかったです! ありがとうございます!」


 僕の一言に泣き出しそうな顔で微笑んだ。


 作ってくれたのは君だ。

 お礼を言うのはこちらだと思うが……それが彼女なのだろう。


「…これからも…作ってもらえたら助かる…」

 そんな言葉が自然に口をついて出た。


「は、はいっ はい!」


 あの時の君の…嬉しそうな顔を見て思ったんだ。

 いつも君にはそんな風に笑っていて欲しいと…


 僕の中でひとつの感情きもちが大きくなっているのを感じていた。


 だけどこの笑顔を僕が粉々に壊してしまうとは、この時は思いもしなかったよ。


 

 この先……僕はコルネリアを裏切る――――…



⊷⊷⊷⊷⊷⊷⊷⊷⊷



 僕はレナータを抱き、コルネリアを裏切り、自暴自棄に陥っていた。


 まともに妻の顔を見る事ができない。

 彼女を避け続ける日々―――

  

 レナータには慰謝料を払う事、ここを辞めて欲しい事を伝えたが、当然彼女は受け入れなかった。


 自分でも薄情な事を言っていることは自覚している。

 けれど彼女の望む通りコルネリアと別れて、レナータを妻に迎えるつもりはなかった。


 レナータは僕の気持ちが変わらない事を分かってくれただろうか…

 重い心を抱えながら自分の部屋に入ると、甘い香りが鼻をつく。


と同じ匂い!」


 執務室でレナータと関係を持ってしまった時に嗅いだ香りだ。

 慌てて部屋を出ようとしたが、いつの間にかレナータがドアの前に立ちふさがっていた。


 シュッ


「これは幻魅香げんびこうを混ぜた液体です」


 顔に何かを浴びせられ、その後の記憶がなかった。


 次に気が付いた時は、コルネリアの部屋だった。

 僕の左隣にはレナータがナイフを持って立っている。


 どういう状況なのか全く分からなかった。

 渦巻く思考の中わかったのは、コルネリアに危険が迫っている事だけだった。


 僕はレナータを止めようとしたが、身体が動かない。

 レナータはコルネリアの背中目掛めがけて走り出し…


 !!!ドン!!!


「ぐっ…かはっ…!!」

 

 目の前で倒れるコルネリア。

 どんどん血だまりが出来ていく。


「セル…さ…」


 血を流しながら僕の名前を呼び、震える手を僕に差し伸べるコルネリア。

 けれど僕は身体が動かず、そんな彼女を見下ろしていた。


 今すぐ彼女を助けたいのに、身体が動かない。

 彼女が手を差し延べているのに、感情が動かない。 

 

「セルゲイ様、愛してるわ」

「俺もだよ…」


 思ってもいない言葉が口から出る。

 自分の身体なのに、何一つ思うように動かない!


 レナータの声に粟立つほどの嫌悪感が身体中を走るのに、その声にあらがえない。


 彼女が僕の頬に触れ、唇を押し付けて来た。


 身体が動かない! 

 拒絶できない!!


 僕は血だまりの中で倒れる彼女を置いて、レナータと部屋を後にした。


 ああ…コルネリア…

 もっと早く僕の気持ちを伝えていればよかった。


 君を愛していると――――…

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