第92話

 少年は森の中を進んでいく。

 頭上に生い茂る枝葉は光を遮り、草木の吐き出す湿り気を帯びた空気は胸元に心地よく落ちていった。自分たち以外に感じる気配は、人ではなく先ほど見かけたウサギや鳥や獣だろうか。時折擦れ合う木々のざわめきが、この森が生きているのだと語りかけてくるようだ。

 しばらく下生えを掻き分け獣道を歩いていくと、目の前が開けた。光を集めるその空間の中心には周囲の木々を五十は集めるほどの太さの巨木が立っている。ずっしりと腰を据えた様な佇まいにロキは思わず足を止めた。

 大きく太い根は、地中からはみ出し、地面の上に隆起していた。そして、その間に挟まる様に、巨木と同じ色の家が建っている。あまりに一体化して見えるので樹洞にドアをつけたのかと思ったが、よくよく見ればきちんと別の個体として存在している。巨木との対比でこぢんまりとして見える木造の家は、窓の配置からして二階建てのつくりのようだ。

 少年は、家の周りをぐるりと囲んだ柵に設けられていた腰高の戸板を開けると、ロキとフェンを振り返った。


「私の実験材料には触れてくれるなよ?」


 そう言って、おそらく庭であろう柵内を一通り指差した。「触れるな」と警告しておきながらも、どうやら自慢したい様だ。

 戸板から家に向かって、点々と石畳が敷かれていて、その両サイドにはびっしりと畑が設けられている。


「野菜か?」


 ロキはその光景を見て目を見開いた。

 地中から頭を覗かせた根菜類に、葉野菜、突き立てられた支柱には、紫や緑や真っ赤な実がなっている。  

 畑には数多の野菜が植えられていて、そのいくつかはロキにも見覚えのある形状だった。

 しかし、驚いたのはそのどれもが規格外に大きいということだ。

 ナスは人の頭ほどの大きさにぱんぱんに膨れ上がり、土から頭だけを覗かせたカブはまるで妊婦の腹のようだ。それは栄養満点の土で育てられたからというだけではなく、おそらく意図的になにか手を加えられたように見受けられられる。おそらくそれが、この少年の「実験」なのだろう。


「すごい、おっきい……」


 素直なフェンがそう感想を漏らすと、少年は満足げにふふんと鼻の下を指で擦った。そして後ろ手を組むと、腰を逸らせて「こっちだ」と家の方を顎でしゃくった。


「おーい! 戻ったぞ!」


 ドアを開けるなり、少年は家の奥へと声をかけた。 

 室内はシンプルな作りだが、物が雑然と置かれている。ドアを開けてすぐに調理場や食卓が目に入った。

 天井から束になった玉ねぎやニンニク、干したキノコがぶら下がり、壁にかけられた調理器具の隣にも、何種類もの香草が束ねてぶら下げられていた。テーブルの上の籐のカゴには、スライスされたレーズンのパン、その隣の皿の上にはナイフの突き刺さったハムが並べられている。

 この部屋に充満する芳しい香りは、コンロの上に乗せられた鍋からのものだろうか。

 勝手に腹の虫が鳴り、ロキは咄嗟に腹を抑えた。隣のフェンを見ると、同じく腹を抑えている。鳴ったのはフェンの腹かもしれない。

 部屋の奥から唐突に、ドタドタフゴフゴ音が聞こえた。既視感を覚えたが、ロキがそれが何かと思い出す前に、金色の体が姿を表した。


「待ちなさいっ! まだちゃんと拭けてないんだから!」


 金色の猪、確か少年はグリンと呼んでいただろうか。それが、部屋の奥からドタドタとこちらに向かってくる。走っているわけではないが、何かから逃れようとしているようだ。すると、猪の背後から両手にタオルを広げた少女が現れた。


「ほぉら、グリン、捕まえましたよぉ」


 少女はまるで戯れるように、グリンの体をタオルで包み込み、わしゃわしゃと大袈裟に撫でている。

 逃れようとしていたグリン本人も、この戯れを楽しみたかっただけのようだ。今はフゴフゴ鼻を鳴らしながら、甘えるように少女の手に身を委ねている。


「あら、おにいちゃん? 帰ったのね?」


 少女はこちらに気がつくと、グリンを拭く手を止めないまま顔を上げて言った。


「むう、声をかけたんだが」

「なぁにその喋り方? グリンをお風呂に入れてたから気が付かなかったのよ」


 そう言うと少女はさらに顔を上げて、少年の背後に立っていたロキとフェンに目を向けた。


「お客……様?」

「うむ、フィールドワーク中に遭遇してな。ぼ、私の森に迷い込んで」

「お客様なのねっ!!」


 少年の言葉を遮り、少女は両手を振り上げ飛び上がった。ロキとフェンは驚き肩を跳ね上げたが、少女のその仕草はどうやら歓喜を表していたようだ。スキップしながら歩み寄ってきた少女は、ロキとフェンに交互にハグをした。


「すごいわ! ここにお客様なんていつぶりかしら!」


 ロキらが興奮した様子の少女に戸惑っていると、少年がこほんと咳をした。


「あー、こいつは、ぼ、私の妹のレイヤだ。む、そう言えば、私の名前も名乗っていなかったな。私の名前はフレイだ」


 そう言って、少年はロキの前に右手を差し出した。

 ロキは手を握り返しながら、少年フレイと少女レイヤに交互に目をやった。








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