第8話 見えない明日

 ピピピ…


 鳥のさえずり?

 消毒薬の匂い?


 目を開けるとそこには見覚えのない白い天井。

 左は窓、右を見ると白い衝立ついたて


 明らかに私の部屋ではないし、シュヴァイツァー家でもない。

 ここは…どこ…?


 何だか長い夢を見ていたようだ。

 楽しかったような…悲しいような…でももう覚えていない。


「うあっ! …く…っ」


 起き上がろうとして背中に激痛が走った。

 倒れるように、再びベッドに横たわる。


 痛い痛い痛い…!


 これは…夢ではない!

 私はレナータに刺されて……っ


 遠ざかるセルゲイとレナータの姿を思い出す。


「うっ…」

 とめどなくなく涙が流れた。


「おいおいっ まだ動いてはいかんぞっ!」


 恰幅かっぷくの良い体躯たいく

 黒髪に白髪交じりの頭。

 眼鏡をかけ、白衣を着た男性が衝立ついたての向こうから現れた。


 お…医者…様?

 ここは…病院…?


「あ…の…わた…し…っ」

 あわてて涙をぬぐい質問しようとするが、うまく言葉が出ない。

 そんな様子を察してか、お医者様が話し始めた。


「ここは病院だ。あんたは背中を刺されて運ばれきたんだよ。覚えているかい?」

 そう言いながら、ベッドの脇にあった木椅子に腰かける。


「運ばれて…」

 誰かが私をここまで運んでくれたの…?

 あの部屋で誰が?


「!!」


 そうだ!

 あの時、誰かいたわ!

 意識を失う前に見た空色の瞳の……っ


「あの…私を助けて下さった方は…」


「…ああ。気が向けば様子を見にくるかもしれんな」


「え?」


「あいつは気まぐれだから。さて、傷をさせてもらうよ」


「は、はい…」

 私はゆっくり起き上がり、上着を脱いだ。


 “あいつ”

 顔見知りなのかしら?


 医者せんせいは傷の様子を見、診察が始まった。

 その間、私は別の事を考えていた。


 あの空色の瞳の方が、私を助けてくれたのかしら。

 そして、ここまで運んでくれた?

 なぜ、あの場所にいたのだろう…


『最近、貴族を狙った盗っ人が横行しているから…』


 レナータの言葉を思い出した。

 もしかして盗みに入ろうと屋敷に忍び込んで、刺された私を助けてくれた…?

 盗人ぬすびとが…?


「よし、もう服を着ていいぞ。出血の割にはあまり深くなかったのが幸いだった。これは痛み止めだ」

「ありがとうございます」


 お薬と水を手渡され、飲み干す。

 今度はお医者様から質問が始まった。


「ところで、名前と連絡先を教えてくれないか? 家族に連絡したいんだ。それにその刺し傷…自分でつけたわけではなかろう? なら警ら隊にも通報しないといかんし…」


「あ…あの…」


 …連絡先…警ら隊…

 それを告げたら、セルゲイ様たちに知られてしまう。

 

 それに医師せんせいは、私を助けて下さった方から何か聞いていらっしゃるのでは?

 だとしたら下手な嘘はつけないし……どうすれば……


「わ…私は…っ あの…その…「まあまあ、いいじゃんっ 今日はさっ」


 私が答えに言いよどんでいると、それに被せるように男性の声が遮った。


「アル!」

 医師せんせいは突然現れた男性の名を呼んだ。


 黒い髪に空色の瞳。

 私は気を失う前に見た、瞳を思い出す。


 この方だ! 私を助けて下さったのは。

 あれ? 頭の上に何か白いモノが動いて…


 男の人の頭でモゾモゾ動いている物に目がいく。

 するとその塊がこちらに飛んできた。


「チュチュッ」


「ネ、ネズミ!?」


 白いネズミは、受け止めようとした私の手の上にちょこんと乗って来た。

 可愛い…


「おっと、わりぃわりぃっ ほら、おいで」


 私の手の近くに自分の手を寄せると、白いネズミはぴょんと彼の手に乗り、トトト…ッと肩にとどまった。


「こいつはリュー、俺の相棒。…っていうか、あんたネズミ平気なの? たいていの女はキャーキャー騒ぐのに」


「全然っ 白くて可愛いです」

 実家で当てがわれたのは物置小屋。

 ところどころ隙間や穴が空いている。

 虫や小動物が出入りするのは当たり前の状況だった。


「ふーん、珍しいね。まあ、あんたには聞きたい事がいろいろあるんだけど、今はとりあえず休みな。ね、叔父さん! あ、この人俺の身内っ」

 そう言うとアルという男性は、医師せんせいの肩に腕を回した。

 “身内”…だから、親しげだったのね。


「病院では医師せんせいと呼べと言っとるだろ! あと動物を院内に連れてくるなとあれほど…」


「はいはい。とにかく、ここからはだよっ」


 “俺の担当”?

 

 黒いシャツに黒のトラウザーズ。

 腰には剣をたずさえている。


 この人もお医者様?

 …には見えないけれど。


「そうだな……それに意識が戻ったばかりだし、今は安静にしてもう休みなさい」


 仕方がないという様子で、医師せんせいは質問を止めた。


「…はい、ありがとうございます」


 医師せんせいと男性は病室を出て、私はベッドに横になった。

 

「…っふぅ…」


 痛みはあるけれど、薬が効いてきたからか多少楽だ。

 助かったけれど…この先どうすればいいの?

 帰れる場所などないのに…


 私は途方に暮れながら、目を閉じた。

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