徒花の異譚

永作篠 朔

第0幕 霧中の序章

「いいかい、志乃しの。今から話すことは周りのみんなには内緒にするんだよ。できるかい?」

家の中にかすれた、しかし暖かく力強い声が響き渡った。

「うん。わかったよ、おじいちゃん」

今度は無邪気で元気な声が響き渡った。

「そうかい。じゃあ、始めるよ。怪異切りの物語を…」

おじいちゃんと呼ばれる年寄はそう言って、ある物語を話し始めた。




昔々、といっても少し前の時代の話。人が物事を怖がる心から生まれた「怪異」と呼ばれる者共が猛威を振るっていた時代。毎日人が怪異に襲われたという話を聞く。たまには死人が出たという話も。しかし、どこにいて、どんな姿をしていて、どんなことをされるのか、何も分からない。そんな怪異という不確かな災に対して我々人間は為す術もなくただ怯えた日々を過ごしていた。


「ちっ。何が怪異だってばよ。そんなの俺が倒してやらぁ。」

「そ、そんなこと言わないでよ、けんちゃん。怪異はほんとにいるんだよ。僕たち人間を襲って食う怖い奴らなんだよ。」

そんな会話が学校中に響く。

「なんだよ、あつし。そんなに怪異が怖いのかよ。あんな噂、ただの作り話だろ〜。」

「ち、ちがうよ。ほんとに怪異はいるんだよ!昨日も隣のおばさんが怪異を見たって騒ぎになってたもん。あのおばさんは嘘つかないもん。」

「そんなの、ただの見間違いだろ〜。木とか家とかの。」

強気なけんちゃんと呼ばれる少年は続ける。

「よし!わかった。なら、今日の夜、あの裏山に行こうぜ!!あそこ、噂によると怪異が住み着いているとかいないとか…。俺が怪異はいないって証明してやらぁ」

その言葉を聞いてあつしと呼ばれる少年は更に顔を青ざめる。

「え、いやいや。危ないよ。怪異は怪しげな術を使えるんだよ…。僕たちじゃすぐに殺されちゃうよ」

けんちゃんはそんなオドオドした態度のあつしに怒鳴りつけた。

「そんな術なんてあるわけないじゃないか。怖気付きやがって。イライラするんだよ。いいから、今日の夜、裏山行くぞ!!」

その勢いに押され、あつしはなにも言い返すことができなかった。


その日の夜、けんちゃんとあつしは噂の裏山の入口に集合していた。

「よし!揃ったな。では行くぞ!!怪異を探しに!!」

「本当に行くの…?。今からでも遅くないよ。帰ろうよ。」

「やかましい!怪異なんてただの噂だよ!怪異なんていないってことを証明してこの町のみんなに安心してもらうんだ!」

そうけんちゃんが言うと、二人は霧が立ち込める裏山に入っていった。


裏山に入った二人は頂上まで何事もなく順調に進んでいき、あとは山を降りるだけになった。

「な、なにも出ないね。」

あつしが言う。

「あったりまえだい!怪異なんていないんだからな。」

そうけんちゃんが言う。もうそろそろ裏山も抜ける。本当に怪異はいない、安心できると思っていたその時、茂みからカサカサと音がした。

「なにかいるのか!!姿を見せやがれ」

けんちゃんが力強い、だが少し怯えてるような声で呼びかけ、音がした方に意識を向けた。あつしはそんなけんちゃんの腰にしがみつくように怯えている。

カサカサ、カサカサ  音が近づいてくる。

ガサ!!ついに二人の前にその姿を見せた!!

「な、なんだ…。ただの猫かよ。びっくりさせんなよ。」

けんちゃんが安心した声で言った。

「ほらな。怪異なんていねーんだよ」

けんちゃんはあつしを安心させようとして話しかける。

「そ、そうだね。ほんとに怪異はいないのかも…」

二人は通り過ぎていく猫を見ながらそんな会話を交わしていた。すると、その猫が二人の眼の前で急に倒れた。肉が削がれ、真っ赤になって。さっきまでなんの異変もなかった猫が異変だらけの猫に成り果てた。二人は恐る恐る顔を上げてみる。眼の前には大きな顔が、鋭いキバが、尖った耳がある、二人を合わせても届かないぐらいの身長の、角の生えた生物。怪異の中でも『鬼』と呼ばれる存在が獲物を見るような鋭い目でこちらを見ていた。

