僕の太陽

 ――十五年前、ノーマン=ウォルフォードは彼にとって太陽となる女性ひとと出逢った。


 ウォルフォード伯爵のお手付きによって使用人の母との間に生まれた彼は、ウォルフォード家の中に居場所がない。

 一応、三男として形式的な地位こそは認められてはいたものの、父であるウォルフォード伯爵も、ウォルフォード夫人も、腹違いの二人の兄も、使用人達も、誰もノーマンの存在を認めるはずがないのだ。


 ノーマンとその母は、ウォルフォード家の敷地の隅にある小さな小屋で住まわせてもらっていた。

 彼の母は身分の低い使用人だったが、小さいとは家を与えられたのだ。そういう意味では破格の待遇なのかもしれない。


 ただ、所詮彼女の存在など、妻と認められることもなく、使用人達からは主人に色目を使って取り入っためかけでしかなかった。

 その母から生まれたノーマンは、ただの不貞の子。そこにいるだけで、忌み嫌われる存在。


 だが、ノーマンの母はウォルフォード家を離れることはなかった。

 そんなことをすれば、この世界で生きていけないことを知っているからだ。


 幼いノーマンを連れて女手一つで働こうにも、そう簡単に職などない。

 それ以前に、少なくとも他の家で使用人として働くことは不可能。醜聞を嫌うウォルフォード家が、全ての貴族家に雇わぬよう通達するのは目に見えている。


 ノーマンは耐え忍ぶ。

 いつか自分の足で、この家から……苦痛だけの日々から抜け出せるその日を夢見て。


 肩書上は伯爵家の三男でありながら、使用人以下の生活を送っていた十歳の時。

 ノーマンはウォルフォード伯爵の命で、従者として奉公することとなった。


 奉公先はアルグレア連合王国の王宮。


 王族とよしみを結ぶため、嫡男あるいは次男など、いずれ家督を継ぐ者を近づけることは往々にしてある。

 だが、ノーマンの立場は三男でありめかけの子。従者とはいえ、本来であれば彼がそのような職に就くことなどあり得ない。


 それでもウォルフォード家がノーマンを差し出した理由、それは。


「貴様が私の新しい従者だな!」


 謁見を許され、緊張しながらひざまずくノーマンの前に現れた、豪奢なドレスを泥塗れにした、金色の髪の小さな少女。

 目の前で腕組みをして仁王立ちする、おおよそ王族とは思えない……いや、王族だからこそ尊大かつ傲慢ごうまんな仕草を見せる彼女の名は。


「私はクローディア! クローディア=レクス=アルグレアだ!」


 ――ノーマンがこれから生涯をかけて仕える、たった一人の主だった。


 ◇


 アルグレア連合王国第一王女クローディア=レクス=アルグレアは、一言で言えば暴君である。


 王宮内で傍若無人ぼうじゃくぶじんに振る舞い、王女という立場もあり、誰もとがめることができない。

 まだ七歳に過ぎないクローディアは、時に周囲の目を盗んでは勝手に馬を乗り回し、王宮の敷地内を駆けまわり、衛兵に剣を向けて決闘を挑むなど、枚挙にいとまがない。


 しかも困ったことに、それらをノーマンにも強要する。

 同じように馬に乗せ、剣を持たせて衛兵達と戦わせるのだ。


 めかけの子であるために、乗馬も剣術も学んでいないノーマンには不可能なことばかり。いつも馬に乗ろうとして振り落とされ、衛兵達には軽くあしらわれる……いや、いつもはクローディアに手出しできない鬱憤うっぷんを晴らしているといったほうが正しいだろうか。


 とにかく、クローディアについて行くだけで精一杯で、ノーマンの身体には生傷が絶えなかった。

 聞いたところによれば、これは別にノーマンに限ったことではなく、これまでクローディアの従者を務めた者は皆同じ目に遭い、一か月もしないうちに身体を壊すか心を病んでしまい、従者の職を辞するのだという。


