第31話 山中での会遇

「ふぅ……危ない危ない! あの馬鹿女、ほんとにムカつくわっ!」


 拳を振り上げたまま大きく息を吐いたヘルミーネは、確かにエリスティアのよく知ったいつものヘルミーネだった。

 外見は何も変わってはいない。なのにさっきまであったはずの違和感は霧散して、いま初めて会ったような喜びと安堵感をエリスティアは感じている。


「えっとぉ、ヘルミン……なのぉ?」


 念のため隠形のまま姿を消してそう問い掛けたエリスティアに、ヘルミーネは少しオロオロし、虚空に向かって返答した。


「そ、そうだよ私だよッ。ほんっとごめんねエリスン!」

「じゃぁ、私を殺そうとしたのもぉ、やっぱヘルミンだったのぉ?」

「ち、違うよっ! 私だけど私じゃないの。比翼の鳥っていう呪いみたいなヤツがやったのよ!」

「呪ぃ? よく分からないんだけどぉ、悪魔憑きみたいなぁ?」

「ううん、それとは別みたい。何か帝国貴族の加護が原因らしいんだけど」


 エリスティアは「ふぅーん」と相槌は打ったものの、むろん納得などはしていない。

 それ故ヘルミーネに事の次第を詳しく説明するようにと求めた。


「もちろん説明します! あともう安全だから、エリスンの隠形も解いて大丈夫だよ。私もその方が話しやすいし」

「ホントにぃ安全なのぉ?」

「安全ですっ」

「もぅ悪魔の鳥とかにならなぃ?」

「ひ、比翼の鳥だよ。けど当分はならないと思う」

「えぇ……ぜんぜん安全っぽくないなぁ。私ぃ、そこで死んでる婆やみたいになりたくないんだけどぉー」

「死んでる!? えっ? ちょっ! それってもしかしこの人を私がッ?!!」


 確かにさっきからピクリとも動かずに、筆頭女官の老女はぐったりとしていた。

 だとしたら殺したのは自分であると思ったヘルミーネは顔面を蒼白にさせ、白目をむいた老女に顔を近づける。


「そ、そんな……。私が殺人を……」

「忠義者のぉ婆やだったんだよぉ」

「あ、あれ? で、で、でも、息……しているみたいだよこの人……」

「ほんとぉ? なぁーんだぁー」

「えっ? どういうこと?」

「もしかしたらぁ歳も歳だしぃ、心臓マヒで死んでるかもぉって思ったけどぉ。ヘルミンへの恐怖でぇ気絶してるだけだったかぁー」

「ざ、残念みたいに言わないでよ!」


 相変わらずのヘルミーネにクスッと笑いを溢したエリスティアは、ようやく安心できたのだろう。

 彼女は隠形を解くと、あらためてヘルミーネに事の次第を説明してもらった──


「ふぅーん。つまりぃ、いまヘルミンの中には二人のヘルミンがいるワケかぁー」

「そうなの、比翼の鳥っていう精神支配を受けて、グロリエン様を殺したいほど愛している私がいるの。と言うか本当に殺そうとしてたから、私が逃げて来たというワケ」


 エリスティアが「なるほどねぇー」と頷いたのを見たヘルミーネは、心から申し訳なさそうにして目を伏せた。


「ご、ごめんね、エリスンにまで迷惑をかけちゃって……」

「ヘルミンが謝る事ないよぉ。要するにぃ、お兄様が一緒にいながらもぉ、ヘルミンに呪文をかけられたのが悪いワケだしぃ」

「だけど……」

「勇者の加護持ちのくせしてぇ、お兄様ポンコツすぎでしょぉー。マジ失態ぃ」

「で、でも……」

「お兄様はぁ万死に値するよぉ」

「ば、万死……」

「だからぁお兄様に死んで貰おうよぉ。そしたらヘルミンの精神支配も解けるしぃ、めでたしめでたしぃー」

「ちょっ! エリスン!?」

「もちろん冗談だよぉー」

「もう、驚かさないでよねっ!」


 いつものヘルミーネらしい反応にクスクスと笑っているエリスティアであったが、事態の深刻さは理解していた。

 そして今のところ親友のこの危難に対して、自分が全くの役立たずである事も理解している。ついでに言うとグロリエンの失態は本気で怒っていたらしい。


「でも困ったなぁ。この馬車いまバリアに向かっているんだよねぇ。このままだとぉ、またお兄様に会う事になっちゃうなぁー」

「そっかあ、それだけは避けなくちゃならないのよ。だから私、そろそろお暇するね」


 エリスティアは少し悲しげな顔をさせて、「やっぱりぃ、逃げるしかないのかなぁー」と小さく溜め息を吐く。


「うん、比翼の鳥の解除方法が判るまではね。それにまたいつあの馬鹿女が私に代わって現れるとも限らないし」

「でもぉずっと逃げてたらぁ、ヘルミン、いつか本当の野人になっちゃうよぉ?」

「や、野人はイヤだな……」


 二人は少しの間沈黙し、各々がこれからのヘルミーネの行く末を考えた。

 するとパッと何かを閃いたというふうにして、エリスティアが言ったのである。


「そうだぁ! 私がヘルミンの棲む場所を作っておくよぉー。そしたら誰にも迷惑かけずに生きていけるぅー」

「あっ、それは嬉しいかも!」

「だよねぇ。ヘルミンが筋力強化で暴れても大丈夫なくらぃ、頑丈に作っておくから心配ないよぉ!」

「ありがとう……エリスンはほんと優しい。でも贅沢は言わないからね、頑丈な小さな家で十分だから!」


