第1話

「武器を捨てろ!撃つぞ!」

 静寂な早朝の博物館に、ビリビリとした怒鳴り声がこだまする。

 訓練通りに腰を落とし、腕を真っ直ぐ胸の前に突き出して、両手で銃把を握る。

 ドッドッドッドッ

 引き金に触れる指先にまで振動が伝わるほど、自分の心臓が揺れているのが分かった。

 ついに拳銃を抜いてしまった。 

 十八歳で警察官を拝命し、十年目の今年、新任警部補として久しぶりに地域課に赴任した最初の当直で、まさか、現場で拳銃を使用することになるなんて。

「武器を捨てろ!」

 私の隣で、警棒を突き出しながら叫ぶ岡巡査部長の声にハッとする。

 岡は私の同期生で、刑事課へ異動し昇任した私とは違い、地域課一筋で力をつけた、優しく頼もしい相棒だ。

 カラン

 目出し帽を被ったガタイの良い男が、バールを床に投げ捨てた。

「手を上げて、その場に膝をつきなさい」

「ちっ。女が」

「黙って指示に従いなさい」

 男はゆっくりと両手を挙げ、床に散らばったガラス片を避けるように両ひざをついた。

 拳銃を男に突きつけたまま、床に落ちたバールを足で遠くへ蹴飛ばし、指示を続ける。

「両手を目の前について、四つん這いになって」

 男は、不自然なほどゆっくりと四つん這いになる。

「早くしなさい。そのままうつ伏せになりなさい」

 男がゆっくりとうつ伏せになると、岡が素早く男の背中に膝を立て両手を後ろに回すと、帯革から手錠を取り出す。

「午前四時五十九分 建造物侵入及び窃盗未遂の現行犯で逮捕する」

 ギギギと、手錠の輪が締まる金属音が響いた。

「岡部長、身体検査を」

「はい」

 ふうっと深呼吸して拳銃を収めようとした時、うつ伏せのまま身体検査を受けている男の目が左に揺れた。

 私は銃把を再び握り、男の目線の方向に振り返ろうとした瞬間

 ドンッ

という衝撃を腰に受け、弾き飛ばされた。

 一瞬頭が真っ白になり、猪にでも突進されたのかと思ったが、身体を捻り振り返ると、制圧した男と同じ目出し帽が見えた。

「っ!」

「水野!」

 バンッ

 岡の叫び声に重なるように、発砲音が響いた。

 ダブルアクションの反動に押し負け、右腕が宙を舞う。

 カラン

「うっ...ぐ」

 共犯者がいたなんて。

 私が撃った弾は、共犯者の太ももを貫通し、その手から、血だらけの刃物が床に落ちた。

 刃物は金色で、きらびやかな装飾が施されているところからして、この博物館の盗品だろう。

 共犯者は、その場にうずくまる。

 早く、確保しないと。

 制圧するまでは、拳銃を構えて…

 意識とは裏腹に、右足からガクンと崩れ落ちる。

 視界が一回転し、冷たい大理石の床に勢いよく頬を叩きつけた。

 心臓が腰に移動したかの様に、バクバクと波打ち、生暖かい液体を吐き出しているのが分かった。

 視界にもやがかかる。

 岡が真っ青な顔で、私に駆け寄ってくるのが見えた。

 いつも笑顔の岡でも、あんな顔するんだ。

 何か言ってる?聞こえないよ。

 でも違うでしょ。

 先に犯人を拘束して。早く...