 それでもノーマンは、不平不満を一つもこぼすことなく、ただひたすらに前を駆けるクローディアの後を追いかけていく。


 彼女の従者という仕事を失ったら、また前の生活に逆戻りをしてしまうから? 違う。

 クローディアは、彼にはとてもまぶしいのだ。


 これまで日陰を歩み続けてきたノーマンにとって、たとえ周囲から後ろ指を差されようが、どれほど嫌われていようが、それでも前だけをひたすら見つめ続ける彼女の眼差しがまぶしくて。

 何か・・を求めて手を伸ばさずにはいられない、彼女の情熱がまぶしくて。


 クローディアが何を考え、何を求めているのかは、ノーマンには分からない。

 それでも、王宮という国の頂点に位置する場所で、何かを為そうと必死に足掻あがく姿は、ノーマンの心を揺さぶるのだ。


 そう……クローディアにとって王宮という閉じられた世界はとても狭く、息苦しい場所。

 ノーマンは、そのことを唯一理解する者。


 自分もまた、ウォルフォード家という狭い世界で、同じようにくすぶり続けていたが故に。


 だから彼は、誰よりも努力した。

 クローディアの従者として恥ずかしくない教養を身に着け、彼女の剣にはなれないかもしれないが、盾になることならばできる。


 幸い王宮には、それらを手に入れるための環境が全て整っていた。

 ならば、あとはノーマン次第。努力に努力を重ねた彼は、数年後には従者としての確固たる地位を築き、クローディアから全幅の信頼を受けるまでとなったのだ。


 もはやクローディアのそばに立てる存在は、自分を置いて他にはいない。

 そんな自尊心とともに、ノーマンの心には彼女に抱くまぶしさはそのままに、また別の感情が芽生え始めていた。


 成長するにつれ、クローディアは強く、気高く、美しくなっていく。


 最も彼女のそばにいるノーマンだからこそ、そのことを実感する。

 そして月日が経つにつれ、彼女への想いもまた強くなっていくのだ。


 それは従者として主人に向ける敬愛なのか、それとも、手を伸ばしても絶対に届くことのない高貴な存在への憧れなのか。


 あるいは……。


 十八歳を迎えた頃、ノーマンは王立学院に入学したばかりのクローディアから指示を受ける。

 その内容は、『自分の影武者を用意しろ』というものだった。


「やれやれ……殿下も相変わらず、無理難題を言ってきますねえ……」


 やはり王立学院は彼女には狭すぎたかと苦笑しつつ、与えられた指示を遂行するために嬉しそうに取りかかるノーマン。

 さすがに影武者を用意することは難しいが、要は王立学院を抜け出してクローディアが自由になれさえすればいい。


 ノーマンはこの時のために握っていた王立学院の学院長の弱み……女子生徒との不貞行為の証拠を交渉材料とし、学院内に箝口令かんこうれいを敷いてクローディア不在を王宮に悟られないようにした。


 クローディアは大いに喜び、早速王立学院を飛び出して行く。

 ただし、ノーマンには定期的に現況報告をするという条件をつけて。


 本当は従者として彼も一緒に行きたかったが、そんなことをすれば万が一の時に対処できない。

 それに、こんな役目を与えられるのは自分のみ。その優越感もあって、ノーマンは渋々クローディアを一人見送ったのだ。


 だが、彼は後悔することになる。


 クローディアが王立学院を飛び出してから三か月後、定期連絡の手紙において辺境の街ギルラントで冒険者をしているとの報告があった。

 自分の行動の全てに責任が伴うものの、この世界で最も自由な職業の一つである冒険者。ある意味クローディアに似合っていると思いつつ、ノーマンは王宮に一か月の休暇を願い出た。


 もちろん、クローディアの様子をうかがうために。


 王都から馬車に揺られること一週間。

 クローディアとの再会を心待ちにし、ノーマンはギルラントへとやって来た。


 場所を聞き、冒険者ギルドへと足を運ぶと、そこには。


「ディア、今日はよかったぞ。これなら次に進んでもよさそうだな」

「ふへへ……先生に褒めてもらった」


 クローディアに仕えて八年。

 ノーマンの視線の先には、これまで一度も見たことがない、嬉しそうに顔をほころばせるクローディアの姿があった。

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