自殺志願令息の英雄譚~転生したら未来の魔王だった
たかいわ勇樹
第1章 少年は不遇と戦わない
第1話 少年は不遇と戦わない
白い壁と天井、リノリウムの床で構成された病室。横たわるベッド上のシーツと布団、側に置かれた点滴と生体情報モニタ。それが僕にとって、世界の全てだった。
生まれた時から普通の生活さえままならない難病を抱え、日々繰り返される検査と投薬。病気の症状と薬の副作用による苦痛が僕の日常。
両親や医者の先生、ナースのお姉さん達はそんな僕に病院の院内学級に通って友達を作るよう勧めた。あそこに通っている他の子供達は、僕に比べたら軽い病状の子が大半だったけれど、同じ年頃の友達がいるのは病気で暗くなりそうな心を明るくしてくれた。
そんな友達になった患者の一人に、心臓に難病を抱えている男の子がいた。彼は僕と同じ年で、難病を抱えている者同士仲良くなるのに時間は掛からなかった。僕達は時間があれば一緒に夢を語り合い、治療を耐える希望を
けど、そんな時間も、夢も希望も、突然終わりを迎えた。
最新の術式が海外で成功を収め、その術式なら彼の心臓を治すことが出来るという事で、彼が手術を受ける事になって、先に治ってしまう事に僕は少しだけ嫉妬しながらも彼を送り出した。
でも、彼が生きて手術室から出てくる事は無かった──
僕は悲嘆の涙に暮れる中で、彼と自分を取り巻く理不尽な運命を呪い、世界も、周りの大人達も、あらゆるものを憎み、拒絶した。
どうせ死んで失ってしまうのなら、友達なんて要らない。
どうせ叶う見込みもなく、壊れてしまうのなら、夢なんて要らない。
どうせ絶望に変わってしまうのなら、希望なんて要らない──
僕は院内学級に通う事を拒否し、大人達の慰めや励ましに耳を塞いで目を背け、検査や投薬以外、ほとんど全ての時間をゲームに費やした。
ゲームの世界は現実と違って、好きなように動けて、どんな困難があっても練習や試行錯誤を重ね、時間を掛ければクリアできた。そんなものは現実逃避だと言う人もいたけど、「どんなに頑張ったって良くならない現実に、何の意味があるって言うの?」と返すと、何も言わなくなった。
中でも僕が好きだったのはRPG《ロールプレイングゲーム》だった。敵を倒せば経験値が入って、それを積み重ねればレベルが上がって能力が上がっていくのは達成感があった。レベルが上がるにつれて増えていく、強力な技や魔法を使うのが快感だった。ストーリーが進めば強力なアイテム、貴重なアイテムが登場して、それを集めるのも楽しかった。
現実の僕はベッドの上から動くこともままならず、社会に何も為すことが出来ない病人だけど、ゲームの中ではどこにでも行けて、世界を救う勇者になれた。
けど、現実の僕の体は年を重ねると共に病も進行し、十五歳になった時、僕はもうゲームのコントローラーを持つ事もできなくなり、人生の最後を迎えようとしていた。
聞こえるのは生体情報モニタからの電子音と、そこに混ざる医者と両親の声。
重い
(「ああ、僕はずっと、こんなにも周りの人達に迷惑を掛けて、悲しませてきたんだ……」)
今更ながら湧き上がる罪悪感と申し訳ない気持ちで、僕の胸は一杯になって、溢れる気持ちは涙になって目からこぼれた。
同時に、小さな命の火が消えようとしている事に、心の底から安堵した。もう周りに迷惑を掛けないで済むと。
──ごめんなさい、こんな親不孝な息子で。ごめんなさい、こんな反抗的な患者で。ごめんなさい、現実から逃げてばかりで。もし、もしも生まれ変わりがあるなら、次は、次の人生は、人に迷惑を掛けないように生きます……
