第21話 平和友好会議へ

 季節が秋から冬へと変わる頃、フェンブリア王国とペイルディス帝国の平和友好会議が予定通り開催される事となった。

 場所は両国の国境にほど近い、独立自治都市バリアにある国際会議場である。


 バリアの様などの国にも属さない自治都市は大陸にいくつもあり、隣接する国家に税を納める事で独立性を保っていた。

 またこういう中立都市があると各国とも色々と都合が良く、今回の様な敵対国家同士の話し合いにも利用される事が多い。


 平和友好会議には両国から各々二十名ずつの若手貴族が出席し、議長は一番身分の高いグロリエン王太子が務める。

 彼らの多くが開催日の七日前にはバリアに到着していて、盛んに両国で交流を深める様子は本気で平和を望む若い貴族達の意気込みが伺えた。


「ヘルミーネお嬢様、マッドリー様からの特急郵便が届いております」


 ホテルの私室で今夜参加する舞踏会の支度をしていたヘルミーネは、思わず「また?」と口に出し嫌な顔をした。

 侍女が持ってきた郵便は伝達系の加護を利用した特別な郵便で、ほぼその日の内に先方へと届く便利なものだ。しかしそれだけに料金は馬鹿高い。


 マッドリーはその金銭的負担も顧みずに、毎日特急郵便をヘルミーネへ送っていた。内容は妹の身を案じてその心配を書き連ねたものである。

 平和友好会議の出席に反対していたシスコンの兄は、本当はヘルミーネの側から離れたくはなかった。しかしグロリエンの代わりに国内政務の仕事をせねばならず、せめてもとこうして安否を確認してきているのだ。


「兄上はどんだけ我が家の財産を浪費するつもりなのよっ」


 そう八つ当たり気味に不満を述べたヘルミーネは、少々機嫌が悪い。

 連日バリアで舞踏会や晩餐会、または茶会などに参加していた彼女は、いま非常に鬱憤が溜まっていたからだ。


 というのもヘルミーネが帝国側貴族と会話をする度に、決まって古今無双の公爵令嬢とは貴女の事かと、まるで珍獣を見るかのような好奇の目を向けてくるのだ。

 要するにまともな貴族令嬢とは思われていないのは確かで、からかいや侮りといった負の感情に晒されていた。


 悪意でと言うよりはヘルミーネの強さに半信半疑なため、本物か道化かの判断がつかないせいだろう。

 いずれにしろヘルミーネはその度に引きつる笑顔で我慢の応対をする他なかった。


 それゆえ今日これから出席する舞踏会の事を考えると、面倒で仕方がなかい。

 そこにマッドリーからの郵便が届いたものだから、思わず八つ当たりしたくなってしまったのだろう。


「ああ、舞踏会なんて行きたくない」


 本音をぽろりと溢したヘルミーネは、侍女が結う自分の髪を鏡越しに見ながら、何となくグロリエンの事を考えた。


(今日の舞踏会にはグロリエン様も出席なさるのよね)


 そう思うと急に結われている髪の事が気になりだし始め、ヘルミーネはしきりと鏡の中の自分と目を合わせる。


(あの日から私、ちょっとヘンかも……)


 あの日というのはグロリエンと一緒に湖畔でピクニックをした日のことだ。

 それ以来ヘルミーネの中にいたグロリエンの存在が、以前とはどこか違う彼に変わってしまった。彼を思うと今までとは違う切なさを覚えるのだ。


 だがそれだけではなくて、切なさの奥には真っ白としか形容出来ない不思議な感情があった。

 子供時代、自分のヒーローだったグロリエンへの初恋が、どことなくそれに似ていたがやはり違う。


(もっと無条件で特別な何か──何だか神様に祝福されているみたいな)


 その祝福にもし別の呼び名があるとすれば、それは愛なのかもしれないとヘルミーネは思う。

 しかしそう思った傍から彼女は顔を真っ赤にさせて、「愛とかよく分からないし!」と自分で自分にヘンな言い訳をした。


「お嬢様っ、いきなり筋力強化をさせないで下さいまし! コルセットが全然締まりませんわっ」

「ご、ごめんなさいっ」


 愛という言葉に思わず感情が昂ってしまったのだろう。ヘルミーネはドレスの着替え中であった事もすっかり忘れ、侍女の仕事の邪魔をしてしまったようだ。


(ぜ、全部グロリエン様のせいよ!)


 自分のした失敗を今度はグロリエンに八つ当たりしたヘルミーネであったが、そこにはもう機嫌の悪さは見当たらない。

 その代わり頬を赤くさせたままの今の彼女は、何とも儚げで頼りなく見えた。

 

 ◇*◇*◇


 その夜の舞踏会は、バリアでは最も有力な商人とされる者の豪華な屋敷で開催された。


 馬車で到着したヘルミーネは筆頭女官を付き添い人とし、公爵令嬢という身分に相応しい態度で会場入りする。

 しかし相変わらず帝国側貴族たちは、彼女を珍獣のように見る者が多い。


 そんな悪目立ちに辟易したヘルミーネは、この場で回れ右して帰りたくなった。

 しかしグッと堪えて笑顔を作ると、気持ちを切り替える為に会場を見渡す。


(グロリエン様はどこかしら?)


