春鳥の間違い

蛸屋 匿

まえがき

 音を立てながら裏道を歩いていた僕は、雨が降ってくる事を鼻で感じ取った。それに慌てるでもなく、足を止める。

 嫌悪感を隠さないで空を見上げると、建物と建物の隙間から見える空が曇っているのに気づいた。


「はぁ」

 ため息をひとつ。それから鞄に詰め込んでいた折り畳み傘を取り出して、その幅が広い道を歩いた。通行人の『ジャガー』や『ガゼル』が嫌な顔をしながら僕の傘を避けて歩く。

 僕は申し訳なさげに道の端を歩いたが、ときおり視界に移る人間の足に肩を飛び跳ねさせていた。そうやって道をしばらく歩いていると、ぽつりぽつりと雨が降る。


 通りに出れば野良猫が鳴いていた。これは本当に猫だ。

 最近、この町では引っ越してきた人が『黒猫』だったと大騒ぎしているけど、僕は失礼が無いように、とお母さんの『ホース』から遠ざけられている。だから僕が言う猫というのは動物の猫のこと。

 黒猫さんがやって来たのは、最近と言っても何か月か前の話。

 最初の頃は僕も「この町に引っ越してくるなんて珍しい」なんて気になっていたけど、数か月もから外されていたら興味も薄れる。人伝てに彼女の人柄は伝わってくるし、僕の生活が何か変わる訳じゃないだろう。


 気づいたらざあざあと雨が降っていて、色とりどりの傘が回るように道を歩いている。

 その中でも地味な黒い傘の僕。みんな大きな傘なのに、僕だけ折り畳み。それが恥ずかしい気がして慌てて道を歩いた。


 帰ってくると、家の前には蹄鉄ていてつが飾られている。玄関に吊るされているのは縁起が良いからと言っていたけど、まさかお母さんが『ホース』だからじゃないよね……と肩を落とす毎日。

 この町の人達は呪いに掛けられている。僕たちを飾るのは『記号』だった。記号というのは分かりやすく言えば個体を表す名前。例えば僕のお母さん。あの人はホースという記号を授かった。

 だからと言って馬面ってわけじゃないし、僕からしたら美人で自慢のお母さんだ。

 笑い方がヒヒー! だったり、たまに踵を鳴らす以外。


「ただいま」

 家の中は綺麗に整えられている。玄関のラベンダー。二足の革靴と、新品同様の運動靴。靴ベラに傘立て、土間は僕が入ってきたことで少し水気を帯びていた。


「おかえりなさい、駒鳥こまどり


 それが僕に与えられた記号だった。道端で死んでいるようなか弱い鳥。人懐こいからすぐに殺されてしまう。ほら、有名な話があるだろう? 『だれが駒鳥ロビンを殺したか』って。

 街の人達は自分の『記号』に不満がないらしい。ロバもイヌも猫もニワトリも文句を言っているところは一度も見たことがない。

 僕は名前を呼ばれるたびに嫌な顔をする。お母さんはそんな僕を見て悲しい顔をする。だから、どうしても駒鳥を好きになれない自分も嫌いだった。

 でもやっぱり悪いのは『記号』なんて呪いじみたものを付けてきたやつだと思う。


「今日はね、ペリカンさんから良いお魚を貰ったの」


 実際のところ、僕たちを飾るのは『記号』であって種族は人間のままだった。だから草食の駒鳥でも肉や魚を食べられるし、ホースのお母さんは馬刺しを美味しそうに食べている。

 そのとき僕は、心の底から駒鳥という食に向かない小鳥で良かったと思ったけれど、でもやっぱり駒鳥は嫌だ。


「僕はちょっと勉強してくるから」

「ええ。お母さん、料理してるから。出来たら呼ぶわね」

 お母さんの言葉に頷くと、僕は静かに二階にある部屋へ入って行った。僕の部屋は玄関、リビングと違って埃が積もっている。お母さんは掃除したがるけど、僕は部屋の中に入ってほしくなかった。

 年頃の男の子って歳は過ぎたじゃないの。そう言ってお母さんが押し入ろうとしたこともあったけど、その時は何とか阻止した。

 僕の部屋には秘密がある。猫を飼っているとか、そんな話じゃない。もっと壮大な秘密だ。


 僕の部屋には剥製はくせいが飾ってある。

 一つだけだ。たったの一つだけ。それは数年前の苦い思い出で、馬鹿でどうしようもなかった僕を叱った一人の『ウサギ』から教わって作った剥製だ。

 黒歴史というやつだろう。僕の中で燻るのは、羞恥心と罪悪感。


 あの日、あの時、僕はこの町の禁忌ともいえる見世物小屋に近づいた。そしてその店主である『カッコウ』に言ったのだ。


「お願いします。僕を殺してください」


   (続)


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