眠り屋のトップランカー

芦屋 瞭銘

第一章 天使の朝食

第1話 退化人類の日常

 眠れない。眠れない眠れない眠れない眠れない。

 夜中に目が開いて、声を上げる。静かな足音と気配がこちらにそっと近づいた。


「喉が渇いているのかもしれません。こちらをどうぞ」


 一杯の白湯を受け取って飲み、それからほどなくして自然と眠気に襲われる。これが僕の日常だ。湯呑を差し出す所作や文言もすべてマニュアル通りなのだろう。毎日違う人間がやってくるが、気味が悪いくらい言動が全く同じだった。


 彼らは眠り屋という。


 眠り屋は、昨今で広く流通している人間による、人間のためのサービスだ。眠れない人間のもとにその人を眠らせるための社員が派遣され、朝まで眠らせてくれる。人が生きるために最低限必要な仕事はAIが担っている今、人間に求められる仕事は個人に対応するサービスが主となった。眠り屋も、その一つである。


 僕は極度の不眠症で、このような業者に頼らなければまとまった睡眠をとることができない。愛する家族がそばにいれば不眠はなくなると同僚は言っていたが、彼も今では立派な眠り屋ユーザーだ。僕だけじゃなく多くの人間が同じ状態に陥っていた。環境や気の持ちようの違いで改善されないくらい、人間の身体は退化してしまったのかもしれない。同僚が言うように誰かがいれば眠れるというのも一理あると思うし、実際そういう人もいる。業者に頼る以外の方法はいくらでもあるが、僕はこの生活を続けている。まあ30半ばの今、僕に愛する家族になりそうな相手もいないのだが。


 毎日このサービスを利用して、睡眠がとれるようになったのは事実だった。しかし最近、夜中に目が覚めてしまうようになってきている。


「おはようございます。東島様。朝になりました」


  朝になって、十分に疲れが取れている感覚が日に日に薄れていくように感じる。


「ありがとう。もう大丈夫だよ」

「かしこまりました。夕方ごろに本日の担当者が参ります」

「一応名前を聞いていても?」


「はい。弊社の戦谷(せんごく)が伺う予定となっております。こちらはあくまで予定ですので――」

「わかってる。変わったら連絡をくれるんだよな」


「はい。おっしゃる通りでございます。それでは、失礼いたします」


 足早に、今日担当してくれた彼は出ていった。それまでのやり取りもすべて、毎日交わしているものとほぼ変わらない。


 僕もこれから仕事に向かわなければならない。準備をしながら眠さを感じて少し苛立った。やはり、十分な睡眠をとれていない気がする。この生活に体が慣れてしまったのかもしれないと、少し不安になった。


 水きりラックの上で乾いている湯呑みを見て、僕は息を吐く。眠り屋が洗って行ったものだ。彼らは僕に飲み物を渡し、その入れ物は念入りに洗って帰る。理由は分かっていた。

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