そう心に誓って、僕の短い人生は終わった。
それなのに、何でこんな事になったんだろう──
「おはようございます。朝ですよ」
瞼越しでも分かる強い光と、女の人の呼び声に、僕はうっすらと瞼を上げる。
視界に入るのは、模様入りの壁紙が貼られた天井。視線を下げると、クリーム色の壁紙が貼られた壁と、そこに掛けられた風景画にアーチ型の窓。無機質な白い天井と、アルミサッシの窓だけで壁に装飾の一つも無い病室とは大違いの光景に、僕は言葉を失う。
「大丈夫ですか?」
呆然としている所に再び声を掛けられて、声の方向を振り向くと、まだ十代半ばだろう侍女服の女の子が、
(「ここはどこ? それに侍女?」)
「うん、大丈夫だよ」
戸惑いながらもそう答えて上体を起こすと、胸が引きつるように痛む。病気や投薬の副作用による苦痛は嫌と言う程経験したきたけど、それとは全く違う痛みにウッと声を上げると、女の子の顔が青ざめる。
「ヴィルマー様!」
声を上げる女の子を「大丈夫、収まった」と押しとどめ、本当はまだ胸が痛むのをこらえながら、僕は懸命に考えを巡らせる。
(「今彼女、僕の事を『ヴィルマー様』と呼んでたけど、もしかして僕の名前? という事は少なくとも、ここはあの世でも、増して病院でもないのか?」)
「ヴィルマー様、本当に大丈夫ですか?」
不安そうに女の子が尋ねてくるけど、現状を把握するには情報が少なすぎる。何より僕自身が今どうなっているかも分からなくてはどうにもならない。
「済まないけど、鏡を持って来てくれる?」
「はい、只今」
すぐに女の子が持って来てくれた手鏡を見ると、そこに映っていたのは、いささか線が細い印象はあるけれど、長年の病気でやつれていた『僕』の姿と比べれば遥かに健康的な、そして似ても似つかない金髪の男の子の顔だった。
状況に理解が全然追いつかず、それでも確認の手は止まらず、続いて胸に巻かれた包帯に気付くと寝間着の下に手を突っ込んで包帯を掴む。
「いけません、ヴィルマー様!」
(「何だろう? 火傷にしては模様みたいに見えるけど」)
僕は火傷の全体像を見ようと鏡を胸に向ける。そして鏡に映った光明神ミルスの聖印の形をした火傷の跡を見た瞬間、僕は全てを思い出した。
僕の名前はヴィルマー・フォン・ノルドベルク。
ブロッケン王国屈指の名家、ノルドベルク公爵家の嫡子。まだ一〇歳だけど、父様と母様は僕がまだ物心付くく前に亡くなって、家族は公爵である
この国の人族は一〇歳になると光明神ミルスを奉じる教会でスキル適性を鑑定する儀式を受ける。僕もまた、同じ年の他の子供達に混ざって儀式を受けた。
その儀式で出た僕のスキル適性は、『闇魔法』。
この世界に於いて、光明神ミルスを崇めるミルス聖教会は諸国の政治にしばしば介入するほどの影響力を持っている。神話上でこの世界の主導権をミルスと争って敗れたという暗黒神アーヴマンは聖教会の教義で邪神とされ、アーヴマンの力を使うと言われる闇魔法も邪悪なスキルとされていた。
そして、僕の運命は暗転する。
僕は公爵家の城にある礼拝堂に連れて行かれ、ミルスの祭壇の前で昼も夜も、聖句や祈りの言葉を延々と唱えさせられ、少しでも間違えたり姿勢を崩せば即座に監視係の鞭が飛んで来た。しかもその間、食事も睡眠も一切取ることを許されずにだ。もちろん文句を言ったし泣きもしたが、返ってきたのは鞭だけだった。
責め苦はそれだけでは終わらず、遂にはミルスの聖印を焼印で左胸に押され、火傷と苦痛で気を失い──そして今に至ると言う訳だ。
──……って、待てよ?
