第32話 Xデー

この日のために用意した服に袖を通す。

灰色がかったラベンダー色のワンピースには花の刺繍が散りばめられており、大人っぽい雰囲気に柔らかさを添えている。

見た目に反してずっしりと重い衣類は肩が凝りそうだが、これはいわば戦闘服であり必要なものだ。


招待を受けてから超特急で準備した物も何とか間に合わせることが出来たとはいえ、不安は残る。

不測の事態も含めて何度も議論を重ねたのに落ち着かないのは、失敗した際に代償を払うのが陽香だけではないからだ。


必要な物を再度確認していると、ノックの音が聞こえた。


「良く似合っているな」

「……ありがとう」


穏やかな笑みを浮かべて告げるメルヴィンに、陽香はぎこちなくお礼を言うに留める。以前であれば無視するか、素っ気ない態度を取っていたが、メルヴィンの手を取ったあの日から肩の力が抜けた。


(馬子にも衣裳というか、まあ社交辞令なんだろうけど、何かくすぐったい……)


アンリの運命の相手として侯爵令嬢とのお茶会に参加するのだから、普段どおりの恰好では失礼になる。普通の令嬢と遜色のないドレスは、アンリ経由で準備してもらったものだ。


「必要なことはこちらでするからあまり気負わなくていい。安心して護られておけ」

「……うん。よろしくお願いします」


陽香の内心の不安を読み取ったかのようなメルヴィンの言葉に、頷いた。


襲撃の可能性が高いと分かっていながら行くのは、護衛に付く騎士たちを危険に晒してしまうのは避けられない。そのことへの罪悪感を抱かせないメルヴィンの気遣いに、自分の中の葛藤を呑み込んで陽香は返事を返す。


今日よりも前に二度、陽香は体調不良や天候を理由にジゼルとのお茶会を延期している。

バゼーヌ侯爵の苛立ちを煽り、今回しかないと思わせるための駆け引きだ。

あれからずっと城に引き篭もっていた陽香を排除するなら、バゼーヌ侯爵はこの機会を見逃さないだろう。


(だけど相手も一歩間違えれば破滅なのだから、そう簡単に上手く事が運ぶとは思えない)


だからこそジゼルとの交流でいかに情報を引き出せるかが重要になってくる。


「ハルカ、俺がお前を護るし目的まで連れていくから。準備はいいか?」

「うん」


自分の未来、そしてアンリの望みを叶えるためにも臆してはいられない。覚悟を決めて陽香はメルヴィンの顔を見て返事をしたのだった。


馬車の中には既に陽香を待っている人物がいた。分かっていたことだが、それでも陽香は確認してしまった。


「本当にいいの?」


陽香の言葉に無言で頷いた侍女を見て、それ以上は何も言わずに隣に座る。本来であればメルヴィンだけで事足りるのだが、陽香の立場で侍女を付けないのは不自然だとアンリから指摘されたのだ。

異世界の人間であることを差し引いても、王太子の運命であるにも関わらず侍女がいないとなれば、軽んじられることになりかねない。


とは言え危険が伴う場所で、かつ信頼できる人物となれば限られている。そんな中で立候補してきた相手に陽香とメルヴィンは難色を示しつつも、最終的に折れたのだった。


「じゃあ今日は一日よろしくね、ソニア」


真剣な顔つきだが緊張は見られず、陽香も肩の力を抜く。到着前に余計な体力を使うのは勿体ない。

陽香は目を閉じて起こり得る状況を頭の中に描いて、自分の取るべき行動を再度確認することにした。



バゼーヌ侯爵家は王城から馬車でおよそ30分の位置にあり、広大な敷地と左右対称に刈り込まれた樹木は綺麗に整えられている。


(綺麗だけどどこか人工的で、完璧主義というか支配欲が強い感じ……)


当主の好みを反映している庭に対し、陽香はそんな印象を抱いてしまった。

固定観念は良くないなと思いつつ、出迎えた執事は慇懃な態度でその眼差しからは何も読み取れない。冷静な態度や無表情は歓迎されていないのではと勘繰ってしまいそうだが、一流の使用人は感情を表に出さないそうなので、一概には言えないだろう。


案内されたのは客間ではなく、庭の一角であるガセボには既にジゼルが待っていた。


「ようこそお越しくださいました、ハルカ様」

「何度も延期してしまって失礼いたしました。ジゼル様にお会いできて嬉しいです」


柔らかく微笑むジゼルだが、どこかその雰囲気が固いように見える。側に控えていた侍女は深々と頭を下げた後、手早くお茶の準備を行う。

侍女頭のレネに似た貫禄のある侍女だが、支度を整えると後ろに下がるだけでその場に留まっている。

ジゼルの本音を聞きたいのに、これでは思うように話せない。


「ジゼル様との恋バナを楽しみにしていました。お城では何かと口に出来ないことも多いですから。そちらの方はジゼル様のご親族の方ですか?」


にこにこと笑みを絶やさずに、ジゼルの背後の侍女を示せば、ジゼルは僅かに迷ったような表情を浮かべて言った。


「いいえ、我が家の侍女長ですわ。マガリー、下がっていいわ」

「お嬢様、お言葉ですが粗相がないようにしっかりおもてなしをするよう旦那様から仰せつかっております」


この場にいるのはバゼーヌ侯爵の指示らしい。それならば、と陽香はおもむろに席を立つ。


「ただお喋りしたかっただけなんだけど、じゃあいいや。ジゼル様、今度お城に来てくださったときにお話しましょう?メルヴィン、帰ろう」


帰る素振りを見せると、ジゼルだけでなくマガリーも能面の表情から一転して、狼狽の色を浮かべている。それは招待客の不興を買ったためなのか、それともバゼーヌ侯爵にとって都合が悪いからなのか。


「マガリー、下がりなさい。折角ハルカ様がいらしてくださったのだからゆっくりと寛いでいただきたいわ」


そんなジゼルの発言もあってマガリーは僅かに逡巡した様子を見せたものの、一礼してその場を離れたのだった。

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