第6話 エリスンとヘルミン
「それでぇヘルミンは何をしてたのぉ?
「ち、違うよ!」
猛獣のごとく庭園を突き進んできたヘルミーネの行動を、エリスティアは疑問に思ったようである。
むろん彼女は庭園の被害だけを心配したわけではない。親友のただならぬ様子もまた心配していた。
「えっと、お茶会から帰ってたとこ」
「お茶会? ああ、お兄様が催されたぁ、つまらなそうなお茶会の事かぁー」
「うん、そう……」
そう返事をしてから俯いたヘルミーネを、まじまじと見つめたエリスティアはやがて小首を傾げて尋ねた。
「お茶会で何かあったのぉ?」
「うん、ちょっとね」
「それって訊いちゃダメなやつぅ?」
「ダメじゃないけど、言いたくないかも」
歯切れの悪いヘルミーネの返事に「ふぅーん」とだけ応えたエリスティアは、それっきり黙ってしまう。
自分で返答を拒否しておきながら何となく気まずくなったヘルミーネは、居心地悪そうにモジモジしている。だがそれも長くは堪えられなかったようだ。
「エリスン、ごめんね」
「なにがぁー」
「えっと、話したくないなんて言って」
「べつにいいよぉ、だいたい想像つくしぃ。ヘルミンがそういう態度の時ってぇ、いつもお兄様との事が原因だもんねぇー」
途端、ヘルミーネはギョッとした顔をしてエリスティアに詰め寄った。
「うそっ! どうして分かったのッ!?」
「どうしても何もぉ、ヘルミンは子供の頃からずっとそうでしょー」
童顔で甘ったれた口調で話し、何事に対してもうわの空の様にしているエリスティアは、ともすれば他人から侮られやすいタイプの女性だろう。
しかしその実、彼女はとても鋭い感性の持ち主で洞察力も極めて高かった。
「もういい加減モタモタしてないでぇ、お兄様へ愛の告白しちゃいなよぉー」
「ちょっ!? べ、べつに私そういうんじゃ無いからッ! 変な誤解はやめてえっ」
「問題はアグネス様かなぁ? あの娘は手強そうだなぁー。いっそ筋力強化で撲殺しちゃえばぁ?」
「ぶ、物騒なこと言わないでよ!」
ずっとヘルミーネとグロリエンの関係を見てきたエリスティアにとって、二人がお互いに思いをを寄せ合っていたことくらい丸分かりである。
しかしエリスティアは他人の恋愛には興味がないので、ずっと放っておいたのだ。とはいえ親友のヘルミーネを悩ます存在であるアグネスの事は、少しだけ不快に思っている。身びいきというやつだろう。
「じゃあさぁヘルミン。これから二人でお茶会に戻って、アグネス様を排除しちゃおうよぉー」
「排除ぉ!? そ、そんな事したらグロリエン様が悲しむかもしれないわ。せっかくお二人の良い雰囲気をぶち壊すのも申し訳ないじゃない……」
「やっぱアグネス様が問題かぁー」
するとエリスティアは盛大な溜め息をついた。不快な原因のアグネスに対してではない。煮え切らない態度をとるヘルミーネに対してだ。
「はぁ~ッ、めんどくさいなぁ。とにかく行くよぉ!」
「ちょっ、待ってよエリスン!」
「待たないよぉー」
エリスティアはヘルミーネの腕を掴むと強引にひっ張って、庭園に出来た獣道を進んで行く。
「待ってたらエリスン」
「多分五百万くらいかなぁ」
「な、何が?」
「
「本っ当にすみませんっ!」
青い顔をしたヘルミーネはもはや抵抗もできぬまま、逃げてきたはずのお茶会へとトボトボ戻って行くのであった。
◇*◇*◇
一方その頃、グロリエンは未だアグネスに付き纏われたまま、なかなか遠ざけられないでいる自分に焦っていた。
(ヘルミーネに謝罪するつもりの茶会だったのに、これじゃ本末転倒だ!)
大至急ヘルミーネを探し出して誤解を解かねばと思うのだが、アグネスの加護『ストーカー』の能力が凄まじかったのだ。
グロリエンもまた勇者の加護の能力を使って、アグネスから何度か逃げてはみたのだ。しかし直ぐに追跡されて見つかってしまうのである。
「あのさアグネス。俺の挨拶回りなどに付き合ってないで、君のお友達とお茶を楽しんできてはどうだろうか?」
「いいえグロリエン殿下。将来の王太子妃として、私が挨拶回りにご同行させて頂くのは当然の責務ですわ」
「しょ、将来の王太子妃!?」
「ええ、将来の王太子妃ですわ」
(なっ……。いくら何でもそれはグイグイ来すぎだろ!)
