第60話

「スヴェルトにも朝は来なくなった。やがてヨトと同じように夜に飲み込まれて、深い雪に沈むだろう。そしてもう長いこと、ドワーフたちにも女の子供は産まれていないそうだ」


 トールは前を向いて手綱を握ったまま、淡々と言った。


「女の人が生まれないって、もう子供が作れないってことだよな? ヨトの巨人族だって、人間の血を混ぜ続けたら、純粋な巨人族はいなくなっちゃうんじゃないか?」

「ああ、それどころか、ミッドガルドにも夜がきたら、もう命を繋ぐ術はなくなる」


 ロキはごくりと唾を飲んだ。

 唐突に、あの時ロキを迎えにきた鴉たちの言葉が頭をよぎったのだ。


「黄昏……」


 気づいたら口に出していた。今まで前を向いていたトールが少し驚いたように振り返った。


「何も知らないのかと思ったが、そんなことは知っているんだな」

「うん……たまたま、聞いて」


 ロキは誤魔化すように視線を落とした。


「黄昏ってなに?」


 フェンがそんなロキの体に抱きつき、暖をとるように引き寄せながら尋ねた。


「黄昏は、ミーミルの予言だ。この世界の終わり」


 また淡々とした様子でトールが言った。まるで感情が溢れるのを抑えているかのようだ。


「ゆっくりと種が消えていく……世界の終わり」


 ロキは呟いた。


「正確にはこの夜と冬を指す言葉ではない。黄昏はこれらによって引き起こされる戦いのことだ」


 そう言ったトールの肩に小さな白い粒が落ちた。ロキは顔を上げる。気がつけば周囲あちこちに白い粒が舞っていた。


「降ってきたな、雪だ」

「雪⁈」


 ロキは手を伸ばし、フェンは身を乗り出してぱくぱくと空気を喰んだ。


「ヨトは近い」


 トールが言った。

 トールの用事はヨトの中心部にあるという話は聞いていた。

 ヴァク達が生き延びたのかはわからないものの、ロキとしては彼らに再び会うことを避けたい。

 しかし、上層に行くための唯一の道であるビフロストという場所に行くにはどのみちヨトの近くを通る必要があるそうだ。

 ヨトの巨人族との因縁を知られては、同行を拒否される可能性もあったため、ロキはヴァクたちとの話をトールにはしなかった。


「トールの用事って一体なんだ?」


 ロキは尋ねる。


「落とし物を拾いに行く」


 少し曖昧にトールが答えた。


「落とし物って?」


 ロキが尋ねると、トールは何かを思い出したかのようにため息を吐いた。


「俺の主人は下界にものを投げ捨てる癖があってな」

「なんだそりゃ」

「まったくだ」

「トールはご主人が落としたものを拾いに行くの? 大事なものだったってこと?」

「まあ、そういうことだ」


 トールはあしらうように笑うと、もう会話は終わりだとでも言うように、タバコを取り出し火をつけた。

 ロキはハラハラと舞う雪をしばらく見上げ、ぶるりと寒さで体が震えたところで、幌の中に体を戻した。風の当たらぬ奥の方の荷物の陰で、フェンと身を寄せ合って座り込む。


「なぁ、フェン。ちょっとさ、俺の匂いかいでくんない?」

「え? なぁに突然、どれどれ」


 フェンはぐいとロキに抱きつき、その鼻先を頬に押しつけた。


「どんな匂い?」

「ロキの匂い!」


 嬉々としてそう答えたフェンは、そのままちゅっと音を鳴らしてロキの頬に口付けた。


「昨日みたいな匂いするか? お前が、そのぉ、すごくいい匂いって言ってたやつ」


 ロキが尋ねると、フェンはわざとらしくロキが帽子から垂らした耳当てを持ち上げて、耳たぶを鼻先で突っついた。


「うーん、昨日の匂いはあんまりしない!」

「あんまりってことは少しはすんのか」

「うん、少し! でも、すごく弱まってる」

「なるほど……」


 ロキは上着のポケットに手を突っ込んだ。

 薬の瓶を握りしめるとシャラリと中身が擦れる音がする。

 海に投げ出されたものの、この薬の瓶はロキのポケットにおさまったまま中身も濡れることなく無事だったのだ。

 ロキは昨日これを飲んだが、体調が悪くなることはなかった。それに、フェンはロキの匂いがおさまったと言っている。ガイドが言うように、この薬にオメガの匂いを抑える効果があると言うのは信じてもいいのかもしれない。




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