第32話 石舞台での説得

(見つけた! ヘルミーネだッ)


 グロリエンがヘルミーネを見つけたのは、エリスティアと別れてから数時間後の事だった。

 山の頂にある大きな岩に座り、足をブラブラとさせていた彼女の姿は、今の状況に場違いなほど呑気に見える。


 グロリエンはこの場所に辿り着くまでに、途中で愛馬を乗り捨て険しい山中を追跡してきたのだ。

 勇者の加護で感覚を強化させていたとはいえ、僅かなヘルミーネの気配を探るのはかなり骨の折れる仕事であった。


(ちぇ。人の気も知らないで……)


 それゆえグロリエンは安堵すると共に、呑気そうなヘルミーネの姿を見て思わず小さく舌打ちをしたようだ。

 だがすぐに気を引き締め直し、これからの事へと考えを巡らせた。


(しかしまずはあのヘルミーネが、どっちのヘルミーネなのかが問題だ)


 もし彼女が比翼の鳥に支配されたヘルミーネならば、グロリエンを見た途端に殺そうとしてくるに違いない。

 また本物のヘルミーネであったならば、再び逃げ出すかグロリエンの話を聞くか。そこはちょっと分からなかった。


(っても、俺が死ぬ可能性のある勝負に、ヘルミーネが素直に応じるワケがないんだよなあ。ハァ……)


 そもそもグロリエンを殺すのが嫌で、逃げているヘルミーネなのである。

 なのに戦う事を承知させねばならない説得の困難さを思い、グロリエンは今更ながら溜め息を吐いた。


(いっその事、ニセ者のヘルミーネである事を確認してから、なし崩し的に勝負をしてしまおうか……)


 だがグロリエンはそれが悪手である事を知っていた。

 負けるつもりは無いが万が一殺されてしまったら、本物のヘルミーネに一生消えない心の傷を負わせてしまうからだ。


 グロリエンの死によって確かに比翼の鳥は消滅し、ヘルミーネは精神支配から解放されるだろう。

 だが、解放されたヘルミーネの人生はそこからさらにと続くのだ。グロリエンを殺した者として生きてゆく人生──それは彼女にとって地獄であるに違いない。


(だからこそだ。俺たちはお互いに納得して、覚悟の上で戦わなければならないんだ)


 グロリエンはヘルミーネに襲われたら退却、逃げられたら追跡と決めて、その際にもっとも都合の良い位置にまで近づく事にする。

 退却と追跡を繰り返しながらの長丁場は覚悟の上だ。説得も一筋縄にはいかないだろう。それでも必ずやり遂げてみせようと、グロリエンは拳を強く握りしめて大きな声を張り上げた。


「ヘルミーネ! 俺だ、グロリエンだ! 今のお前はどっちだ? 本物のヘルミーネなら話がしたいッ!」


 山中に木霊こだまして響くグロリエンの声を聞いたヘルミーネは、特に慌てた様子もなく声のする方へと振り向いた。

「見つかっちゃったな」とポツリと呟いたところをみると、どうやら今の彼女は本物の方のヘルミーネのようだ。


 そのヘルミーネは座った姿勢のまま口に手を添えて、大きな声でグロリエンへと返事をした。


「今は本物のヘルミーネですわ! けれど何時またあの馬鹿女が現れるとも限りませんのよ。さっさとお帰り下さい!」

「いや帰るワケにはいかない! お前が何度逃げようと、俺は地の果てまででも追い続けるぞ!」

「そんなの迷惑です! 私もう嫌なの! さっきもニセ者の方の私が、エリスンに殴りかかろうとしていたわ! 私のせいで大切な人たちを不幸にしたくはないの!」

「俺だって同じだよ! 大切なヘルミーネが、ニセ者のせいで不幸になってゆくのは見過ごせない!」

「たっ! 大切なヘルミーネとか……キ、気障キザなこと仰るのね!」

「気障でもなんでも俺の本心だ! 改めて言おう、俺はお前を愛している!」

「あ、愛っ!! あわわ……」


 ヘルミーネは自分が沸騰した湯の様に熱くなってゆくのを感じた。おそらく顔は真っ赤になっているだろう。

 会議場でも告白されたばかりだが、何度聞かされてもヘルミーネにとっては仰天させられる事実である。


(こ、こんなの……ずるいわっ)


