第20話 無言の二人

 その湖の場所は王都から馬車で二時間ほど行ったところにあり、季節柄ちょうど紅葉に美しく彩られた風光明媚な土地だった。

 天気は晴れ渡り風も穏やかで、まさにピクニック日和と言っていい。


 ただ今回のピクニックでは定番の狐狩りをヘルミーネは禁止した。理由は彼女にとって狐は小動物の範疇であったからだ。

 小動物が大好きなヘルミーネにとって、それを狩るなど許しがたい行為なのである。したがってグロリエンが一応用意してきた猟犬たちが、手持ち無沙汰そうにしてウロウロとしていた。


「犬は可愛いですわねえ」

「ああ、俺も犬は好きだ」


 草の上に敷いた豪華なシートに並んで座っていたヘルミーネとグロリエンは、そんな他愛もない会話をしている。

 何とものんびりとした空気に溶け込んでいる二人は、端から見ればとてもリラックスしている様にみえた。


 しかしそれは端から見ればの話である。二人の緊張は相変わらず続いており、よく聞けばその会話の内容もどこかぎこちない。


「犬の口から垂れた舌が好きなんだ」

「鼻が濡れているところも可愛いですわ」


 とか。


「兄上のシスコンは病気でしょうか?」

「あいつはおそらく病気だろう」


 とか。


「この湖には魚がいるかな」

「どうかしら、いれば愉快ですわね」


 とまあこういうあまり内容の無い会話を真面目な顔をしてポツリポツリとしている。

 なので二人とも心の中では会話が続かない事にとても焦っていたようだ。


「そ、そうだヘルミーネ。来月に開催されるペイルディス帝国との平和友好会議だが、お前も出席するそうだな」

「え、ええ! そうなのです。元々アグネス様が参加する予定だったのですが、誘拐事件に巻き込まれてしまい、彼女のお父様であられる宰相閣下がお許しにならないとか」

「フィンチ宰相殿はああ見えて子煩悩だからな、心配なのだろう」

「はい。ですので私がその代役で出席する事になりましたの」


 二人は同時に「しめた!」と、この話題に喜んだ。思いがけずに会話が転がり出したからである。

 この機会を逃してはならないと、二人はさらに話を続けた。


「しかし誘拐事件に巻き込まれたのはヘルミーネも一緒だろ? お父上のロックス公爵は反対しなかったのか?」

「父上は反対どころか、出席する他の令嬢方をお守りしろと言う有り様で、むしろ反対したのは兄上なのです」

「ああ、マッドリーならそうするだろうなあ。なにせ誘拐事件の主犯は帝国だと決め付けていたからな。その帝国との平和友好会議だ、猛烈に反対しただろう」


 グロリエンの想像通り、マッドリーは反対の意思を表明すると、突然ハンガーストライキを始めたのである。

 前回は武力で帝国から妹を守ろうとして、ヘルミーネ本人に怒られた。なのでその方法は諦めて今回は断食を選んだらしい。つまりヘルミーネの情に訴える作戦に変更したというワケだ。


「なるほど。それであいつは仕事中フラフラとして、倒れそうになっていたんだな。それでマッドリーをどう納得させたんだ?」

「いいえ、兄上はまだ納得などしてはいませんわ。私の出席については未だに反対しています」

「じゃあまだハンガーストライキは継続中なのか? あいつ死ぬぞ!?」

「あっ、そっちはもう解決したんです」

「ほう、どうやって?」


 ヘルミーネは少しだけ答えづらそうにしながらも、話題が途切れるよりはマシかとばかりに思いきって言った。


「無理矢理に……」

「お前がか?」

「ええ、そうですわ。兄上を椅子に縛りつけて、抉じ開けた口から食事を流し込みましたのよ」

「そ、壮絶だな……」


 いくらマッドリーを心配しての事でも、少しやり過ぎた気のしていたヘルミーネは小さな溜め息を吐いた。

 しかしそんな罪悪感にも増して、彼女には腑に落ちない事がある。


「ただ……。兄上は何故か嬉しそうだったんです。かなり乱暴な真似をしたというのにどうしてかしら?」

「うっ、嬉しそう……」

「しかも兄上はまたこうして無理矢理食べさせてくれれば、ハンガーストライキを止めるとも言ったんです」

「な、なるほど……」

「やっぱり家族の私に心配された事が嬉しかったのかしら?」

「き、きっとそうだな!」


 グロリエンには分かっていた。マッドリーは変態ゆえに喜んでいたのだ。

 この清々しい湖畔において最も似つかわしくない話題である。せっかく良くなってきた雰囲気を、マッドリーのせいで台無しにされたくはないグロリエンは慌てて話題を変えようとした。