「うわ〜。で、でたー!!」

けんちゃんとあつしは二人で同時に叫んだ。怖い。殺される。そんな感情が二人の中を渦巻く。鬼がどんどん迫ってくる。早く逃げなきゃ。そう思っているものの体はピクリとも動かない。

「た、助けてー。誰でもいいから。誰か!!」

けんちゃんが泣きそうな声で叫んだ。し~ん。何も起きない。何も来ない。ここで終わるのか。二人は人生を諦め、大泣きし始めた。鬼は二人を食べようと大きな手を伸ばした。二人は怖くて目を閉じる。ついに、鬼が二人を掴みかけたその時、シャ 風を切る音がした。そしてすぐに鬼の指が切られ、その指が下に落ちる。

「グ、グワ〜ァァァァ」

鬼はとてつもなく痛そうな叫び声をあげた。二人は恐る恐る目を開けてみる。すると、眼の前には真っ黒な長髪をかんざしで結んだ髪型の真っ赤な瞳を持つ少年が、真っ黒な和服に真っ赤な血がかかった姿で立っていた。

「き、貴様…は…」

鬼は痛そうな声で喋った。少年は何も喋らない。次に少年は鬼の身長を遥かに超える高さをジャンプした。少年はするどく黒い爪を見せ、落ちると同時に鬼に向かってひっかくような素振りを見せる。すると鬼はものすごく痛そうな大きな叫び声をあげた。鬼の体は斜めに6つに切られ、バラバラになっていく。血の雨が降った。鬼はバラバラになった肉も残さずに消滅していった。

「あの…えっと…あ、ありがとうございますっ!!」

あつしはお礼をした。少年は何も言わずに去っていく。その時、あつしは少年の尖った耳を見た。あつしは少年も怪異だったのではと思い少し怖くなった。しかし、助けてもらったことには変わりないと思い直し、ペッコっとお辞儀をした。少年の姿が見えなくなると、霧は晴れていった。いつの間にか空は明るくなっていた。

「さあ、そろそろ帰らないと…親に見つかる…」

あつしはけんちゃんの方を見た。けんちゃんはいつの間にか気絶をしていた。あつしはため息を付き、けんちゃんを起こす。

「はっ!!鬼は…少年は…!」

けんちゃんは動揺しているようだった。あつしはここまでの経緯をけんちゃんに説明した。

「ど、どうであれ、怪異はいたんだ…。そっかそっか。うんうん。ま、まあ、は、早く帰ろうぜ!!」

けんちゃんは動揺しながらも怪異がいることを真に受けたようだった。そうして、怪異ごとに巻き込まれた二人は無事に山を降りていった。


後日、けんちゃんとあつしは町の、怪異に詳しいおじさんに話を聞いてみた。そのおじさんの話によると、鬼を倒した少年は『赤月狂鬼せきげつきょうき』と呼ばれる怪異で、怪異を切り殺す、怪異が恐れる怪異らしい。それを聞いた二人は、少し顔を強張らせたが、助けてくれたあの少年にもう一度会ったらきちんとした礼をしようと思った。




「めでたしめでたし」

おじいちゃんのこの言葉でこの物語は終わった。

「そのあと、二人はどうなったの〜?」

志乃と呼ばれていた女の子が聞く。

「さあ〜。どうなったんだろうね。」

おじいちゃんは言葉を濁して答える。

「じゃあさ〜。今でもこの少年、赤月狂鬼?はいるの?」

またもや、志乃がきく。

「さあな〜。でも怪異は長生きだから今でも生きてるかもしれないな〜。」

おじいちゃんが少し笑いながら答える。

「さあ!!もう寝る時間だぞ!!早く寝なさい。」

おじいちゃんは志乃にそう言うと、部屋を去っていった。少し遠い目をしながら。




〜数年後〜

リンリン。チャイムが鳴り響く。

「これから授業を始める。今日は教科書の前回の続きを読んでいく。では、そうだな…。実嶋志乃みじましの。できるか?」

「はい! それはそれは悲しげな…」

そんなどこにでもある学校のやり取りが江都中学校のとある教室で行われていた。


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