「聞いてくれヘルミーネ! 俺はお前の精神支配を解除する方法を思いついたんだ! 絶対解除出来るとは約束できないが、試してみる価値はある!」


 二人の大声が木霊する中での会話は、まるで山中を劇場にでもしているかの様だ。

 まさか観客がいるとは思えないが、誰かに会話を聞かれていないとも限らない。それは二人にとって望ましい事ではないだろう。


「なあヘルミーネ! お前の側まで行ってもいいか!?」

「そ、そうですわね。話をするだけなら構いませんわよ!」


 ヘルミーネはまだ熱をもったままの頬に手を当てながら、山頂の岩の上で会話をする事を承諾した。

 そこはまるで石舞台のような広いスペースで、下から見上げていたグロリエンには分からない地形である。


「眺めもいいし、ここはなかなか素敵な場所だな。ちょっと二人でピクニックをした日を思い出す」

「確かにそうですわね。あの日の事は私の楽しい想い出です」

「俺にとってもそうだよ」


 べつに喧嘩をしているワケでも、ましてや敵対しているワケでもない二人なのである。ただ状況が二人を引き離しているに過ぎないのだ。

 それゆえ気を許せばすぐにも穏やかで幸せな時間は訪れる。だが、それが許されない事も二人は自覚していた。


「そ、それで私の精神支配を解除する方法のお話でしたわね。早く致しましょう、やがて馬鹿女がまたやって来ますわ」

「ああ、そうしよう。で、その方法というのはだな────」


 ヘルミーネはグロリエンの説明を聞きながら、結局は戦う事になるというこの方法に賛同しかねていた。


 比翼の鳥に支配されているヘルミーネとの勝負にグロリエンが勝利をし、彼の死による恋愛成就を諦めさせる。

 その上で改めて普通の恋愛成就を経験させれば、精神支配は解除されるに違いないという作戦だ。


 確かに道理にかなってはいるが、グロリエンが勝負で殺される危険性が排除されているワケではない。

 そもそもそれが嫌で一生逃げ続ける覚悟までしたヘルミーネにとって、この作戦は納得出来るものではなかった。


「やはりお断りいたしますわ」

「そうか。ならば断る理由を聞かせて貰ってもいいか?」

「再三申し上げた通りです。グロリエン様を死なせたくはないですし、結果帝国と戦争になる事も絶対に嫌ですから」

「ふむ……」


 案の定、提案を拒否してきたヘルミーネに、グロリエンは落胆を見せる事はしない。

 むしろ一段と強い意志を示すかの様にして、真っ直ぐにとヘルミーネを見つめ、言葉を続けた。


「お前はたった一人きりで、本当に平和を守りきるつもりか?」

「無論ですわ。私はグロリエン様から最後まで逃げ切ってみせますので」

「俺は地の果てまでも追い続けるぞ?」

「ならば私はその先まで逃げますわ」

「そうやって二人で追いかけっこをしている間に、戦争が始まってもか?」


 ヘルミーネは一瞬の沈黙の後、不可解そうに眉根を寄せた。グロリエンの言った言葉の意味が分からなかったからだ。


「……どういう意味ですの?」

「お前を愛しているのは、俺だけではないという意味だ」

「それと戦争がどう関係するのですか」

「分からないかヘルミーネ? お前の父であるロックス公爵も兄のマッドリーも、お前を愛しているんだ。ならば許せるはずがないだろう、帝国のしたお前に対する非道を」

「そ、それはそうかもしれませんが……」

「我が国の大貴族は戦争を恐れたりはしない。そして国王陛下はそんな彼らの味方だ」


 途端にヘルミーネの顔面は蒼白となった。実のところその可能性をまったく考えてはいなかったのだ。

 だがそれを浅慮ゆえと言うのは少々酷であろう。比翼の鳥による精神支配の渦中にいながらも、必死に考えた自己犠牲という決断を誰が批判できようか。


「ど、どうしましょう……大変だわ!」


 だからグロリエンはそんなヘルミーネを責めたりはしない。むしろ彼女のした勇気ある決断を、讃えたい気持ちでさえいた。


「なあヘルミーネ。一人きりで平和を守ろうなんて寂しいこと言うな。俺とお前の二人で王国の平和を守っていこうよ」

「グロリエン様と私で……」

「俺はこう見えても勇者なんだぜ? 見くびって貰っちゃ困るな」

「そんな、見くびった事なんて一度もありませんわ! ですが……」


 そう言い淀んで目を伏せてしまったヘルミーネが、何を言わんとしていたかくらいグロリエンには分かっている。


「そうだな。確かに俺はお前との勝負にずっと負け続けている勇者だよ」


 グロリエンはヘルミーネの言葉を引取る様にして、鼻で笑いながらそう言った。

 しかしそんな自嘲気味な態度とは裏腹に、彼の目はどこか優しく、遠い昔を慈しむかのように細められる。


「ヘルミーネは憶えているだろうか? 子供の頃、俺がお前に覇王というものをどう思うかと尋ねた時の事を」

「はい、憶えています。あの時の私はたしか……大キライ! とお答えしました」


 グロリエンからの突然の昔話にヘルミーネは小首を傾げたが、その意図が分からぬままも素直に答える。


「そうだ。俺はお前のその思いを聞いて、覇王となる道を完全に捨てたんだ。戦争で他国を侵略し覇王となったところで、お前に嫌われたら意味がない」

「それじゃまるでグロリエン様は私に嫌われたくなくて、覇王の道を捨てたように聞こえますけど」

「うん、そう言っている」


 グロリエンの思わぬ告白にヘルミーネの目は大きく見開かれ、思わず声を裏返す。


「そっ、そんな理由でぇ!?」

「そんな理由とは失敬だな! まあいいや、とにかく話を最後まで聞いてくれ」


 子供の頃の昔話をするにしてはやけに真剣なグロリエンの眼差しに、ヘルミーネは息を呑み込んだまま黙ってしまったのであった。

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