そこまで思い出した所で、頭の片隅に何か引っかかる気がして、僕は記憶の糸を
(「ヴィルマー、公爵家、闇魔法、ミルスの聖印…………そうだ、ヴィルマー! 魔王ヴィルマーだ!!」)
僕は病床でプレイしていたRPGゲーム『リヒト・レゲンデ』で主人公である勇者の敵役として登場していた魔王が同じ名前だった事に思い当たると、そこからゲーム内で見た魔王の過去を
公爵家の子に生まれるも、スキル適性が闇魔法と出たために酷い虐待を受けた事で、聖教会と人族への憎しみを抱いて
(「じゃあ僕は、ゲームの世界に転生したの!? しかも魔王なんかに!」)
いや、確かゲームで出ていた魔王の過去イベントだと、闇堕ちするまでにまだ幾つか段階があったはずだ。と言っても、勇者の仲間である魔法使いが過去を夢で幻視したという形の自動進行イベントだったから、防ぐ事はできなかったし、こうして現実になっても状況を打開する方法がすぐに思いつくはずも無かった。
「ヴィルマー様?」
考え事に夢中で、心配そうに侍女が顔を近付けてくるのに気付かず、僕は「うわっ!」と声を上げる。
「申し訳ありません、ずっと黙っておられたものですから」
「大丈夫、心配掛けたねミナ」
慌てて詫びる侍女──ミナに、僕はぎこちなく笑って言う。
とは言え事態は深刻だ。魔王の過去イベントだと、この後城から逃げ出すけどすぐに追っ手が掛かって、逃げるのを手伝って一緒に付いてきてくれたミナが追っ手に殺されたのが引き金になって、ヴィルマーは闇堕ちして魔王になるんだ。でもこのまま城にいても、また虐待が再開されて、憎しみを募らせて闇堕ちするのも十分以上にあり得る。
もし生まれ変わりがあるなら、次の人生は人に迷惑を掛けないように生きると誓ったのに、魔王になって破壊と殺戮なんて、迷惑なんてどころじゃ済まないじゃないか。こんな事になるなら転生なんてしないで、ただ死んで終わる方が良かった。
(「ん? 待てよ、死んで終わる……まだ僕は魔王になってないから、死ねば魔王にならなくて終わる……」)
ほんのちょっとした、頭の中の引っ掛かりから、僕は考えを広げていく。そして何分もしないうちに、一つの結論にまとまった。
──そうだ、魔王になる前に死ねばいいんだ!
そう思い付くと、心の中にわだかまっていた悩みが一遍に解消された。
僕一人が死ぬだけで、大勢の人達が殺されずに済むなら安いものじゃないか。それにさっき前世の記憶を思い出して、死ぬ時の感触もまだしっかり覚えている。なぁに、ちょっとばかり意識がスーッと無くなるだけさ。
良し、そうと決めたら早速実行だ!