 するとちょうどお誂え向きに、食べ物が調理される良い匂いがしてくる。

 少し離れた所では宮廷の一流シェフが腕によりをかけて昼食の準備をしている。大きなテーブルも設えられて、清潔で真っ白なクロスが掛けられていた。


「おっ! うまそうな匂いがしてきたぞ」


 グロリエンは少しわざとらしいかなとも思ったが、ヘルミーネは素直にその言葉を受け取ってくれたようだ。


「ほんといい匂い。楽しみですわね」

「ワインは俺の秘蔵の逸品を用意してきた。こっちも楽しみにしてくれ」

「ふふ、そうします」


 なんとか雰囲気が元に戻ってくれたのを励みに、グロリエンはここでもうひと押ししてみようと考える。

 今日はヘルミーネが勇気を出してピクニックに誘ってくれたのだ。ならば楽しい想い出にしてあげたいと、グロリエンは心からそう思って一生懸命だった。


「ところでヘルミーネ。あと一時間くらいで昼食のようだが、それまでに何かしたい事とかないか?」

「う~ん、したい事ですかあ……」


 特に思い付かないという様に小首を傾げたヘルミーネにグロリエンは、「じゃあそれまで皆でダンスをしないか?」と提案する。


「身体を動かして腹を空かせておこう」

「まあ! いいですわねダンス!」


 パアッと明るい笑顔になったヘルミーネに、グロリエンは勇気を得た。

 連れてきていた三名の楽士にアンサンブルを頼み、警護の騎士や従者それに馭者までもを側へと呼ぶ。


「おい、皆でラウンドダンスを踊るぞ!」


 グロリエンの呼び掛けに、呼ばれた者たちが一瞬戸惑いをみせる。彼らは仕事で来ているのであって、楽しむ為に来ているのではないからだ。

 だがそんな彼らの戸惑いを吹き飛ばしたのはヘルミーネであった。自分の連れてきた侍女たちにもダンスの参加を呼び掛けたのである。


「さあ、あなた達も皆さんに混じって踊ってね。今日は存分に楽しみましょうよ!」


 何だかんだ言っても皆年頃の若い男女が多いのだ。異性が混じれば自ずとテンションも上がるというものである。

 滅多にないこの機会を享受する事にした彼らたちは、草原に輪を作り並んで立った。


 もちろんその輪の中にはヘルミーネとグロリエンの姿もある。二人は隣り合わせにして立つとお互いの顔を見合せて、どちらからともなく微笑んだ。


 ラウンドダンスはカップルダンスとは違い、全員で輪を作って同じ踊りをする。

 楽士たちが定番のワルツを奏でると、曲に合わせて皆が踊り出した。途中で休憩を挟みながら、知っている曲も知らない曲もお構い無しに踊る彼らからは笑い声が絶えない。


 護衛の騎士などは鎧が擦れる音をガチャガチャとさせる有り様であったが、それさえも音楽の一部であるように聞こえる。

 ヘルミーネもグロリエンも心の底から楽しんでいて、もしかしたら二人にとって今までで一番楽しいダンスの時間だったかもしれない。


 やがてダンスが終わると、設えたテーブルには出来立ての料理が用意されていた。

 ヘルミーネとグロリエンはシェフからメニューの説明を受けると、早速その料理に舌鼓をうつ。まさに期待通りの美味しさだ。


 野外での食事は不思議と格別な味がするものである。もちろん一流のシェフが作った料理である事も忘れてはならないだろう。

 しかしたとえそれが粗末なチーズとパンだけであったとしても、ヘルミーネは同じ様に美味しいと感じるに違いないと思っている。


(だって、グロリエン様と一緒だから)


 ヘルミーネはグロリエンもまた、そう感じてくれていたらいいなと思った。




 陽も傾きかけてきて、もうすぐ王都へ戻らねばならない時間が近づく。ヘルミーネは湖畔の船着場に腰をかけ、素足の先で水面を軽く跳ねさせながらチャプチャプとした音を聞いている。

 その彼女の横では胡座をかいて座るグロリエンが、遠くの森を黙って見つめていた。


 ピクニックの初めの頃は、あんなにも無言を恐れて焦っていた二人だったのに、今の二人はどこかその無言を楽しんでいる様にさえ見えた。

 ただ静かで穏やかな空気の流れの中に、居心地良さそうにしてそこにいる二人。或いはそれを幸せと呼ぶのかもしれない。


「グロリエン様」

「ん、なんだ?」

「今日はありがとうございました」

「どうした藪から棒に」

「いえ、どうもしないですけど、ただ嬉しかったかので……」


 ヘルミーネは楽しかったではなくて、嬉しかったとそう言った。

 グロリエンにはその気持ちがよく分かったのだろう、少しはにかむ様にして頷くと遠くを見つめたまま彼の気持ちを言葉にする。


「俺も嬉しかった。また来ような」

「ええ、またきっと」


 ヘルミーネがグロリエンの横顔を見ると、大分傾いた太陽が逆光を作ってその表情を隠してしまう。

 でもかえって良かったとヘルミーネは思った。もしその横顔が見えてしまったら、帰りの馬車の中ではもうグロリエンの顔を、まともに見れなくなると分かっていたのだから。

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