第34話 よりどころ

「父は不確定要素を嫌いますから、私を王太子妃にするために万全の状態を整えたいのだと思います」


不穏な動きをみせるバゼーヌ侯爵に、ジゼルは陽香が王太子妃になることを望んでいないと訴えたが、ジゼルのやり方では手ぬるく確実性に欠けると一蹴されたらしい。それでもリスクを考えれば最善だと説き伏せるべく、ジゼルは陽香と何とか接触を図ろうとお茶会へと誘い続けたのだ。


「ジゼル様はどうして話してくださったのですか?」


アンリを想っているからこそバゼーヌ侯爵の企みを阻止しようとしているのは分かる。それでも侯爵家ごと断罪されてもおかしくないのに、自分が知っている限りのことを伝えてくれるジゼルに陽香は訊ねずにはいられなかった。


「私は元々期待されていない娘だったのです」


人見知りで優秀な兄たちに比べて出来が悪く、やることなすこと上手くいかないジゼルはいつも叱責されていた。

ジゼルが七歳の時、アンリと年齢の近い令息令嬢が集められたお茶会で、王子への挨拶をする際にジゼルは緊張のあまり足を縺れさせてしまったのだ。


厳しい叱責と無様に倒れる自分の姿を想像し、固く目を瞑ったジゼルを支えてくれたのはアンリだった。


『私が見つめていたせいで緊張させてしまったね。良かったら少し庭を散策しようか?バゼーヌ侯爵、ジゼル嬢をお借りしますね』


背後から突き刺さる父の視線や周囲の嘲笑の眼差しから、アンリはジゼルを連れ出してくれたのだ。


「アンリ殿下のおかげで、結果的には殿下と交流を持てたということで私は叱られずに済みましたわ。……ですが、そのせいでアンリ殿下は王妃様から叱責を受けたそうです」


そのお茶会ではバゼーヌ侯爵と対立関係にある侯爵家の令嬢と仲良くするよう、アンリは王妃から言い含められていたらしい。


本来は機密事項であるのにそれをジゼルに告げたのは当の侯爵令嬢で、ジゼルへの敵対心と牽制のために告げたのだろう。

その日からジゼルにとってアンリは特別な存在となり、アンリのような人間になれるよう努力を重ねたのだった。


「ご自身の振る舞いが王妃様の意に沿わないことだと理解しておられたのに、殿下は手を差し伸べてくださいました。私はあの日の殿下に恥じない行動を取りたいと思っているだけですわ」


そう告げるジゼルの表情は柔らかく、肩の荷が下りたように安堵を浮かべていた。



動き出した馬車の中で、陽香は小さく息を吐いた。

ここからが気の抜けない局面だと言うのに、最後まで心配してくれていたジゼルのことが気になってしまう。


隣に座っているアンリはもそもそと侍女服から王子に相応しい恰好に着替えている。元々中性的な顔立ちのため、鬘を被り化粧で整えれば何とかなってしまったのだ。

侍女服という制服による思い込みもあるのだろうが、これならば男性が立ち入られない場所にも入ることが出来るから、と変装が成功したアンリの主張が通ることになった。


着替え中であることを差し引いてもアンリに聞くのは躊躇われたため、陽香は小声でメルヴィンに話しかけた。


「……ジゼル様は大丈夫だと思う?」


娘の裏切りを知ればバゼーヌ侯爵がどういう行動を取るだろうか。子供時代のジゼルへの接し方や邪魔者である陽香の対応などを考えると、どうしても嫌な想像ばかり浮かんでしまう。


「長年アンリへの思慕を隠し通していたぐらいだから、ジゼル嬢もそう簡単にボロを出すとは思えない。それにバゼーヌ侯爵は彼女を王太子妃に据えることで、権力を得ようとしているのだから危害を加える可能性は低いだろう」


メルヴィンの言葉は納得できるもので陽香は安堵の息を吐いた。


(私に出来ることは何もないけど……)


見目麗しく完璧な淑女であるジゼルが、幼い頃の思い出を口にするとまるで宝物に触れた時のような柔らかな表情を浮かべていた。

そんなジゼルをアンリはどう思っただろうか。


あの優しい綺麗な心の彼女が、どうか報われて欲しいと願ってしまう。陽香にはどうしようもないことだが、そっと心の中で祈った。



走り始めて10分ほど経った頃、規則的な音を立てていた馬車が、突如馬のいななきとともにぐらりと揺れる。


「二人とも動かないように」


メルヴィンの厳しい声に陽香が頷くと、外の様子を一瞥した後、無駄のない動きで馬車の外へと消えた。

すぐに警戒を促す声や金属がぶつかり合う音が聞こえて、緊迫した空気に陽香は身を固くする。


(きっと大丈夫。みんな強いからそう簡単に怪我なんかしないってメルヴィンが言ってたから)


そう言い聞かせていると、隣から伸びて来た手が無言で陽香の手の上に重ねられた。自分が震えていることに気づいて陽香は動揺に息を呑む。


こんな状態では上手くやり切れないかもしれない。

不安に押しつぶされそうになったものの、背中をさする感触で我に返った。

労わるような眼差しにふっと息が漏れて、いつの間にか止めていた呼吸をゆっくりと意識的に繰り返す。


(大丈夫、一人じゃない)


落ち着いたことと感謝を伝えるために笑顔で陽香が頷いた瞬間、鋭い音が耳に届く。アンリが庇うように陽香を抱きしめると、馬車の窓ガラスが不快な音を立てて砕け散った。

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