第12話 後悔と誓い

何事も経験とは言うけれど、知っていたら絶対に止めていただろう。とはいえ後悔とはいつも後にするものだ。


(頭痛いし気持ち悪い……)


ズキズキと痛む頭と込み上げる吐き気に、陽香は為すすべもなくベッドの上で丸まっていた。いっそ吐いたほうがすっきりするだろうと這うように洗面室に向かったが、吐きたくても吐けずにただ苦しいばかりで諦める。


(お兄ちゃん、揶揄ってごめんなさい)


合コンで惨敗の結果、二日酔いで苦しむ兄に容赦ない言葉を浴びせてしまったことを思い出し、心の中で詫びながらもう二度とお酒を飲まないことを誓う。


枕元の時計に目をやれば、そろそろ朝食の時間である。食欲はおろか起き上がる元気もないが、誰かが呼びに来るはずだ。

今日ばかりは非難や嘲笑も受け入れるしかない。飲み過ぎたのは自業自得なのだが、情けないやら悔しいやらで抱きしめた枕に力を入れる。


起きないと、と思うのに寝返りを打てば身体が柔らかく沈みこみ、そのままうとうとと眠ってしまいそうな寝心地の良さに、ついつい誘惑に負けてしまう。

枕や毛布で毎晩こしらえた簡易ベッドも悪くはなかったが、本物のしかも王城で採用されるようなベッドは段違いの寝心地なのだ。


(どうせ起きたところでまともに動けないし、呆れられるのも今更だよね)


そう結論づけた陽香は気持ち悪さと格闘しながらも睡眠を優先させたのだった。


次に目覚めた時には室内はすっかり明るくなっていたが、気持ち悪さと頭痛はだいぶ治まっていた。途中で誰にも起こされなかったことを不思議に思いつつ、陽香は慎重に身体を起こして室内を見渡す。放置されているのであればそれに越したことはないが、状況が変わったのならそれに応じた動きをする必要がある。


そっとベッドから起き上がり顔を洗うと、気分がすっきりした。動きやすいワンピースに着替えて、居間に当たる続き間のドアを開けて――反射的にドアを閉めた。


「え、何で……?いや、別にいてもおかしくはないかもだけど……え、でも……」


扉の向こうからノックの音がして、陽香は自分でも意外なほどに焦ってしまった。まだ二日酔いが残っているのか、思考が上手くまとまらない。

無視するわけにもいかず、仕方なくドアを開けると案の定メルヴィンが立っている。


「起きたなら取り敢えず何か飲んだ方がいいぞ」

「……何でいるん、ですか?」


アンリの護衛として付いてくることはあるが、一人で陽香の部屋にいるのは初めてだ。不審そうな陽香の表情に、メルヴィンは小さく笑みを浮かべる。仕方がないな、というような気安い表情は初めてみるものだ。


「酔うと記憶を失くすタイプか?専属騎士になると昨晩約束しただろう」

「は……?」


どうやら飲み過ぎてやらかした失態は兄以上のものらしい。



「ほら、水を飲め」


半分ほど飲み干したグラスを渡されたのは、気遣ってのことかもしれないがこうも堂々と毒見をされると何だかばつが悪いような、落ち着かない気分になる。

一口飲むと思った以上に喉が渇いていることに気づいて、結局全部飲み干してしまった。


(危害を加えるなら昨晩のうちに済ませているだろうし……)


捻くれた考えだとは思うが、完全に気を許せないのだから仕方がない。水差しから新しく水を注ぐ様子に、護衛でなくて侍女の間違いではないかと心の中で悪態を吐く。

そうでもしないとメルヴィンの態度や眼差しにどう反応して良いか分からないのだ。


「まだ気分が優れないか?薬もあるが、まあ時間が経てば治るから」

「………専属騎士ってどういうことですか?そんな約束、した覚えないんですけど」


飛び降りようとしていると勘違いされたことや、多少愚痴をこぼしたことは記憶にある。だが専属騎士になってほしいと自分が望むことはもちろん、了承することもあり得ないと思うのだ。

専属になったところで完全に味方になってくれるわけでもないし、余計に縛られるようで息が詰まる。


「俺に出来ることは何でもすると言ったのに対して、それなら運命の相手になってと言ったのは覚えているか?」

「は……?!え、嫌だ、そんなこと言ったの?私が?……本当に?」


それは何というか、セクハラではないだろうか。いくら酔っていたからとはいえ言っていいことと悪いことがある。


「……っ、ごめんなさい……」

「運命の相手にはなれないが、専属騎士になって護ることは出来るとそう言ったら、無言で頷いたぞ。その後は完全に寝入ってしまったから無意識だったんだろうけど、アンリには許可を取って手続きは済ませている。諦めろ」


アンリの護衛騎士から陽香の専属騎士になるのは降格に当たるのではないだろうか。むしろメルヴィンこそがこの状況に不満を抱いていてもおかしくはないというのに、彼はからりとした笑顔で、陽香に諦めろと言うのだ。


(酔っぱらいの戯言なんて、なかったことにしてしまえばいいのに……)


「……専属なんて必要ないです。殿下にはそう伝えてください」


「俺が専属ならある程度の裁量を委ねられているから便利だぞ。街に行きたい時はすぐに連れて行けるし、常に側にいるから面倒な奴らへの風除けにもなる。そしてこれは内密の話なんだが、アンリよりもハルカの命令を優先するように言われている。――だから、俺は今後ハルカの剣となり盾となって護るとここに誓おう。約束したからな」


護衛役が固定になっただけだと思いきや、何やら誓いまで立てられてしまった。騎士の誓いはそんな気軽にするようなものではなかったはずだ。


「……何か、重い。重すぎる」

「ははっ、それぐらいしないと信用できないだろう?」


驚きと動揺で本音を漏らす陽香に、メルヴィンはどこまでも朗らかな態度を崩さない。


もう絶対にお酒なんか飲まない、と陽香は何度目か分からない誓いを立てたのだった。

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