第7話 魔王が生まれた日
「放せ! 放せぇッ!」
「ヴィルマー様!」
森の中に、少年と少女の叫び声が響く。
少年は鎧と剣を身に付けた戦士らしき二人の男女の手で地面に押さえ付けられ、少女はローブ姿の魔術士らしき男と、軽装の
「子供と女の二人連れで、逃げ切れるとでも思ってたのか、ボウヤ?」
フード付きのマントを
「まあ、おかげでこちらにとっては好都合だけどな」
男はマントの下から剣を抜き放つと、切っ先を少年に向ける。
「ちょっと待ちなよ。この子は公爵家に連れて帰るんだろ。傷なんか付けたら──」
「黙れ」
少年を押さえ付けている女戦士が抗議するが、男は剣を女戦士の鼻先に突きつける。
「そいつはスキル適性が闇魔法と出た、つまり生まれて来た事自体がミルス様に対する背教だ。それ以上そいつの肩を持ったら、お前も背教者と
「そんな事──」
女戦士はなおも食い下がろうとするが、一緒に少年を押さえ付けている戦士が片手を伸ばして制すると、歯噛みして押し黙る。
「それに、そいつは修道院に送る所を逃げ出したんだ。連れて帰って宗教裁判に掛けられれば、逃げ出したという行為が既に闇魔法を修得している証拠とされて、間違いなく死刑判決が出る。だったら今ここで殺して首だけ持って帰る方が、聖教会の
男は剣を頭上へ振り上げる。
「これで俺も、晴れて聖騎士だ!」
喜々として叫ぶ男に、戦士二人は少年の首筋を男の前に差し出すも、苦々しい表情で男から視線を外し、少女を拘束していた魔術士と斥候も揃って目を逸らす。
その隙を突いて、少女は腕を振りほどき、今まさに少年の首を
「放せ! この!」
だが所詮、少女の細腕は簡単に振りほどかれ、男は少女を側にあった木へ乱暴に叩きつけると、少女の胸に深々と剣を突き立てる。
「ヴィルマー……さ……ま……」
男が乱暴に剣を引き抜くと、少女はカハッと吐き出される血混じりに言葉を漏らし、少年に向かって手を伸ばしながら倒れると、地面に血溜まりが広がる。
「ミナ!」
少女の名前を叫び、半狂乱になってジタバタともがく少年を、戦士二人が懸命に押さえる。
「おい、そいつは闇魔法のスキル適性なんて無い、ただの侍女だろう! それを殺して何もなしで済むと思っているのか?」
険しい表情で、魔術士が男に詰め寄る。
「ただの侍女? 死刑が決まったも同然の大罪人が逃げるのを手助けしたんだから、そいつも罪に問われるさ。むしろ殺すのは善行だ善行! ミルス様の名の下に、全ては正義になるんだ!!」
男は蒼白になった顔面に汗を流しながら、上擦った声で返す。
「それよりさっさとそのガキの首を刎ねるぞ! お前らも俺の正義の執行に協力したと、大司教に報告してやる。そうすれば、聖教会から
引きつった笑みを顔面に貼り付かせ、荒い息を吐きながら、男は再び剣を振り上げる。
「正義……正義だって……?」
暴れ疲れてぐったりと、押さえ付けられるに任せていた少年の口から弱々しく言葉が漏れる。
「そんなものの……ために……ミナが……」
少年の周りの影が、にわかに泡立つ。
「ん? 何だ?」
異変に気付いた戦士が足元を見た直後、影が立体的に膨れ上がり、少年と戦士、女戦士の三人を瞬時に飲み込む。
「「ギャァァァァァッ!!」」
影の中からゴキッ、グシャッと鈍い音に混じって男女の悲鳴が上がる。
数秒後、影が地面にしぼむと、全身が巨大な手で握り潰されたようにへし折れ、ひしゃげた戦士、女戦士の死体と、生気の無い表情で立った少年が現れる。
「な、何だあれは!?」
「まさか、闇魔法が発現したというのか!?」
口を半開きにして小刻みに震える男を無視して、斥候と魔術士が口を開く。
「よくも……ミナを……」
うわごとのような言葉を口から漏らしながら、少年は両手を伸ばすと、それぞれの手の平から黒い球状のものが斥候と魔術士に向けて飛ぶ。
「くっ!!」
咄嗟に魔術士が魔法で地面から土の壁を造るが、黒い球は易々と壁を破って二人に届く。
球は標的の体にぶつかると瞬時に膨らんで全身を包み込み、悲鳴と共に押し潰すと、数秒後に新しい圧死体が二体、地面に崩れ落ちる。
「ひっ、ヒィィィィィッ!!」
