元教え子の身分

「……本当に、あの時のことを思い出すたびに、穴があったら入りたくなります」


 七年前のジェフリーとの出来事を思い浮かべ、クローディアは顔を真っ赤にして恥ずかしそうにうつむく。


 色々と勘違いし、傲慢ごうまんだったあの頃。

 とはいえ、あの出来事を境にクローディアは誰よりも真摯しんしにジェフリーの言葉に耳を傾け、時には盲目と言えるほど彼に傾倒した。


 ギルラントに来てから二年後、どうしても王都に帰らなくてはならなくなり、断腸の思いでジェフリーの元を離れたクローディア。

 餞別として彼から貰った冒険者用のナイフは、今も彼女の宝物として肌身離さず持ち歩いている。


 一方で、ジェフリーは事の重大さに気づき冷や汗が止まらない。

 当然だ。まさか偉そうに教えていた相手が、この国の王族だったのだから。


 クローディアに対して当時失礼なことがなかったか必死に思い返せば、言葉遣いも態度も、何もかもが失礼極まりない。

 このままでは不敬罪で処刑まっしぐら。まだやるべきことがあり、絶対に死ぬわけにはいかないジェフリーが取った行動は。


「誠に申し訳ございませんでした」


 謝罪。圧倒的謝罪である。

 額を床にこすりつけ、めり込んでしまいそうなほどの謝罪しか、生き残るすべはないのだ。


「せ、先生!? いきなりどうしたのですか!?」

「すみません、すみません。俺は王族とも知らず、これまでのディ……クローディア殿下への無礼の数々……どうかお許しください」


 元教え子に対し、どこまでもへりくだるジェフリー。

 恥も外聞もないのかと問われれば、自分の命が助かることを思えば些事さじ些事さじなのである。


「どうかおやめください! 私が王族であるかどうかなど、関係ありません! 私はあの時のディアのままです!」


 恩師のこのような姿を見せられ、クローディアは居たたまれなくて仕方がない。

 彼女にとって王族の身分などかせでしかなく、捨てられるものなら今すぐにでも捨てたい代物に過ぎないのだ。


 そんなくだらないことで、世界で最も敬愛するジェフリーにこんなことをさせたくなかった。


「お願いします先生! どうか……どうか……っ」


 遂にはクローディアまで同じように平伏してしまう始末。

 二人の様子を眺めていたカイラと軍服の男は、この状況をどうしたらいいのかと思わず顔を見合わせた。


 ◇


「……先生。お願いですからあのようなことは、絶対になさらないでください」

「はい……」


 クローディアにジト目で睨まれ、ジェフリーは恐縮する。

 とはいえ、しがないギルド教官に過ぎないのだから、王族に平伏すのは別におかしな話ではないのだが。


 その証拠に、カイラと軍服の男は先程の態度が正解だとばかりに頷いている。

 間違っても、無礼を働くわけにはいかない。


「そ、それにしても、まさかディ……クローディア殿下が実は王族で、王国軍の参謀長を務めておられるとは思いも……」

「先生、敬語も不要です。今までのようにディアとお呼びください」


 表情こそ笑顔ではあるが、その琥珀こはく色の瞳は『そうせよ』と言わんばかり。ジェフリーは何か言おうと思ったものの、ここは郷に従うことを選択することにした。


「で、ではディア。まさか君が王国の姫君で、しかも参謀長なんて驚いたよ、その……すごく立派になったね」


 クローディアの物言わぬ指示に従い、気さくに話しかけたジェフリー。

 だが、今度は軍服の男から、『ふざけるな』と言わんばかりの視線を向けられる。


 居たたまれず何とかしてもらおうと、ジェフリーはクローディアをちらり、と見やるが。


「ふへへ……先生に褒められた」


 教え子だった時と変わらず、だらしない表情のクローディア。

 久々の彼女の表情を見れて嬉しいものの、どうやら部下の執り成しは一切期待できそうにない。


 もはやどうしていいのか分からず困惑するばかりのジェフリーは、最後の頼みとばかりにカイラにすがるような視線を向けると。


「……旧交を温める意味でも、クローディア殿下が以前のような関係を望まれるのも当然のこと。我々は見守るしかないと思います」

「ふへへ……って、カイラ、よく言った! 私と先生の間に、余計な気遣いこそ無用というもの!」


 カイラの言葉で我に返り、クローディアが壊れた人形のように全力で頷く。

 本当にそれでいいのかと思いつつも、これ以上言ったところで聞いてはくれないことを悟り、ジェフリーはもう何も言わないことにした。


「そ、それで、カイラ殿はディアの部下……ということでいいのかな」

「はい。クローディア殿下の秘書を務めております」


 ジェフリーが尋ねると、カイラは静かに頷く。

 ただ、クローディアの秘書だと聞き、『気苦労が絶えなそうだな』と思ってしまった。


 教え子時代のクローディアは、ジェフリー以外の者に対しては傍若無人ぼうじゃくぶじんだったことを知っているからこそ、余計に。


「となると、そちらの方も」

「ああ……申し遅れました。参謀本部で副官を務めております、〝ノーマン=ウォルフォード〟です」

「こ、これはどうも」


 にこり、と微笑み、胸に手を当ててお辞儀をする軍服の男……ノーマンに、ジェフリーも慌ててお辞儀をして返す。

 ただ、ジェフリーを見る彼の視線は値踏みをするかのように、どこか鋭さが感じられた。


「ま、まあ、それはさておき、どうして俺が王都の魔獣討伐に駆り出されたのか、色々と納得したよ」

「はい! ……魔獣の眼が赤いと分かれば、先生を呼ばないわけにはいきませんので」

「ありがとう……」


 先程までの騒がしい雰囲気から一変し、ジェフリーとクローディアは真剣な表情を浮かべる。

 赤い眼をした魔獣に二人とも並々ならぬ思い入れがあるように見えるが、そばに控えているカイラとノーマンはそのことを聞くことができなかった。


 ただ、クローディアがジェフリーを招聘したのは、赤眼の魔獣だったからだけではない。

 全ては、ジェフリー=アリンガムを手に入れる・・・・・ため・・


「魔獣討伐には、会敵した第二軍団も一緒に当たります。……一応、彼等にも誇りがありますので」


 カイラから聞いた話では、第二軍団は橋を建設中に赤眼の魔獣に襲われたとのこと。このままおめおめと引き下がり、どこの馬の骨とも分からない男に報復の機会を奪われたら、たまったものではない。

 クローディアは参謀長として、第二軍団の体面を重んじたということだろう。


「私はもちろん全幅の信頼を置いておりますが、先生の実力を疑う者達も大勢いるでしょう。そうだな、ノーマン」

「は、はあ……」


 いきなり話を振られ、ノーマンはバツが悪そうに曖昧に返事をする。

 その反応からも、彼も思うところがあるということが見て取れるが、当のジェフリーはそれどころではない。


 彼女がろくでもないことを考えている時は、このようにもったいぶる癖がある。

 絶対に厄介事に巻き込まれる。そう感じたジェフリーは身構えた。


「ついては第二軍団の者達と手合わせをし、先生の実力を見せつけてやるのが一番かと」

「そんなことだろうと思った!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る