道、半ばにして

冬海真之

第1話   堺へ

「あと、どれほどか」と、短い言葉で彼は尋ねた。


「明け方には着くかと。湊にはデイオゴが迎えに来ていることでしょう。内海では賊の船が往来していると聞いておりましたが、塩飽浦から坂越までは何事もなくなによりでした。これも主のお導きでは」と、アルメイダが答えた。


「お具合は、いかがですか」と続けて聞く。


「あまり、すぐれはしないが、船を降りれば少しはよくなるでしょう」


「お疲れのご様子では」


「いや、さほどでもありませぬ」


それよりも、もっと大切なことがあると、空を見上げて彼は思っていた。



 時は、永禄七年の十二月二十八日。夜の事である。


船上にいたルイス・フロイスは、この時三十二歳。

今、豊後からの荒れる冬の海いる。


洛中を中心に大坂や大和の布教拡大に手が回らなくなったヴィエラ神父を助けるため京に向かおうとしていたのである。


十一月に島原から高瀬までを船で行き、そこから四日かけ豊後府内に出た。

そののち臼杵の大友宗麟を訪ね、紹介状を手に入れたが、あいにく風向きが悪く、

そこから一か月の風待ちをした。

そして、ようやく船に乗ることができ、三日かけて伊予堀江に着き、そこからさらに六日かけて播磨塩飽にたどり着き、いままさに堺に着こうとしていた。


(豊後を出て、もう四十日が経つ)


長旅であったが、彼はこの旅に今まで以上の期待をかけていた。

新しい地で新しいことを始める時は、いつもこのような気持ちになることを彼はよく知っていた。

              

先人のフランシスコ・ザビエル神父とその一行が、日本国の薩摩祇園野洲の浜に到着したのは、天文十三年のことである。ザビエル神父が三十七歳の時のことであった。


そのことは、イエズス会に報告されたザビエル神父からの手紙で、フロイスもよく知っていた。


いままた船中に立ち、あらためてザビエル神父の業績を思い起こそうとしていた。

そして、そのことを自らの胸中に写そうともしていた。


(早いものである。あの日から、早や二十一年の歳月が経つ。この間、数多くの同胞たちがここに辿りつき。薩摩では領主島津貴久の許可を得て、平戸、大村、豊後、日向、長崎、肥前と布教を進めてきた。住院や修練所、教会堂をつくるまでには苦難の道程があったことであろう。)

(さらに大内氏の庇護により山口に信仰を広めた。ザビエル神父様は、その国のもっとも権限をもっている者から信頼を得て布教することが最も早道であることを知っていた。そこから、さらなる布教をめざして、九州を離れ、世を治める君主を訪ねることとし、神父は洛中へ向かうことを決心されたのである)


ザビエル神父が日本を訪れた当時、この国は足利という者が政権を握り、洛中室町に幕府という政庁で政治を行っていた。


しかし、足利尊氏から数えて十三代目、将軍義輝の時代には、足利氏の勢力は次第に弱まり、後奈良天皇を擁する朝廷と、それを支える幕府は、ともに地方の武士たちを抑えきれず地方は勝手気ままに行動するようになっていた。


幕府の制度は、次第に機能しなくなり、その結果、洛中は幾度かの戦乱により荒廃が進んでいた。このことでイエズス会の布教も思うようには進んでいなかった。


(ザビエル神父は、この時、当時の学問的権威の最高峰であると言われていた比叡山を真っ先に訪問されたのだ。わが国では、キリストの教理を学ぶ大学などの教育機関が国の中でも大きな力を持っていたことからそう判断されたのであろう。信仰という同じ世界の者として理解が得られるのではと考えられていた。しかし、この国でそれが受け入れられることはなかった。比叡山の最高責任者との面会はかなわなかった。彼らからすると、我々は異教徒にほかならず。その権威は政治にも影響を及ぼすほどの力を持っていたから当然であろう。洛中では新たな布教の機会は得ることができず失意のうちに豊後に戻られた。さぞかし無念であったことであろう)


このザビエルは、その後、二度と洛中に戻ることなく豊後日出からマカオに帰り、天文二十一年十一月十八日に日本での布教活動を終えその生涯を閉じていた。


ザビエル亡き後の日本の布教を任されたのは、フェルナンド・トーレス神父である。彼はザビエルの意志を継ぎ永禄二年から洛中で布教を始めていた。


フロイスは、さらに記憶をたどった。


(ザビエル神父の跡を引き受けられたのはトーレス神父であった。ザビエル神父の思いを引き継がれ赴任され、ザビエル神父のなし得なかったことをわが身の務めとし教えのままに行動された。そして、ふたたびこの国で権威あるものに面会を求める必要があると感じ行動された。あらためて面会を求めるにはそれを取り次ぐ者が必要だと学び、日本人説教師で琵琶法師のロレンソを比叡山に派遣された。だがこれも大きな間違いであった。比叡山はこの者は全く取りあわなかった。日本人説教師などに力があろうはずもなかった。)