僕はベッドから下りようと布団をめくると、ミナが慌ててやって来る。
「いけませんヴィルマー様、まだお体が弱ったままなのに無理をされては!」
布団を戻そうとするミナに、僕は懸命に抵抗するが、元々腕力がある方ではないのに加えて彼女との年齢差、そして思っていた以上に体が衰弱していたらしく、僕は強引にベッドに押さえ付けられる。
「離してミナ、僕は死ななくちゃいけないんだ!」
「えっ、死ぬ!?」
僕の言葉に驚いたのか、ミナの力が弱まった隙を突いて、僕はガバッと上体を起こす。
「そうだ! 闇魔法のスキル適性を持っているなんて、公爵家の家名を
咄嗟の思い付きながら、もっともらしい理由を出す。
「それって自殺ですか!?」
「他に何があるって言うんだ?」
再度ミナと力比べをしながら問答をするが、突然ミナが手を離し、僕は勢い余って状態がつんのめる。
「いきなりどうしたんだミナ?」
上体を戻してミナに尋ねると、彼女は目を輝かせて言った。
「まあ、自殺されるのですか! どんな死に方に致しますか? 苦しまない死に方ですか? それとも歴史に残るような
「は?」
口から間抜けな声が漏れるけど、誰も僕を責められないと思う。普通に考えて、あんな反応を返されたら誰だって返答に困るだろうし。て言うか、ゲームの過去イベントに登場していたミナと、キャラクターが全然違うよ。彼女は、と言うより普通の女の子は、人が自殺すると言ってそれを喜ぶなんてしないだろう。
「どうされますかヴィルマー様、よろしければこのミナが自殺の準備から死体の取扱いまで、一切をプロデュースいたしますが?」
そんな僕の困惑に気付きもせず、興奮気味に身を乗り出してくるミナ。
もしかして……
心当たりがあった僕は、ミナにそっとささやいた。すると──
「えっ、こちらへ来る前の身支度で、髪はちゃんと整えたばかりなのに、まさかそんな!」
慌てた様子で後ろ髪を手櫛で整えようとするミナに、僕は自分の推測が的外れでなかったと確信した。『後ろの髪が跳ねてるよ』と日本語で言ってあの反応なら。
「ミナ、もしかして君も、前世が日本人なのかい?」
日本語をマスターした外国人が前世という可能性もあったから、念のため確認する。
「『君も』とおっしゃいましたね。それじゃヴィルマー様もですか!?」
果たして僕の推測は正解だった。
それから僕達は周りに他人がいないのを確かめると、お互いの前世について情報を交換した。
僕が前世で難病の末に若くして死んだ事はもちろん、ここがゲームの世界である事も、ミナなら大丈夫だろうと思って全部打ち明けた。
一方、ミナは前世で
ちなみにゲームの公式サイトに掲載されていた隠し情報だと、ミナは代々軍人を輩出してきた貴族の家に生まれるも、スキル適性が
「お父様達ったら酷いんですよ。私が王都の外や貧民街を、危険をかいくぐって行き倒れなどを探したり、苦労して無限収納に集めた死体を、看破スキル持ちの人を使ってまで全部没収して、また死体を集めに行かないようにと公爵家へ行儀見習いに出されて……せっかく前世のような写真じゃなくて、実物の死体をコレクションできると思ったのに!」
……ともかく、死に方の知識が豊富なようだし、僕が死んだら死体は好きにして良いと言ったら、ミナは即座に協力を快諾してくれた。闇魔法のスキル適性持ちの死体なんて、公爵家の墓に葬るのははばかられるだろうし、ちょうど良かったと言えば良かったかな。
その後僕はミナが持って来てくれたパンとスープの朝食を取り(ミナ曰く「自殺するにも、ある程度体力は要りますから、ちゃんと食べましょうね」という事だったので)、ベッドから下りるとミナの手を借りて服を着替える。
「ねえミナ、これから死ぬのにわざわざ着替える意味なんてあるの?」
「何をおっしゃいますか。公爵家の公子ともあろう者が、寝間着姿で死体を
「そういうものなの?」
「そういうものなんです」
まあ確かに、ただでさえ死体というショッキングな姿を晒すんだから、寝間着姿よりちゃんとした服装の方が良いか。
それから死んだ後、無用な誤解を避けるためとミナの勧めで、自分の意志で死ぬ旨とその理由を遺書にして書き残す。
「死ぬのにこんなに準備が要るなんてなぁ……」