 ヘルミーネは親友の優しさに感動し、エリスティアの手を取って目を潤ませる。

 そんなヘルミーネにエリスティアはゆっくりと首を横に振った。


「小さな家? それは駄目だよぉ」

「えっ、まさか私の為にお屋敷を!?」

「監獄だよぉー。鋼鉄製で頑丈な監獄が一番安全でしょぉ?」

「あ、はい。監獄でいいです……」


 監獄が本気か冗談かは分からないが、逃げ続けるよりは良い事は間違いない。

 二人はそう結論付けると、後日また話し合う約束をして一旦別れることにした。


 実際またいつ比翼の鳥に支配されたヘルミーネが現れるとも限らないのだ。

 これ以上エリスティアを危険な目に合わせたくないヘルミーネは、長居は無用だとばかりに誰もいない山中へと姿を消したのであった。



 ◇*◇*◇*◇*◇



 ちょうど同じ頃。比翼の鳥の解除方法を思い付いたグロリエンは、会議場から馬を飛ばしヘルミーネの後を追っていた。

 彼女が逃げて行ったおおよその方角は分かっていたが、時間経過を鑑みるに見つけるのは容易くあるまい。


 それでもグロリエンは探し続ける覚悟でいた。幸い彼には勇者の加護がある。

 異能の力で感覚を研ぎ澄ませば、よく知るヘルミーネの気配なら感じ取れない事もないだろう。


 むろん人海戦術で探すのが一番良い。しかし精神支配されたヘルミーネが捜索人たちと出会った時に、不測の事態が起こる事をグロリエンは恐れたのだ。

 だからこそこうして彼は、単騎でヘルミーネを探している。


(大丈夫だ。絶対に俺が見つけてやる!)


 グロリエンはそう意気込むと、愛馬の速歩はやあし駈歩かけあしへと変えて山間の街道を急いで駆け抜けた──


 しばらく進むと、街道をこっちに向かってくる騎馬と馬車の一行が目に入る。

 遠くてはっきりとは見えないものの、グロリエンはどことなくその一行に見覚えがあるのを感じた。


(あの騎馬の馬装具と馬車は……我が王家のものじゃないか?)


 単なる偶然か、それとも神の采配か。いずれにしろこの会遇は、グロリエンにとっては幸運な出来事であった。


「エリスティア! お前こんな所で何をしているんだ!?」

「まぁ! ポンコツ勇者のお兄様ぁ」


 エリスティアは自分がバリアへ来た目的をグロリエンに告げると、途中ヘルミーネとも会って、すでに比翼の鳥問題も知っている事を伝えた。


「そうか、ヘルミーネに会ったのか……」

「さっきまで一緒におしゃべりしてたよぉ。主にお兄様の悪口のぉ」

「ぐっ、それであいつは今どこに?」

「お兄様から逃げて行ったけどぉ?」

「うぐっ。な、何か刺のある言い方だな」

「そぉ? というかぁ、お兄様こそ何でヘルミンを追ってるのぉ?」


 グロリエンは比翼の鳥の解除を試す為にヘルミーネを追っていると、エリスティアにと簡単に話す。

 だがエリスティアはかなり詳しくその方法を聞きたがり、最後に「そういう事かぁー」と一人頷いてみせた。


「私もぉ、ニセヘルミンに殺されかけたけどぉ、かなり頭おかしいよぉ? 本当に恋愛成就なんて出来るのかなぁ」

「比翼の鳥を解除する手立ては、この恋愛成就だけなんだ。賭けてみるしかない!」

「そっかぁ……ところでお兄様はぁ、どうしてヘルミンにフラれたのぉ?」

「うぐっ。し、知るかよ……」


 もちろんエリスティアは、グロリエンがヘルミーネにフラレたと勘違いしている事の察しはついている。


「本物のヘルミンに続いてぇ、ニセヘルミンにもフラれたらぁ、お兄様どうするぅ?」

「そういう不吉な事を言うな!」

「てかぁ、ほんとにフラれたのかなぁ」

「直接無理だと言われたんだ、間違いないだろが……」

「お兄様はぁ、それが別の意味だとは思わないんだぁ」

「はぁ? 別の意味って何だよ」

「何だろねぇー」


 しかし兄をからかうのが大好きな彼女は、その勘違いを訂正するつもりは毛頭ないのであった。


「まぁお兄様がニセヘルミンにフラレてもぉ、私がぁヘルミン専用の監獄作っておくから心配ないよぉー」

「監獄だと?」

「だってぇ、お兄様もぉ分かっているんでしょぉー? ヘルミンが逃げててもぉ、帝国との戦争はぁ回避できないってぇ」

「うむ。ここまで事件が公になってしまっては、我が国も引くに引けまいよ。特に娘のヘルミーネの犠牲を、父親のロックス公爵が黙っているワケがない」

「シスコンマッドリーもいるしねぇー」

「そうだ。だからこそ俺がヘルミーネを助けなければならんのだ!」

「お兄様がぁヘルミンに殺されても戦争だからねぇー」

「分かってるよ!」


 グロリエンはエリスティアへそう答えると、もう話す事は無いとばかりに愛馬を走り出させた。

 エリスティアはそんなグロリエンの背中を見送りながら、「少しはぁ勇者らしいとこ見せてよねぇ」と一人呟いたのであった。

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