第10話


 ロキは自らのローブの中をさりげなく探った。ベルトの後ろに小さなナイフを忍ばせている。これで、どうにかなるだろうか。ちらりと顔を挙げると、二人の男は相変わらず不気味な無表情だった。

 隙などわかるはずもない。ならば今だと、ロキがナイフの柄をにぎった時だった。


「アーーー! もう!」


 突然左側の男が無表情のまま口を大きく開いて鳴きだした。ロキはびくりと体を震わせ、出しかけた手を止めた。


「きたきたきたきた、ヨト、きた、」

「ヨトの巨人族デスネ」


 二人の男は不自然にゆらゆらと体を揺らし、直後ビタンッと各々左右の窓に張り付いた。やはり人には見えない仕草だ。


「ヨ、ヨトの巨人⁈」


 ロキは声を上げた。

 巨人族は人間と同じく中層に住んでいる。しかし、彼らが暮らすのは、海で囲まれたこのミッドガルドの外側だ。ミッドガルドどころか、村からもほとんど出たことがないロキは、巨人族の姿を見たことがない。

 そういえば、リドネブの商人シタルが「巨人族が女を連れていく」などと言っていた気がするが、それも海側の大きな街での話だとロキは思っていた。

 

「なんでこんな田舎に巨人族がっ⁈ 」


 ロキは浮かんだ疑問を率直に口にした。


「オメガを狙っています」

「ロキ、ローーーキ、ダメダメ、ロキわたさない!」


 左側の男は狂ったように馬車の戸をガンガン殴りつけている。そのあとで周囲の木々が大きくざわめき、馬のいななきと共に馬車が急停車した。


「ヨトはアース神族と敵対していマス。だから、オーディンに器を創るオメガを渡さないつもりなのデス」

「ロキ、に、ヨトの子、創らせようとしてる」

「えっ⁈ ちょっと情報量が多すぎてよくわからなっ、う、わぁっ⁉︎」


 ぐらりと車体が揺れ、同時に男たちが張り付いていた馬車の戸が開いた。

 男たちの頭はカラスになって飛びたち、体は薄灰色の狼になって四つ足で地面に降り立った。

 ロキはというと、どうにか外に飛び出し、道の脇の草むらにごろごろと転がって、身を隠すように体を伏せて頭を上げた。

 『巨人』というのだから、とにかく大きい大木のような姿に違いない。

 ロキは草むらに身を隠し、恐怖心の中にどこか抑えきれない好奇心を感じながら、ヨトの巨人の姿を探した。しかし、期待した巨木の様な姿などは見つからない。

 代わりにロキの目に飛び込んできたのは、先ほどまで自分が乗っていたはずの馬車が、中空に浮かび上がっていく光景だった。馬が馬車に繋がれたまま、引き摺られるように必死に前足で地面を掻いている。

 直下に上昇気流が起こっているのか、それとも何かの力で上から釣り上げられているのか。


「す、すごい……どうなってんだ?」

 

 ロキが目を瞬いていると、視界の端から鴉と狼が中空目掛けて飛びついていく。何やら交戦しているようだ。物がぶつかり弾けるような音がした直後、浮かび上がっていた馬車が急落下し、哀れな馬の悲鳴が聞こえた。

 ロキはその様子に目を凝らした。

 鴉や狼が相手にしているのは、どうやらたった一人の男のようだ。

 男の荒々しく逆立つ赤い頭髪が、暗闇の中で激しく揺れ動いている。鎌のような形の身丈ほど大きさの武器を振り回す太い腕が、体を覆ったローブの隙間から見えていた。

 あれが、ヨトの巨人族……確かに大きい。が、


「きょ……じん?」


 ロキは疑問を口に出した。

 遠巻きに見ているので、これはロキの体感だが、その赤い髪の男は巨人というほどには見えなかった。確かに人であれば大柄だが、大木には程遠い大きさだ。

 「巨人族は大木のように大きい」というのは、ロキのただの想像だ。ロキが知らないだけで、巨人族とはそもそもそこまで巨大な種族ではないのかもしれない。

 しばし呆然とその光景を眺めてしまったロキだったが、鴉が一羽地面に投げ落とされたところで我に返った。

 ロキはそのまま息を殺し、ゆっくりと後ずさる。

 そして、ユグドラシルの位置を確認し、そのあと向きを変えて林の中に飛び込んだ。背後で衝突音が響いている。巨人族も鴉も狼も、おそらくまだロキの動きに気がついていない。

 今のうちに出来るだけ離れるべきだと、ロキは必死に林の草木を掻き分けた。





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