成長した姿

「……行くの!」


 アリスの小さな一言で、試合が幕を開けた。


 だが。


(まあ、そうなるよな)


 一気に後方に飛び退き、ジェフリーと距離を取るアリス。

 彼女の得物が弓である以上、接近戦で闘うなどあり得ない。長い距離を稼ぎ、一方的に放つ矢で敵を仕留める。それこそが弓使いの戦い方だ。


 このことを教え子時代に事あるごとに教えていたのは、他ならぬジェフリー。今もそれを守ってくれているようで何よりと思いつつ、黒曜等級冒険者なのだから当然だとも思う。


 いずれにせよ、冒険者として成長したアリスの姿に、ジェフリーは試合中だというのに頬を緩めてしまった。


「……む。油断禁物なの」

「っ!?」


 充分な距離が確保できたと見るや、アリスはつがえた矢を三本同時に放つ。

 矢はものすごい速さで空気を切り裂き、ジェフリーへと襲いかかる。


「っと。やるなあ……」


 眉間、喉、左胸への狙いすました射撃をかわし、ジェフリーは冷や汗を流した。

 試合とはいえ、これは真剣勝負。一歩間違えれば大怪我どころか、命さえ奪われかねない。


 しかもアリスは、ジェフリーに胸を借りるつもりで、手加減など一切なかった。

 ジェフリーは気を引き締め、目の前の彼女に集中する。


 一方のアリスも、初撃とはいえ確実に仕留めるつもりで矢を放った。

 それを最小の動きでかわしてみせたジェフリーに思わず目を見開きつつも、喜びを感じずにはいられない。


 自分の尊敬する人は、今も変わらず強く素晴らしい人であることを。


「……次なの」

「来る!」


 矢をつがえ、二射、三射、四射と連続で放つ。

 ジェフリーも的を絞らせないように広範囲に動いてみせるが、それを予測するかのように矢は狙いすましてジェフリーを捕捉する。


(ふう、思ったより厄介だな……)


 通常の矢であれば、ジェフリーも剣で弾き飛ばし、徐々に距離を詰めて試合を有利に運ぼうとするだろう。

 だがアリスの弓は特別。鋼鉄を幾重にも張り合わせた剛弓から放たれた矢は、下手に触れれば逆にジェフリーの剣が弾かれ、隙を与えることになってしまう。


 それを誰よりも分かっているのは、かつてアリスの教官だったジェフリーだ。


「……先生には絶対に近づかせないの」

「悪いがそういうわけにはいかない」


 どれだけアリスの弓がすごかろうが、ジェフリーの得物が剣である以上は接近戦に持ち込むしかない。

 ジェフリーは最小の動きで次々と放たれる矢をかわしつつ、一歩、また一歩とアリスに近づく。


 その時。


「っ!? 後ろから!」

「……惜しいの」


 かわしたはずの矢が、何故か後方からジェフリーに襲いかかる。

 矢を逆につがえ、壁の跳弾を利用したアリスの射撃によるものだった。


「……どんどん行くの。先生、覚悟して」

「うおっ!?」


 アリスの言葉どおり、次々と矢が放たれては、後方からだけではなく左右からも矢が迫る。

 しかも正面の矢は相変わらず正確にジェフリーを狙っており、かわすだけで精一杯の状況。


 だというのに。


「ははっ」


 ジェフリーは嬉しそうに笑う。


 あの父親の形見の弓を引くことができなかった教え子の、成長した姿を見ることができて。

 こうして自分の教えを実践し、容赦なく牙を向けてくる教え子と試合をすることができて。


 とはいえ、このままかわし続けているだけというわけにもいかない。

 もちろん、持久戦に持ち込んでアリスの矢が尽きるのを待つ方法もあるが、彼女がそんな結末を求めていないことも分かっている。


 何より、教え子の思いに応えたいジェフリー自身が、それを許すつもりもない。


 だから。


「……ん! それでこそ先生なの!」


 アリスの矢をかいくぐり、地面を蹴って一気に距離を詰めるジェフリー。

 剣が届く距離には程遠く、むしろアリスの矢をかわすことがより至難となる。


 それでも、ジェフリーは矢をかわす。かわす。かわす。

 彼女の放つ矢はほんの少しかすめてしまうだけでも、身体が弾かれ、体勢を崩してしまうほどの威力。


 僅かな失敗も許されない緊迫した状況の中でも、ジェフリーは剣の届く範囲残り半歩というところまで迫る。


 その時。


「……ん。ボクの勝ちなの」


 ――アリスはわらった。


「っ!?」


 あと半歩分踏み込もうとしたジェフリーよりも先に、アリスがさらに一歩踏み込む。

 気づけば弓のリムを持っており、まるで打撃武器のように袈裟斬りにジェフリーの左肩へと振り下ろした。


 これこそが、ジェフリーのもとを離れ冒険者として過ごす中で身に着けた、対接近戦用の秘技。

 鋼鉄を幾重にも貼り合わせた弓を枝葉のように振るうアリスの膂力りょりょくで、近づく敵を迎撃する。


 これまでにこの技を使用したのは、二人のみ。

 そのいずれもが、鋼鉄の弓の餌食となっている。


 そして今、三人目となったジェフリーも同じ末路を辿たどろうとしていた。


 はず、だったのに。


「悪いがそれは経験済み・・・・だ」

「……っ!?」


 必殺必中の攻撃を、ジェフリーは見事な体捌きで身体を反転させて入れ替え、鋼鉄の弓は空を切る。

 気づけばアリスの首元には、彼の重厚な剣の刃が添えられていた。

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