アグネスは自分の事を将来の王太子妃だと言ったのだ。王家の人間であるグロリエンが看過していい話ではない。
王太子の結婚はフェンブリア王国の行く末を左右する一大事なのである。ゆえにこれまでもグロリエンの婚約は、数多の議論を重ねて慎重に選ぼうとされてきた。
それでもこの歳まで婚約者を決めてこなかったのは、ひとえにヘルミーネを愛していたからだ。
ちなみにグロリエンの婚約者候補についての議論では、当然ながらヘルミーネの名前もあがっている。しかし国に命じられての結婚では駄目なのだ。
(俺が俺の気持ちでヘルミーネにプロポーズしてこそ意味がある。それが愛だ!)
鼻息荒く心の中でそう宣言したグロリエンだが、それにはまずヘルミーネとの勝負に勝たねばならない。
だというのに未だ一度も勝てていないのでは話にならないのである。ヘルミーネとて年頃の娘なのだ。彼女の父親のロックス公爵は、適齢期の娘をいつまでも放っておくほど呑気者ではない。
(それに──)
おそらくアグネスは王太子の婚約者として、彼女が最も相応しい女性である事をますますアピールしてくるだろう。
やがては既成事実にまでしてしまおうと考えているに違いないのだ。
もしこのまま彼女のアピールが功を奏して世論を味方につけ始めたら、王国の閣僚たちがこれ幸いにと世論に便乗してくるのは明らかだ。
宰相の娘であり、白銀の女王と称賛されるほどの美貌の持ち主であるアグネス。グロリエンの婚約者となる資格は十分過ぎるほどに揃っている。
(ヤバい……ヤバいぞッ。このままでは押し切られてしまう!)
これまでヘルミーネを愛する気持ちを胸に秘めなから、なんとか並みいる候補者との婚約を回避してきたグロリエンだった。しかし確実に、その努力が水の泡になる危機が迫っている。
この期に及んでグロリエンは、アグネスの事を要注意人物として認識を改めた。もはや彼女を放置してはおけない。
「アグネス、大事な話があるのだが」
「はいっ殿下! ずっと私はその大事なお話を待ち望んでおりましたのよ」
何を勘違いしたのかアグネスは身体をさらにグロリエンにと密着させ、キラキラした瞳で彼を見つめた。
「私、準備万端ですわ!」
「あ、うん? よく分からんが聞いてくれ。実を言うと俺には心に誓った女性がいるんだ。その人の名は教えられないのだが──」
「いいえ、私は存じておりましてよ」
「えっ!? 本当に?」
「ウフフ、その女性の名はアグネス。もちろん私の事ですわね!」
まさに絶句である。アグネスが本気で言っているとしたら、この誇大妄想はかなりヤバいだろう。
もはやグイグイくるどころの話ではない。単なる危ない人だ。アグネスの加護は追跡を得意とするストーカーだが、別の意味でも彼女がストーカーになる恐れもある。
(まずいな……)
「へぇー、そうだったんだぁ。お兄様もぉ隅に置けないねぇー」
だがグロリエンの背中にそう言った声の主により、事態はさらに深刻度を増していく。彼のよく知るその声の主は、紛れもなく妹のエリスティアのものだ。
よりにもよってアグネスに誤解されている真っ最中の話をエリスティアに聞かれるとは、グロリエンにとってはまさに痛恨の極みであった。
というのもエリスティアは絶対にこの事を親友のヘルミーネに告げ口するからだ。
エリスティアは三度の飯よりも、兄であるグロリエンを困らせる事が大好きだという趣味を持っている。
(まずい、まずいぞっ……!)
「そうですか。グロリエン殿下はアグネス様の事をお慕いなさっていたのですね。ならばそうだと仰って下されば良かったのに!」
しかしどうやらエリスティアの出る幕はなかったらしい。告げ口などしなくとも、すでにヘルミーネはアグネスとの会話を聞いていたのだから。
「へ、へ、ヘルミーネッ!」
もはやまずいどころの騒ぎではない。今すぐ誤解を解かねば破滅である。
グロリエンは紳士としての体裁をもかなぐり捨ててアグネスに回された腕を振り解くと、少し離れた所にいるヘルミーネへのもとへ駆け出した。むろん全力で釈明する為にだ。
しかしヘルミーネの目には、グロリエンが鬼気迫る態度で戦いを挑みに来たように見えたらしい。
おかしな話だが、どうやら数え切れないほど多くしてきたグロリエンとの勝負の経験が、彼女の防衛本能に働きかけたようだ。
ゆえにヘルミーネはファイティングポーズをとって迎え撃つ。
「な、何ですの? 殺りますの!?」
「俺が悪かったヘルミーネ!」
そんなヘルミーネの態度とは裏腹に、グロリエンは直角に腰を曲げると頭を深々と下げた。
王族がする謝罪の方法としては前代未聞のやり方だ。それほどグロリエンは焦っていたのだろう。
しかしそれがグロリエンに不幸を招く。その予想外の行動は尚更ヘルミーネの防衛本能に働きかけ、すでにボディへのパンチを繰り出してしまっていたのである。
「あっ……」
そしてボディが有るべき場所にはグロリエンの頭があった。ヘルミーネのパンチが彼の顔面に炸裂してブッ飛ばしたのは言うまでもない。
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