「何をおっしゃいますか。ヴィルマー様はまだお子様ですからこの程度の準備で済むのですよ。これが大人になって責任ある立場に就かれたら、死後の財産の扱いや、お仕事の引き継ぎ、その他諸々で何倍もの準備が必要になるのですから」
溜息を吐く僕に、そうミナがたしなめてくる。
「そうか。僕はまだ準備が少なくて済む方なんだね」
「そうですよ。準備が満足にできなくて死んでしまった人達に謝って下さいね」
「そうだね。来世に行く前にあの世へ行くことがあったらそうするよ」
そうして準備を済ませると、ミナが扉をそっと開けて首だけ出し、廊下を
「大丈夫です。誰も来ていませんから今のうちに」
そうミナに促され、僕は部屋から出る。
「ねえミナ、これからどこへ行くの?」
ゲームの過去イベントでもミナがこうして逃げるのを手引きしてくれてたけど、僕達が進んでいる方向は、城の出口とは反対だ。
「上です。できるだけ高い所へ」
ミナが答えた直後、にわかに周りが騒がしくなる。
「もしかして、僕が部屋から出たのに気付かれた!?」
「大丈夫です。公爵様やお城の人達は、ヴィルマー様が城から逃げないように出入口を固めようとするはずですから、すぐには見つからないはずです」
「そうか、流石はミナだ」
心臓が高鳴る僕だったが、ミナの言葉で落ち着きを取り戻す。
その後は何度も城の人達に見つかりそうになるけれど、その度にミナの機転でやり過ごして、城を上へ上へと登っていく。
そして──
「上手くたどり着けましたね」
城で一番高い尖塔の最上階まで上がった所で、ミナが安堵の笑みを見せる。
僕も笑顔で返そうとしたが、強い風に当てられて、つい顔をしかめる。
「流石に風が強いね」
「そうですね。ですがここからなら高さは十分だし、下は石畳で木などもありませんから、確実に死ねますよ」
ミナが提案した自殺方法は、投身自殺だった。
「この高さからでしたら、飛び降りて二、三秒もしないうちに地面に落ちて即死ですね。痛くありませんから自殺の方法としてはお勧めです」
下を確認するミナに続いて、僕も
「あっ、馬車がエントランスの前に止まってる」
降りてきた数人の人達は、黒くて丈の長い服と、同じ色の帽子を着ているのが遠目にも確認できた。
「あれは修道士の服と帽子ですね。多分ヴィルマー様を修道院に連行しに来たんですよ」
「修道院?」
「そうです。修道院に入れられたら最後、ヴィルマー様は奥深くに閉じ込められて、一生外に出られないでしょう。それだけじゃなくて、ヴィルマー様が先日まで受けたような鞭打ちや、下手をしたらもっと恐ろしい責め苦も……」
「それほど恐ろしい責め苦なら、すぐに死ねるかな?」
「甘いですよヴィルマー様。そういう責め苦は苦痛を長く与えるために工夫されていますから、すぐには死なせてくれませんよ」
一瞬期待したけど、すぐミナが首を横に振ってくる。
「あれは、公爵様!?」
城の方からも人が出て来て、白髪頭と服装から、僕もすぐに御爺様だと分かるや否や、向こうが突然こっちを見上げてくる。
「まずい、気付かれた!」
流石は公爵家の当主、何て勘の鋭さだ。
すぐに何人もの足音がこちらへ近付いてくる。
「いたぞ!」
数人の使用人達が、息を荒げながら上がってくる。
「ヴィルマー様、そこは危ないですから、早くこちらへ!」
そう言ってくる執事に、ミナが進み出て立ちはだかる。
「邪魔をなさらないで下さい! これからヴィルマー様は、公爵家の家名を汚した罪を、死を以て償おうとされているのです!」
ミナは僕の方を振り向く。
「さあヴィルマー様、ご
「分かった!」
僕は手摺りに手を掛けて、上半身をよいしょ、と持ち上げる。そこから前に乗り出せば落ちて死ねる、と分かっていても、本能的に怖くてすぐ実行に移せない。一回死んだくらいじゃ死の恐怖は慣れないんだね。
「ヴィルマー様!」
後ろを振り向くと、ミナが懸命に抵抗するけど、悲しいかな女の子の非力さと人数差で押しのけられ、使用人達が僕に向かって殺到してくる。
ここで捕まったら、二度と自殺のチャンスはない。そう思うと、僕は目を瞑って手摺の向こうに上半身を傾けた。
「「ヴィルマー様!」」
下から吹き上げてくる強風のような空気の抵抗を感じながら、使用人達の悲鳴じみた声が遠ざかっていくと、僕は今落ちてるんだと理解した。地面に落ちるまで二、三秒という割に遅く感じるのは、命の危機で脳が高速回転しているからか?
