少女 1

 豊と翔を乗せた車はさくら温泉のロータリーに着いた。


 佐々木の屋敷の正面の門は鍵が掛かっていて入れなかったので、旅館から踊り場を伝って屋敷に入ろうと考えたのだ。


 さくら温泉の周りにはサマヨウモノがふらふらと歩いているが、近寄らなければそこまで脅威ではない。


 藁人形が言っていたように曲がり角などの死角に気をつけ、視界を確保しながら佐々木の屋敷につながる踊り場を目指す。


 「翔。離れるんじゃないぞ」


  豊と翔は互いの手を握り、旅館の入り口のガラスのドアを押し開けた。


  旅館のフロントは広く間が取られていて、高価そうなソファーや獣の剥製で装飾されている。そして、玄関に入って正面の大きな一枚板のガラスの奥には迫るように聳え立つ山とその手前をごうごうと流れる濁流が収まっていた。


 「この村がバケモノに祟られていなければ泊まりたいところだがな」


 豊は村が祟られていなければ青々とした山と清流がガラスの奥に収まっていただろうと思い、皮肉を込めて呟く。


  そして周りにバケモノが周囲にいないことを確認すると佐々木の屋敷につながる踊り場を目指し、入り口から見て右側に伸びる通路に向かい翔の手を引いた。





 ゆらめく行灯ランプが赤い絨毯を照らす、ぼんやりと明るい廊下はなんとも不気味である。そして、等間隔にある客室のドアはバケモノが急に飛び出してくるのではないかという想像力を掻き立て、ふたりの額と手に汗をにじませた。


 木造の床の上を足音をなるべく立てないように注意しながら進んでいくと客室は途切れ、切れかけの青白い蛍光灯の光がチカチカと照らす、開けたスペースに出た。


 男湯と女湯の暖簾、牛乳の自動販売機、そして昔ながらのゲームコーナーがあるその空間は不思議と豊を安心させる。


 「懐かしいなぁ。この格ゲーは本当に難しくてな。」


 豊はその格ゲーの台を名人芸のように思い切り叩き、シバく。


 翔はその物音がバケモノを呼び寄せるのではないかと考えて警戒して周りを見回すが、現役の博打打ちはその手の感触を2日ぶりに感じ、現実に戻った気がして心に余裕が生まれる。


 「こんなところさっさと抜け出して新台を打つんだ。」


 豊は不純な動機で村を抜け出す決意を固めると、さあ行こうと屋敷へ繋がる廊下に目線を向けた。





 突然、行灯の明かりが激しく揺らめき、木造の床や壁がビリつく。


 異様な雰囲気を感じ取った豊は翔の手を握り、壁裏に身を隠した。


 翔と豊は顔を半分だけ出して廊下を見ると、首吊り少女がすぐ手前の階段から現れ、スーッとこちらに迫ってくるのを確認した。


 見つかってはまずい。


 「こっちだ!!」


 廊下は真っ直ぐなので廊下を走って逃げることはできないと判断した豊は翔の手を引き、咄嗟に女湯の暖簾をくぐる。


 翔と豊は隠れる場所を探すも更衣室の死角は物足りず、大浴場に出て隠れる場所を探す。


 「あそこ!」


 翔はサウナルームを見つけ指をさして豊の袖を引っ張った。


 豊は翔の提案に乗り、急いでサウナルームに身を潜める。





 サウナルームは幸いにも稼働しておらず、干からびて死ぬということはなさそうだ。


 ふたりはサウナの小窓から少女が来ていないかを確認すると、すぐに首吊り少女が大浴場に現れた。


 見つかったら逃げ場がないふたりは小窓から顔を背けると、互いの手を握り音を立てないように息を潜め、祈る。





 目をつむってから暫く時間が経ったが、不思議なほどになんの音沙汰もない。


 ふたりはおそるおそる小窓から外を見ると、あの少女が温泉の浴槽の縁にぽつんと悲しげに立ち尽くして温泉の水面を見つめていた。


 少女には悍ましい様子はなく、それは祟られてなどいない少女本来の姿であるように見える。


 翔と豊は緊張感がほぐれ、ただそこに立ち尽くす少女をぼんやりと眺める。


 少女は温泉の波などひとつも立たずに鏡のように美しい水面を見つめる。


 そこには宿の前に植えてあった見事な夜桜がくっきりと映し出されており、この村が怪奇に満ち溢れていることを忘れさせるほどの幻想的でなんとも心が癒されるような世界が広がっていた。





 静かな時が流れ、翔と豊はその光景に見惚れていたが、状況を動かしたのは少女であった。


 少女はドレスの右ポケットからゆっくりとナイフを取り出す。


 少女は左手の袖をまくり、左手を水面と平行になるまで真っ直ぐに上げると、右手のナイフで左手首をゆっくり抉り取るように切った。


 不思議と少女の所作の美しさに目を奪われていた翔と豊は、見るからに深そうな傷を作る少女からぼたぼたと垂れる血に我に返り、目を背ける。


 2.3秒ほど目をつぶり、猛烈な吐き気がふたりを襲ったあと、おそるおそるその少女を見ると、無表情で涙を流す少女の手首から先程より勢いが落ちた血がポタポタと水面に滴り落ち、静かな水面に波紋を作った。


 溶け込んだ血が広がり、温泉が薄い赤に染まっていくと同時にあたりは突風が吹き荒れ、大浴場に桜吹雪が雪崩れ込む。


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