(しかし、その後、ヴィレラ神父を伴い自ら洛中に上り允許状を得ることを決意し、周防国守護大内氏の手紙をヴィエラ神父に持たせ、ふたたび比叡山の門を叩かせた。しかし、これも取りあわれることはなかった。さらに六角氏の家老永原氏や永原氏家臣のキリシタン北村氏、青蓮院様などの書状を得てもみたが、どれもこれもうまくいかなかった。打つ手がないまま長引く京での滞在を余儀なくされた。)


(洛中に滞在する間に、神父はようやくこの国の構造について学ばれた。この国の君主は古来より「内裏」と呼ばれる一族がその地位にあり、彼が任命し実際に地方の統治をおこなわせる者たちがいて、そのもっとも上に立つものとして「将軍」というものがいることを。「将軍」は軍隊の最高責任者で、彼らは「武威」で統治をおこなっている。これまで我々が国王だと思っていた者は、将軍から全国の統治を任されている「守護」や「大名」とよばれる地方統治者たちに過ぎなかった。権力者の入れ子状態になっているにもかかわらず、その実態は、いずれもが独立し強い力を持っていた。そのことがこの国の複雑な形を示していた。トーレス神父は、内裏に至るにはまずは時の将軍足利義輝に拝謁することが肝要であると感じた。そして彼から「允許状」をもらい受けることができたのである。あわせて、義輝の家臣として実際的に洛中の実権を握り政務を取り扱っていた三好長慶からも「制札」を取り付けた。しかし、その「允許書」は国全体の布教や洛中での布教をゆるされたものではなく、単に我々が洛中で居住する自由と身分の保証、税金の免除などが許されただけのものであったことは後に知る。それでも、洛中での身の安全が認められたことは大きな成果であった。いまこうして私がその洛中に向かうことができるのも、神父のお働きと主の恵みがあればこそだからだ)


と、フロイスは自答していた。


ヴィエラ神父が、足利義輝から「允許状」を得たそのすぐ直後から洛中では再び政権争いが始まり兵乱に見舞われていた。


隠居していたはずの管領細川晴元とその跡を継いだ次男晴之が、六角義賢とともに三好長慶に対し兵をあげたからである。


細川軍は三好軍により敗れるが、双方の軍勢は洛中を侵略し合い洛中は混乱に陥っていた。


そしてまた、ヴィエラ神父も允許状を得たものの布教活動は、停滞を余儀なくされ、洛中を離れ堺に身を潜めるしかなくなっていた。


再び、神父たちが洛中に戻ることができたのは、永禄五年の夏のことであった。


(長い航海の中では、その場所その時々で風向きは変わるものだ。その風をどう感じ受け止めていくか。それが、その先の航海を決めていくことになる。これまでも、様々な土地で様々なことがあったではないか。今日も明日も何も変わらない。これからも何も恐れるものはない。この先にあるものをしっかりと自らが受け止めるだけである)

 

フロイス神父は、過去を振り返りながら長い思いを巡らせていた。


この間の長い沈黙を。アルメイダは、神父の横でじっとそれを見つめ待ち続けた。


「もう世が明けてまいりましょう。堺はあの方角に見えてまいります」と、舳先の方を指さしてアルメイダが言った。


「堺は、博多と同じような大きな都市ですか」


「そのとおりにございます。博多で水揚げされた異国からの荷が、瀬戸内や外海をとおり、堺に送られてまいります。そこからさらに、川道や街道から大坂や洛中、その周りの国々へと運ばれ、売り買いされていきます。マカオのような、とても賑やかで豊かな町でございます」と、アルメイダが答える。


世が明けてみると、昨日までの悪天候とは打って変わり、海の上はポルトガルの空のように澄み切った青に変わっていた。船は緩やかな風を受けながら、堺湊へと帆を進め岸へとすり寄って行く。


日常であれば、船の上から見える岸の景色は、沢山の船から上げ下ろしおろされる荷物でごった返し、裸に頭と腰だけに白い布切れを巻いた人足がいくつもの荷物を担ぎあげ、受け渡ししている姿が見受けられるはずであった。


また、その向こうでは、簡単に造られた小さな建物が並び、そこでも荷の受け取りが行われ、さらに通りに面した店には棚が立ち並び、たくさんの人が行き来し、売り子の掛ける声とともにさまざまなものが取引されているはずであった。


しかし、ここ堺もここ数年、洛中を中心とする戦乱にいくたびも見舞われ、今は人影も少なく活気のない街へと変化していた。


ザビエル神父が訪れた後の天文二十二年にも一度、全域が焼きはらわれたことがあった。この時は堺の町衆の財により、すぐに復興された。にもかかわらず、先ごろまた三好勢の狼藉により町は焼き払われて一千もの家屋が失わればかりであった人々は家を失い路頭に迷い、そのせいで湊もかなり荒れていた。


船は岸から離れた位置に投錨した。船頭は迎えの船があることを指さして言った。

湊の岸から、一艘の船が近づいてくる。


船縁に商人の身なりと思しき初老の男が着物の袖をたくし上げ手を振り上げている。我々を大きな声で読んでいるようである。


まだ遠くて声は聞こえない。


「フロイス様。あれが、デイオゴにございます」と、アルメイダは指さして言った。


「あれが、デイオゴか」


「ザビエルさま、トーレスさまと、代々、我々のお世話をいただいている敬虔な信者のデイオゴにございます」とアルメイダ。


フロイスは頷いた。

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