そう思ってました──
ところが何秒経っても、前回みたいに意識が途切れる感覚が全く無い。それどころか、周囲からの騒ぎ声がどんどん大きくなってくる。
(「もしかして、死んだ後で幽霊になってるのかな?」)
僕は意を決して、目を開けてみた──
「えっ!?」
目の前に飛び込んできたのは、半透明で薄黄緑色をした女性の顔だった。
(「もしかして、ファンタジーの世界だから天使が迎えに来たの!?」)
そう思っていたけど、周囲からの声から、「風の精霊か?」「あれほどはっきりした人型を取ってるなんて、上位精霊しか有り得ない!」「初めて見た!」というのを聞き取る。
それで周りを見回してみると、僕の体は『落ちている』と言うよりも『降りている』と言った方が良い遅さで地面に向かっていて、どうやら下からの強風で落下速度を大幅に緩められているようだった。それが目の前にある女性──風の精霊の仕業であることは、僕でもすぐに分かった。
そして僕はゆっくりと、地面に音も無く着地させられる。
風の精霊は僕に向かって無言で微笑むと、僕の額に軽く口付けをして来た。
「見ろ! ヴィルマー様の額に紋様が──って、消えた!」
「体の中に吸い込まれたのか?」
「あれはまさか、精霊の加護の証!?」
「そんな物、見たことも聞いたこともないぞ!」
「それは私だって、本でしか見たことがありませんから」
どうやら精霊が口付けを通して僕に何かしたらしく、周りがまた大騒ぎする中、風の精霊は僕から離れると、スウッと薄らぐようにして姿を消した。
「ヴィルマー様!」
そこへ尖塔から下りてきたミナが、周りの人を掻き分け、息せき切ってやって来る。
「ミナ、邪魔が入って死ねなかったよ!」
「大丈夫ですヴィルマー様、自殺の方法はまだたくさんあります。次こそは必ず──」
「馬鹿者!!」
ミナが頼もしく答えるのを、御爺様の怒声が遮る。
「申し訳ありません御爺様、闇魔法のスキル適性で家名に泥を塗った上に、自殺まで失敗してしまって……ですが次こそは立派に死んでみせます!」
御爺様の怒りを少しでも和らげようと、僕は精一杯力強く言ってみせる。
「何を言っておるのだヴィルマー!」
僕の頭に手を遣りながら言ってくる御爺様の目からは、いつからか涙がこぼれていた。
「ああ……怒りを通り越して悲しくなるほどの
見ている僕まで泣きそうになる。
「違う! お前は自分に何が起こったのか分かっているのか! 風の上位精霊が落ちようとしていたお前を助けて、しかも加護を授けたのだぞ! これは闇魔法のスキル適性という
「そうねぇ、これはアタシ達の一存じゃ決められないし、だからと言って当初の予定通り修道院に連行って訳にはいかないわね。とりあえず王都に報告を送って、大司教様の判断を仰(あお)ぐとして、その間坊やの扱いは保留って所かしら?」
御爺様が後ろにいた修道士達に向かって尋ねると、先頭にいた修道士がこめかみに指を当てながら答える。
(「精霊の加護って、つまりチートスキルってやつ?」)
闇堕ちして魔王になる前に死ぬつもりが、失敗した上にチートスキルが付くなんて、言う事は一つだ。
──神か誰か知らないけど、そんなに僕を魔王にしたいのか!?
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