第6話 警戒の理由

活気のある賑わいに少しだけ気分が上向いた気がする。だが隣に監視役が張り付いているため、陽香は無表情を心掛けた。何が原因で足元をすくわれるか分からないのだ。

たとえ他の人よりも融通が利きやすいとはいえ、メルヴィンは王太子側の人間であることに変わりはない。


(それに多分色々と気づかれているはず……)


ならばこうして取り繕うことも無駄ではないかという葛藤もあったが、彼らの思惑通りに動くのは感情的に嫌だった。

たとえどんな結果を招いたとしても、それだけが陽香の矜持であり唯一の抵抗だったからだ。


「落ち着いて食事をするなら、カフェか食堂のほうがよろしいかと思いますが」

「……」


メルヴィンの提案を無視して、陽香は漂ってきた微かな匂いを辿り目当てのものを見つけて足を止める。


「慰謝料から引いといて」


手の平を上に差し出せば、メルヴィンは苦笑したように表情を緩めて直接店主へと料金を支払った。その隙に陽香がお椀を受け取って、湯気が立ちのぼる熱々のスープに慎重に口を付ける。

同行していたもう一人の騎士が、立ったまま食事を摂るなんてと言いたげに顔を顰めるが、知った事ではない。


僅かな塩漬肉と豆や野菜のごった煮のようなスープは、弱った胃にも優しく食欲をそそる。温かい食べ物が喉を通る感覚にようやく人心地が付いた気分になりながら、陽香はそのままスープを完食した。


「これも食べますか?美味いですよ」


差し出されたのは串に刺さった豚肉で確かに美味しそうではあったが、素直に受け取る気はない。

それが相手の推測を裏付けることに繋がっても、陽香としてはどちらでも良いことであったし、せっかく街に来たのだから怪しみながら食事をするのでは意味がないのだ。


「食べたいものは自分で選びます」


美味しそうな串焼きに未練を感じつつ、陽香は鶏肉とトマト、レタスなどをクレープのような生地で包んだものを選び、大きな口を開けてかぶりついたのだった。




ハルカたちの戻りを知らせる連絡に、アンリはほっとしつつも落ち着かない気分になった。少しは気晴らしになっただろうかと思う一方で、外出したことでやはり出て行きたいという気持ちが強くなったのではないかという不安や焦りを覚えていると、メルヴィンがやってきた。


色々と問い質したいのを堪えて、まずはメルヴィンの報告に耳を傾ける。いつもよりは表情が穏やかで王都の街並みや立ち並ぶ店に興味津々であったこと、屋台で食事を摂ったことなどハルカが楽しんでくれている様子を聞くだけで、深い安堵とともに喜びが芽生える。


召喚を決めたのは自分だが、だからと言ってこの国全体に悪印象を持ってほしくはない。そんなアンリにメルヴィンは驚くべき単語を発した。


「恐らくだが、彼女は毒殺を警戒している」


内容の重さにアンリは小さく息を呑む。


「……何で、そんなことを」


掠れた声に自分の動揺が現れているようで、アンリは小さく頭を振った。ハルカの懸念は見当はずれとは言えないのが辛いところだが、そんな心配をさせてしまっていること自体が問題だった。


実際のところ高位貴族や王族を暗殺する場合、毒を盛るのが一番簡単で可能性が高いと言われている。流石に王族の食事に毒を盛るのは至難の業で、万が一事件が起これば料理人たちだけでなく厨房内にいた者はもちろん、給仕や配膳に関わった全員が処罰の対象となる。

日々の生活で口にする食事の管理はそれだけ責任重大であり、不審な点があれば即座に対処する必要がある。


「ただの嫌がらせで不味い食事を出されている可能性もあるが、手渡したものにも手を付けない徹底ぶりは毒物を盛られることを警戒しているようにしか思えなかった。外出している間に調べさせたんだけどな」


聞き取りの結果、ハルカは城に来てから――つまり2日前から僅かな果物と水しか摂っておらず、紅茶にすら手を付けていなかったというのだ。それではさぞ空腹だっただろうに、そんな素振りも見せずに毅然とした態度を取っていた彼女に感心するとともに、気づけなかった自分が腹立たしく思う。


「奴隷でいた頃からではないだろう。流石に立場上難しいし無理がある」

「私が運命の相手だと断言したせいか……」


王子の運命を拒絶したハルカは、自分への風当たりが強くなることを予想してもなお、アンリを受け入れがたかったということだ。どういう手を使ったのかは不明だが、何となく彼女には既に内情を知られているような気がする。それならば過剰に思える警戒も身を守るための行動としては間違っていないだろう。

だが、誰に対しても常に警戒せざるを得ない環境は疲弊する一方だ。


「信用できる相手がいればいいが、それも難しいんだろうな」


溜息交じりにそう告げたメルヴィンにアンリも無言で同意した。ハルカはアンリだけでなくトルドベール王国そのものに良い感情を持っていない。信用できる者を手配しても、最高権力者に近い立場のアンリに命じられれば逆らえる者などほとんどいないため、余計にハルカの猜疑心を煽るだけだろう。


「メルヴィンなら、もしかしたら心を開くのではないか?……触れてもいいと思う程度には嫌われていないはずだが」


平静を装って告げたものの、どうしても声が暗くなってしまうのは初対面の時のことを思い出してしまうせいだ。


「言っただろう?あれは偶々近くにいたからで、嫌がらせ以外の何物でもない。現に俺が食べ物を渡しても警戒して受け取ろうとしなかった」


その後も互いに意見を交わすもののハルカの警戒を和らげるための良案は出ず、取り敢えずは一緒に食事を摂ることにした。王太子である自分が同席すれば迂闊な真似は出来ないだろう。


(ハルカにとって少しでも安心材料になればいいが……)


憎んでいる相手と一緒に素直に食事をしてくれるか分からないが、せめて衣食住に不自由のない生活をさせてやりたい。


「少しは懐いてくれるといいな」


野生動物に対するような感想は、自分の負担を和らげるための軽口だろう。失礼だと思いつつもアンリは微苦笑を浮かべながら従兄の気遣いに感謝したのだった。

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