 グロリエンもまた帝国側貴族たちにとって、珍獣とは別の意味で注目される存在だ。

 世界で最も稀なる勇者の加護への憧憬と、覇王になるという噂への畏怖。否が応でも惹きつけられてしまう人々の反応は、グロリエンにとってはもはや日常である。


(あっ! いらしたわ)


 ヘルミーネがすぐにグロリエンを見つけ

られたのは良かったのだが、彼の周りには既に人垣が出来ていて近づくのは難しそうだった。

 特に令嬢たちが身体を寄せるように囲んでおり、そこを掻き分けてゆくほどの勇気をヘルミーネは持ってはいない。


 どうしたものかとヘルミーネは小さく溜め息をつきながらも、真っ直ぐにグロリエンの居るところへと歩いて行く。

 彼が自分に気付いてくれるといいのだけれどと、僅かな期待を寄せての行動だ。


 するとグロリエンもヘルミーネに気が付いたのだろう、大きく手を振って合図を送ってきた。

 ホッとしたヘルミーネも小さく手を振り返したのだが、がっちり囲まれてしまっていたグロリエンがそこから抜け出せる様には見えなかった。そうこうしている内に楽団がメヌエットの舞曲を奏で始め、ダンスの時間となってしまう。


 令嬢たちは積極的に王太子と踊りたがっている様子で、礼儀として断ることの出来ないグロリエンはその中の一人と踊りだす。

 仕方がないと小さく肩を竦めたヘルミーネは、ダンスの邪魔にならない様にとステージの端へと移動した。グロリエンが人気なのは今に始まった事ではないので素直に諦めたのだ。


(まあいいわ、後でにしましょう)


 ヘルミーネはあまり嫉妬という感情を持たない性格であった。

 思えば宰相の娘アグネスに対して抱いた感情は、彼女にしては珍しいものだったのだ。もしかしたら女性の本能の様なモノがヘルミーネに危険を報せたのかもしれないが、その可能性に心当たりを持つほど彼女はまだ自分を分かってはいない。


「これはこれはヘルミーネ嬢、よろしければ私と一曲ダンスをお願い出来ますかな?」


 すると不意にヘルミーネをダンスに誘う男性の声がした。珍獣は珍獣なりに人気があるのだ。

 だがヘルミーネはその男性へと振り返った途端、心の中で「げっ!」と拒絶反応を示す。彼は帝国の侯爵家の令息で、名前は忘れたがやたらヘルミーネに付き纏ってくる男性だ。正直ヘルミーネの苦手なタイプである。


 筋肉隆々の大男でそれを自慢にもしていた侯爵令息は、古今無双の公爵令嬢にも臆すところを見せない。むしろ積極的に筋肉をアピールしてくるナルシストっぷりだ。

 それだけでも大抵の女性は嫌がるだろうが、さらに彼は卑猥だった。ダンスを踊ると必要以上に身体を密着させてきて、まるで俺の筋肉を味わえと言わんばかりで気持ちが悪い。


「え、ええ。よろこんで……」


 とはいえ平和友好の立場上断るワケにもいかず、ヘルミーネは嫌々ながらもこの侯爵令息と踊ることになってしまう。


「そ、そんなに身体を近づけたら踊りにくいですわ」

「なんのなんの、こんなの序ノ口ですぞ」


 侯爵令息はそう言うとさらに筋肉を押し当ててきた。正直ヘルミーネは今すぐブッ飛ばしたかったのだが、ギリギリ我慢して踊っている。


「ところでヘルミーネ嬢。私の加護は貴女の加護より上位にあたる、筋力限界突破なのをご存知かな?」

「いいえ……」

「ほう、ならば一度味わってみる事をお勧め致しましょう」

「はあ、味わうとは?」

「それはベッドの上でのお楽しみですよ」


 そう言って舌舐りしたこの下品で無作法な侯爵令息に、ヘルミーネのギリギリがブチッという音と共に終わりを告げた。


「そうですか。でもその前にしっかりとダンスを踊って下さいませッ!」


 ヘルミーネは侯爵令息の両手をガシッと掴むと、物凄い速さで回転し始める。もちろん筋力強化を発動させてだ。


「えっ!? ちょまっ! はやッ!」

「ちゃんとステップを踏んで下さいまし。それでは踊れませんわよ!」


 いや、ステップどころか今や侯爵令息の足はズルズルと引きずられ、さらに浮かび上がってきている。


「いやっ! ちょっ! 止めてッ!」

「ご自慢の加護を使って止めてみては如何かしら?」


 むろん侯爵令息は加護を発動させていた。しかしヘルミーネがビクともしないのである。


「や、やめっ! 助けーっ!」


 結局ヘルミーネはメヌエットが一曲終わるまで、侯爵令息の身体を空中で回転させ続けた。

 ダンスが終わると彼は酩酊者のようにフラフラしながら胃の中のものを吐き出して、バタりとその場で気絶してしまったという。


 このところ溜まっていた鬱憤を彼で晴らした自覚のあったヘルミーネは、少し痛んだ良心に小さく舌をだしたのであった。

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