涙が止まらぬ訳

如月ちょこ

第1話

 私の涙が、止まらない。

 そのことに気づいたのは、一人暮らしを始めてからまもなくだった。


 普通に暮らしていても涙は流れてこないのだ。

 ものが少ない殺風景な部屋を見ても、生気がない自分の顔を見たとしても、友人が周りにいない自分の環境を思い出したとしても。



 ただ、ただ何故か――料理をする時だけは、私の目から涙が止まらないのだ。

 料理なんて、一人暮らしをするまでほとんどしたことがなくて、食材の特徴なんてほとんど知らない。

 ただ有名な食材を、レシピに沿って加工して作ってるだけ。


 例えば、牛丼を作っていると涙が止まらない。

 チェーン店で牛丼を買っても涙は出ないのに。


 レタスや玉ねぎ、にんじんなどをカットして生サラダを作っていると、涙が止まらない。

 スーパーでカット野菜を買ってきてサラダにしても涙は出ないのに。


 肉じゃがを作っていても、涙が止まらない。

 これもやっぱり、スーパーで買ってきたら涙なんて全く出ないのに。



 なんでかな、って思った。


 ――――お母さんを思い出すからかな。

 ふと思い出した。

 もう私と縁もゆかりも無くなってしまったお母さん。

 気づいたら、いなくなってしまっていた、私の大好きなお母さん。

 私はお母さんの作る料理が大好きだったから。

 それを思い出して、気づかないうちに感傷に浸ってたのかな。


 けど、他の料理――例えばステーキを焼いていたりする時は、全く涙が出ない。

 ただ食欲が湧くだけ。


 おかしいな、とも思った。

 何故か涙が止まらない私自身のことが、少しずつ怖くなってしまった。


 だから、精神病院に行ってみることにした。

 そこまでハードルの高い場所だとは思っていなかったけど、やはり一回入るのには緊張した。


 待合室には、顔がやつれていたり目が虚ろになっている人がたくさんいた。

 基本、全員に付き添いがいた。

 私は一人だったけど。




「南さん」


 少し待合室で待って、若い看護師さんに名前を呼ばれた。

 そのまま後を追い診察室に入る。


 中には、優しそうな眼鏡をかけた初老の男性医師がいた。

 こういう人――患者を安心させるような人でないと、精神科の医師は務まらないのかな、と変なことも考えた。


「本日はどうされたんですか?」

「えーっと、料理を――それも特定の料理をする時だけ、何故か涙が止まらなくて」


 そう伝えると、医師の目の色が変わった。

 なんだろう、もしかしてやばい精神病のサインなのかもしれない。


「そうですか……。ではまず、普段の生活についてお聞きします。なにか日常生活で不安なことや、心労の原因となるようなことはありますか?」

「いえ、特には」

「では、職場での人間関係はどうですか?」

「可もなく不可もなくといった感じです。友人も何人か出来ましたし……」


 問答を続けていくうちに、段々と医師の表情が険しくなってくる。


「……では、なにか環境の変化は」

「一人暮らしを始めたことくらいですかね。ですが、料理以外は簡単にこなせています」

「で、では……なにか、身内に不幸があったとかは……?」

「……昔、母親がいなくなっただけですが、それは昔のことですし」


 むむ……。と、医師が思わず声を漏らす。

 そして頭を抱えてしまった。


「すみません、少し退席してもよろしいでしょうか」

「はい」


 そうして、医師は裏へと戻っていってしまった。

 病室にいるのは私と看護師さんの二人だけ。

 もし突然暴れだしたらどうするんだろう、とも思うがまぁ気にしない。


 三分くらいしてだろうか。

 先程の医師が、今度は看護師長――五十歳くらいの女性――を連れて戻ってきた。


「すみません、少し同性の年長者の方からの目線も頂きたく、看護師長を連れてきました」

「まぁいいですが……」


 それでは、と看護師長と医師が目配せをして私の方を向いてくる。


「料理、具体的に何を作る時に涙が出るのか教えてくださる?」

「はい、牛丼や、レタス玉ねぎにんじんの生サラダ、あとは肉じゃがとかですかね」


 普段の料理を嘘偽りなく看護師長に伝えると、「あら」と一言言ってすぐに笑顔になった。


「原因がわかりましたよ」

「――本当ですか!?」


 私が声を出せずに驚いている中、医師の方が大声で驚愕している。

 医師でも分からないことが看護師長にすぐにわかるなんて――。


「えぇ、聞いて驚かないでちょうだいね?」

「はい」




 そこで看護師長は一呼吸おいて――――







「あなたの涙の原因は――――生の玉ねぎよ」



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涙が止まらぬ訳 如月ちょこ @tyoko_san_dayo0131

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