第46話

 ヴァクがロキに用意した衣服は、上等な品のようだった。触れたことのないような柔らかな素材の白のシャツの襟には金糸で凝った刺繍が施されている。ボタンも目が痛くなるほど細かな細工だ。グレーのズボンの裾を皮のブーツに押し込んだロキの肩に、ヴァクが紺のジャケットをかけた。


「変わったデザインですね?」


 ジャケットは襟が立っていてかき集めれば顎を隠すほどの高さがある。内側にはファーウールの裏地が付いていた。


「お前に似合うと思ってウテナの衣装屋で買っておいた。ヨトではポピュラーなデザインだ」


 そう言いながら、ヴァクもロキが着ているのと似たような形の上着を羽織った。紺色のロキの上着とは配色が違い、ヴァクの上着は黒い生地に赤いパイピングが特徴的だ。

 そういえば、ヴァクはヨトは雪国だと言っていた。だからこのように裏地がしっかりして風の入り込みにくいデザインが主流なのだろうか。


「暑かったら脱いでいいが、席に着くまでは我慢しろ、それがマナーだ」

「マナー?」

「この船の中は、もうミッドガルドじゃねぇ」


 つまりこの船はヨトの巨人族のもので、その船内はすでにヨトであるとヴァクは言いたいようだ。

 ロキはヴァクの言葉に頷くと、素直に上着の襟を直した。


 一等船室のさらに上階には、催し物用のホールの他に食堂があった。使えるのは二等船室以上の客だけらしい。

 基本的に船内は天井が低かったが、ホールと食堂は二つ分のフロアが吹き抜けになっており開放感のある作りだ。

 ロキがヴァクに連れられて食堂にたどり着くと、ソファで囲まれたボックス席のうちの一つには、すでにヴァクの取り巻き二人が座っていて、その足元には白狼姿のフェンが寝そべっていた。

 フェンはロキが近づくと、足音を聞きつけたのかピクリと耳を立てて顔を上げた。そしてロキの姿を見つけた途端、立ち上がってプンプン尻尾を振っている。その仕草は狼とは思えなかった。


「犬じゃん」

「ん? なんか言ったか?」

「いいえ?」


 ロキはヴァクの問いに首を振って口角を上げて誤魔化した。

 ロキとヴァクが席につくと、それを待っていたかのように食事が運ばれてきた。

 ヨトの正装までしてこんな豪華なソファ席なのだから、さぞすごい食事が出てくるのかと思ったが。メニューはパンとスープとただ焼いて大味のソースがかかった肉で、貧相な食事ではないものの、期待が大きかっただけに、ロキは若干拍子抜けしてしまった。

 ヴァク達は食事よりも酒ばかり飲んでいた。

 ロキはそのヴァクの隣に座り、肉を切ってはフォークで口に運び、また切ってはこっそりとテーブルの下のフェンの口に運んでやった。


「ところでヴァク様、お聞きしたいのですが?」

「あ? なんだ?」


 ロキが肉を切りつつ尋ねると、すでに赤ら顔のヴァクは上機嫌でロキの腰に腕を回して身を寄せた。片手にはワインの入ったグラスを持っている。


「ミッドガルドの海には大蛇がいるというのは本当ですか?」


 そう尋ねると、ヴァクは仲間らと視線を合わせ、その後ゲラゲラと笑い声をあげた。

 もしやこれも田舎ならではの迷信だったのだろうか。また世間知らずと笑われたのかもしれない。


「笑わないでください」


 ロキは少しばかり不機嫌に口を尖らせた。

 ヴァクはそのロキの様子に気がついたのか、取り繕うように肩に腕を回してロキの顎を撫でた。それがくすぐったくて、ロキは少しみじろぎをする。


「いるぞ、ミッドガルドの大蛇」

「本当にいるんですかっ⁈」

「ああ、いる」

「え、じゃ、じゃあ船が襲われるなんてことは⁈」


 ロキが尋ねると、ヴァクはどこか自慢げに口角を上げた。その左手は相わらずロキの顎や頬を撫でたり軽くつねったりして弄んでいる。


「そいつはねぇな」


 ヴァクははっきりとそう言った。ロキはなぜ言い切れるのかと首を傾げる。


「よし、教えてやろう」


 そう言うと、ヴァクはこの船に乗り込んだ時と同じように、またロキの体を抱え上げた。






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