ここに来てようやく事態を理解した男が、踵を返して駆け出すが、少年の影から触手状の物が伸びて男に絡みつくと、手足を砕いて地面に倒す。
そうしてから男が無理矢理触手に後ろを振り向かされると、ゆっくりと少年が歩み寄ってくる。
「お、俺は、大司教に、聖教会の、上の奴に言われてやったんだ! だから──」
必死で声を上げて許しを請う男の口と顎に、影の触手が巻き付くと、これ以上聞く気は無いとばかりに締め付けて顎と歯を砕く。
「だから、何だ? ミナを殺したのはお前だろう」
少年の目に生気が戻る。だがそこに宿るのは、
「許さない。許さない。お前も、聖教会も、それを信じる奴らも、全部、全部、狩り尽くして、責め尽くして、殺し尽くしてやる。そして、ミルスも──」
怒りの形相で涙を流す少年から
「ヴィルマー様、起きて下さい」
聞き覚えのある声に目を開けると、先程殺されたばかりの
「ミナ! 君、生きてたのか、そんな出血で!?」
ガバッと跳ね起きてミナの血まみれの服を触ると、当のミナはキョトンとした表情で服を摘まむ。
「ああ、これはさっき
「突進猪? 返り血?」
「やあ、お目覚めですか。流石に子供でこういった旅は疲れるでしょう」
一番年上の戦士らしい男の人が声を掛けてくる。
「
僕にしか聞こえないように、ミナがそっとささやいてくる。
──そうか、あれは『リヒト・レゲンデ』のゲーム中に出て来た、
ゲームの中で勇者達のパーティーが魔王の城へ向かう途中、野営して眠っている時に夢として出て来て、こちらからは一切動かす事ができない自動進行イベントだったけど、あれで魔王が単なる勇者の宿敵ではない、厚みのあるキャラクターになったとネット上で評価されていた。魔王についてはこれ以外にも終盤の展開が話題になったけど、それは別の話。
(「夢であれを見るなんて、あそこに近付いてるからかな?」)
ふとそう思ったけど、ミナはいま目の前で生きてるし、闇堕ちイベントで巻き込まれて殺される冒険者達も、僕の首を狙った男(今さっき気付いたけど、この間釜茹でになって死のうとしたのを邪魔してきたあの修道士だった)でなく、僕達に雇われて一緒に来てくれているから、ゲームとは全く違う。
「肉が焼けてるよ! 早く食べよう!」
冒険者達の中で一番若い、斥候らしい人が言ってきて、他の人達が「コラ、その言葉遣いは何だ」と注意してくるのを見ながら、僕は彼らに交じるために起き上がった。
「いや~、結構長く冒険者の仕事をやってるけど、こんなに快適な道中はなかなか無いよ」
串焼きの肉を飲み込んで、女戦士のウルズラがご機嫌で言ってくる。
「快適? 野宿なのに?」
突進猪の肉と野菜の煮込みスープを食べていた僕は思わず尋ねる。
「まあ貴族のお坊ちゃんじゃ、野宿なんてした事がないか」
魔術士のジーモンがフンと鼻を鳴らす。
「すみません、この人は誰にでもこういう突っかかった事を言ってくるんですけど悪気は無いんです」
斥候のペーターが代わりにフォローしてくるので、僕は「気にしてないから」と返す。
「ですけどね、ウルズラが言う通り、今回の依頼は我々冒険者の道中としては快適な方ですよ」
彼ら冒険者パーティー『灰色の鴉(からす)』のリーダーである戦士のフィデリオが話を続ける。
「何しろそちらのミナさんが馬車の手配をしてくれたから移動が速い。しかも
「そうそう、普通なら晩メシがパンと干し肉、チーズに水なんてのもザラなんだから」
フィデリオの説明に、ウルズラが付け足してくる。
「おまけにフィデリオさんの、突進猪の角がかすった傷の手当てや、倒した後の突進猪の解体の手際も良かったから、随分助かってますよ」
「そんな、無理を言ってヴィルマー様と一緒に皆さんと同行しているのですから、このくらいのお手伝いはさせて頂かないと」
ペーターの賛辞にミナがそう
「本当は人間の死体相手の方が慣れてるんですけどね……」
すぐに続けて『灰色の鴉』のメンバーには聞こえない、小さな声でミナが呟く。
「いっその事、貴族のお坊ちゃんの世話係なんか辞めて、俺達の仲間に入らないか?」
「ちょっと、失礼だよジーモン!」
強い口調でペーターが注意するけど、ジーモンの提案は悪くない。
