物足りない日々

 八月。

 国立大学が夏季休暇に入った頃。

「進藤、この豚骨ラーメン三番テーブルな!」

「はい!」

 智絵里専属の家事代行バイトを解雇されてた海斗。その後、彼は自宅マンション付近のラーメン屋でアルバイトを始めていた。

 海斗は渡された豚骨ラーメンを三番テーブルまで運ぶ。

「お待たせしました。豚骨ラーメンです。暑いのでお気をつけください」

 そして間髪入れず注文の呼び出しがあるのでそちらに向かう海斗。

(飲食バイトはマジでブラックだな……)

 海斗は内心苦笑した。


 そして帰り道、自宅マンションが見えて来た。

 海斗はふと自分の隣の部屋に明かりが灯っているか気になり目を向ける。

(良かった。桜庭さん、帰ってるみたいだ。……何か俺、ストーカーみたいだな)

 海斗は自嘲した。

 智絵里との接点がほとんどなくなり、海斗は物足りなさを感じていた。

(好きな人と関われないって中々辛いな……)

 海斗はため息をつきながら自分の部屋へと帰るのであった。






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(何か……ここ最近張り合いがない気がするなあ)

 智絵里は漫画を読みながらため息をつく。

 海斗を自分専属の家事代行バイトから解雇して以降、智絵里の部屋は散らかり始めていた。と言っても、海斗が来る前の状況よりはまだマシである。

(前はこの時間、海斗くんとお喋りしてたっけな?)

 智絵里はふと海斗のことを思い出す。

 漫画をめくろうとした手は止まっていた。

(海斗くんの料理、美味しかったなあ。でも家事とか料理をお隣の大学生に依存する社会人って結構ヤバいよね)

 智絵里は苦笑する。

(私も自分のことは自分で出来ないといけないし、海斗くはもっと他のことに時間を使うべきだよね。一方的とはいえ、家事代行バイトを辞めてもらったことはきっと正解なんだよ)

 智絵里は自分にそう言い聞かせ、再び漫画に目を戻すのであった。






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「おい海斗、最近何か元気なくねえ?」

 映画研究会の集まりがある日、稔がそう話しかけて来た。

「……別に。単に新しく始めたラーメン屋のバイトがしんどいだけ」

 海斗はそう答えた。

 しかし、それが悪手だったことは後から気付く。

「え? 海斗ラーメン屋でバイト始めたのか。お隣のお姉さんの家事代行はどうしたんだ?」

 きょとんと目を丸くする稔。

 海斗は内心しまったと後悔する。稔には智絵里から解雇を告げられたことを言ってなかったのだ。

「……解雇されたんだよ」

 海斗は上手い言い訳が思いつかず、正直に答えるのであった。

「マジか。もしかしてお前、何か盗んだとか? それとも、まさかお姉さんに手を出したとか……!?」

ちげえよ」

 海斗は即座に否定する。

「これからは家事とか料理を自分で頑張るって言われたし、それに、俺にはもっと有意義に時間を使うべきだって。……それで辞めさせられた」

 海斗はムスッとしている。

「ああ、海斗からしたら納得してないわけね」

 稔はそのまま言葉を続ける。

「もしかしてさ、彼氏とかが出来たんじゃね? で、彼氏以外の男を部屋に入れにくくなったとかさ」

 その言葉を聞き、海斗の動きがピタリと止まる。

「まだ六月の段階ではいないって言ってたけど……」

 そこで口篭る海斗。

「でもその後は? 人生何が起こるか分かんねえぞ」

 稔の言葉を聞き、海斗は完全に黙り込んでしまう。

(……十八歳のガキはハナから対象外ってことか)

 海斗はため息をついた。

「海斗、お前そのお姉さんのこと好きだったんだな」

 稔は海斗の態度により、それを察した。

 海斗は黙り込む。

「まああれじゃん。隣に住むなら割と接点ある方じゃね? 会った時に思い切って当たって砕けるのもありなんじゃね?」

 稔はなるべく明るい声で海斗を励ます。

「それが出来たら苦労しねえよ」

 海斗は自嘲気味にため息をついた。






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「あれ? 桜庭さん、何かお弁当いつもと違うね」

 ある日の昼休み、智絵里は同期のくるみにそう言われる。

 今までは海斗が作った作り置きの料理を詰めていたが、最近は何とか頑張って弁当を自分で作っている。しかし、智絵里は海斗のように料理が上手なわけではなく、焦げが目立ち雑である。

「まあ……ね」

 智絵里は言葉を濁して誤魔化した。

(……あんまり美味しくないなあ)

 自分で作った弁当を口にして内心苦笑する智絵里。

 隣にいた杏子は何かを察したらしく、今は余計なことを言わずに黙っている。

 同期三人で昼食を取っているうちに、昼休みが終了した。


 仕事に戻った智絵里は午前中に測定したデータを見比べている。

(毒性の問題はなし……。その他問題になりそうなことは……)

 データの考察や新たな試験をするなど、智絵里は仕事に没頭していた。

 まるで他のことを一切忘れようとしているかのように。

 そして気付けば定時を過ぎていた。

「智絵里、いつまで残業するつもり?」

 丁度測定を終えたらしい杏子が呆れ気味に智絵里に声を掛ける。

「杏子……そっちこそ、人のこと言えないんじゃない?」

 苦笑する智絵里。

 時計はもう八時を過ぎていた。

「まあそうなんだけどね」

 杏子も苦笑する。

「智絵里、そろそろ仕事終えてご飯食べに行かない? せっかくの金曜日だしさ」

「いいね。いつものイタリアン? それとも和食?」

 へにゃりと笑う智絵里。どことなくアンニュイな雰囲気が出ている。

「イタリアンにしよっか」

 こうして、智絵里は杏子とイタリアンに夕食へ行くことになった。






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「へえ、家事代行のバイトの子、解雇しちゃったんだ」

「うん。……やっぱり大学生の男の子に家事頼ってる社会人の女ってやばいじゃん。それに、杏子の言う通り、彼には時間を有意義に使って欲しいからさ……。私みたいな年上の社会人より、同じ大学生の方が彼にはお似合いだよ」

 ワインを飲み、ほろ酔いになった智絵里は勢いで海斗に家事代行を辞めてもらった経緯を話した。

「そっか。……何かごめん」

 杏子は少し申し訳なくなっていた。

「何で杏子が謝るの?」

 きょとんとしている智絵里。

「いや、だってさ。何か私があんなこと言ったからさ。その、今の智絵里、少ししんどそうに見えて……」

 智絵里から目を逸らす杏子。

 確かに仕事と家事の両立は智絵里にとってキツイものがあった。そして何より海斗との交流は智絵里にとって心の拠り所の一つでもあったのだ。しかし、智絵里はへにゃりと笑う。

「決めたのは私だからさ。杏子が気にすることないよ」

 ワインを飲んでいるせいか、智絵里の頬は少し赤い。

「ありがとう、智絵里。私は……智絵里がこの先……もしその彼が好きで、付き合うことになったとしても、応援するから」

 杏子は真っ直ぐ智絵里を見ている。

「私が彼を好き……か」

 杏子に言われて何となく腑に落ちた智絵里。

「ありがとう、杏子」

 智絵里はへにゃりと笑った。

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