この旅の目的が果たせたら、と言うよりも、僕を城から連れ出した時点で、ミナはもう公爵家には戻れないだろうから、身の振り方が心配だったけど、冒険者のパーティーに入れてくれて、しかも重宝されそうというなら安心だ。
「ところで、もうそろそろ教えて頂けませんか? ヴィルマー様の目的を」
食事が終わってミナ達が後片付けに場を離れたのを見計らうように、フィデリオがそう切り出してきた。
「私達がミナさんから聞かされたのは、ヴィルマー様とミナさんを『黒の森』まで連れて行って欲しいという事だけです。ミナさんが破格の条件と報酬を約束してくれたから、ここまで何も訊かずにいましたが、一体あんな所へ何の目的で行かれるのか、そろそろ教えて頂けませんと、ね……」
フィデリオは言葉を詰まらせる。確かにあそこは観光やキャンプで行くような場所じゃないから、目的も知らずに進むのはそろそろ限界らしいね。ゲームのように上からの視点でキャラを動かして移動するのとは違うから分かり辛いけど、黒の森まであと少しのようだから、もう話しても良いか。
「僕の目的は──」
一呼吸置いて、僕は続きを言う。
「
僕の言葉に、フィデリオだけでなく『灰色の鴉』のメンバー全員の表情が凍り付く。
「本気で、言ってるのですか?」
沈黙を破って口を開いたのは、リーダーのフィデリオだった。
「本気だよ」
僕は即答する。
「おいおい、確かに大昔、黒の森にダークエルフが暗黒神を崇める大神殿を造ったという話は、子供だっておとぎ話で聞かされてるが、所詮はおとぎ話であって、実際にそれがあるかは……」
「あるよ。ついでに言うと、黒の森のどこにあるかも、僕は知っている」
ジーモンの言葉を遮って、僕は続ける。
「どうやって知ったかは、
僕がそう言うと、『灰色の鴉』の皆が寄り集まる。
「おい大丈夫かフィデリオ? あんな話に付き合って」
「しかし、子供の冒険ごっこや空想にしては、自信ありげだったぞ」
「確かに、暗黒神の大神殿どころか黒の森さえ、子供が遊びで行く所じゃないって事くらい、あたしの村でも親から散々言われてたからね」
「でも本当に暗黒神の大神殿なんて見つけたら、うちのパーティーはギルドのランクが上がるなんてどころじゃないよ」
「確かに、歴史に名前が残るかも知れないね」
「こら、まだ見つけてもいないのに、そういう話を膨らませるんじゃない。まずは……」
「その話、詳しく聞かせてもらえるか」
「おい、先走るんじゃないウルズラ。私が最後まで話して、皆の同意があってから、ヴィルマー様に訊くのが順序というものだぞ」
「あたしじゃないよ」
「俺も違うぞ」
「僕でもありませんよ」
パーティーのメンバーが首を横に振る。
「じゃあ誰が……って、誰だ!?」
フィデリオの
黒いマントを纏った下には革製の胸当て、脛当て、籠手を付け、腰のベルトにポーチを通し、
「エルフ?」
ペーターが口に出すと、
「エルフを見るのは初めてか?」
耳飾りを揺らしながら、女は口の端を上げる。
「それはそうだろう。私も冒険者をかなり長くやっているが、過去に一回しか見た事がない」
フィデリオが感慨深げに、代わって答える。
「それで、詳しく聞かせてもらえるか。アーヴマンの大神殿の事を」
「人に物を尋ねる時は、まず自分から名乗るのが礼儀じゃないかな?」
口調を硬くして僕が返すと、女は「これは失礼した」と詫びる。
「私はナリシアという。見ての通り、諸国を旅して回っている」
「ヴィルマー・フォン・ノルドベルクだ。よろしく」
女──ナリシアが名乗ると、僕も名乗りを返す。
「ナリシア……ナリシアか。いいよ、一緒に行こう」
僕は確認するように、彼女の名前を繰り返すと、申し入れを承諾する。
「よろしいのですか?」
「いいんだ。むしろ好都合さ」
訝しむミナだったが、僕は笑顔で即答すると、「ヴィルマー様がそうおっしゃるのでしたら……」と納得する。
「確かに、これから黒の森に入る事だし」
「なるほど、エルフがいれば森の中でも心強いって訳だね」
『灰色の鴉』の冒険者達も賛同する。
「決まったね。それじゃ、話をしようか──」
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