 温度がない水中に漂っているような、そんな感覚だ。

 私は死んだんだろう。何も見えない。

 かといって、暗闇とは違う。

 なんの恐怖心もないからだ。

 むしろ、心地良い。このまま漂っているのも悪くない。

 そう思って目を閉じようとしたときだった。

「うっ。うっ」

 誰かの泣き声が聞こえた。

 若い女性の声だ。助けないと。

 何のためらいもなく、そう思った。

 高校を卒業してすぐ警察官になった私にとって、警察官という職業は、もはや自分を形造る殆どの部分を占めていた。

 最初から移動の方法を知っていたかの様に、すいすいと泣き声の方向へ泳いでいく。

 ビンクゴールドの、ふわふわとした癖のある髪の毛が見えた。

 近づいてみると、やはり若い女性が一人で泣いていた。

 華奢で美しい女性は、中世ヨーロッパ風の緑色のドレスを着ていた。

 外国人?劇団員か何かだろうか。

「どうされましたか。もう大丈夫ですよ」

 女性は涙をたっぷり溜めた、美しい水色の瞳を私に向けた。

 あまりの美しさに、思わず赤面してしまった。

 女性はサッと涙を拭くと、背筋を伸ばし、顎を上げ凛とした口調で答えた。

「どなたですの」

 何語か分からないが、不思議と理解できた。

「あ、ММ署の水野です。あれ。こんな格好ですけど、警察官です。何か被害に遭われたのですか」

 こんな格好と言ったけど、自分が何を着ているのか分からなかった。

「女性のようですが、騎士なのかしら」

「...はい」

 やはり何かの役になりきっているのだろう。

 もしかしたら精神的な疾患があるのかも。

 話をあわせた方が聴取しやすい場合もある。

 気づくと私は、紺色の騎士服を着ていた。

 女性は、瞳に微かな希望の光を宿すと、高貴な雰囲気を崩し、私にすがり付いてきた。

「何者かに後ろから刺されたのです。私は、まだ何もやり遂げていません。このまま死ぬなんて、受け入れられないのです」

 私は美しい女性の細い腰を抱きよせ、背中をさすってあげた。

「初めてです。誰かに優しく慰めてもらうのは。分かっているのです。私が死んでも、誰も悲しまないことくらい。それでも、愚かにも、悔しいと思ってしまう。人生が惜しいと思ってしまう」

「愚かだなんて、そんなことはありません。理不尽や不条理を受け入れてはいけません」

「理不尽や不条理を?それを黙って受け入れるのが、淑女の生き方だと教わってきました」

「とんでもない。そんな馬鹿な話がありますか。そんな事を言ったのは一体誰ですか?時代錯誤もいいとこ。女性を何だと思っているの」

 私があまりにもムキになったので、女性はふふっと微笑んだ。

 その笑顔はとても可愛らしく、幼く見えた。

 初対面なのに、心が通じたような、そんな充実感が胸いっぱいに広がり、思わず目が潤んだ。

 こんな感覚は初めてだ。

「私と同じ意見の女性にお目にかかれて嬉しいですわ。私も…立ち向かってみたのですが…その結果がこれです」

 水色の瞳は再び潤い、諦めの色を浮かべた。

 私はたまらず、彼女の両手を力強く握った。

「あなたには真実を知る権利があります。そして私たち警察官は、あなたの代わりに犯人を捕まえるのが仕事です」

「犯人。犯人を捕らえて、真実を知って、それが何になるというのですか?」

 私は、一度息をつき、できる限り落ち着いた口調で答えた。

「確かに、明らかになった真実が、あなたの望んでいたものとは違うかもしれません。知らなければよかったと思う事もあるでしょう。でも、真実がどんなに辛いものでも、知ることで、止まっている時間がやっと動き出すことを、私は知っています」

 女性の瞳は、じっと私を見つめている。

 吸い込まれそうだ。

「被害に遭った方は、その場から動けなくなってしまうんです。それこそ、時間が止まったかのように。その時計を動かせるのは、真実だけなんです。真実を知ることは、被害に遭われた方の、再び前に進む一歩になるんです」

 女性は目を丸くし、ゆっくりと閉じた。

「素敵な方ね。貴方にお願いします。私を殺した者を捕らえ、真実を教えてください」



 目を開けると、薄暗く知らない空間が広がっていた。

 僅かな光が眩しくて目を閉じ、再びゆっくりと目を開くが、同じ景色だった。

 私はうつ伏せの状態で、首だけを左に向けベッドの上に横たわっていた。

 枕はふかふかで、ラベンダーの香りがする。

 目線の先の壁には、重そうな朱色のカーテンが掛かっている。

 カーテンは長く、首を捻って見上げてもカーテンレールが確認できないほど、上へと延びていた。

 舞台の天幕のようなカーテンの隙間から、青白い光が差し込んでいる。

 鳥の声が聞こえるから、朝日だろうか。

 ここはどこなんだろう。

 確か、岡とパトカーでパトロール中、MM博物館でアラームが発報したという通報を受けて現場に向かい、そこで犯人に...

「はっ」

 ガバッと起き上がると同時に、右の腰に激痛が走る。

「っつ...」

 あまりの痛みに枕に顔を沈め、再びうつ伏せの状態に戻る。

 呼吸を整え、痛みが治まるのを待っていると、顔に掛かる長い髪の毛に気づいた。

「え?何でこんなに髪が伸びてるの」

 私の髪の毛は、やっと束ねられるくらいの長さだったはず。

 それが今では腰、いや立ち上がったらお尻をも越えてしまいそうなほど長く伸びている。

 しかも、しなやかなにウェーブがかかっている。

 私は生まれながらの直毛だったはず。

 カラスのように真っ黒な色と艶は変わらないが、まさかこんなに髪が伸びるほど眠ってたのか。

 いや、にしては刺された傷の痛みが生々しいし。

「あれ?」

 髪を触る自分の手を見て思わず固まってしまう。

 子供の頃からある、剣道で出来た豆がなくなっている。

 それどころか、ササクレひとつない。

 どういうこと?

 コンコン

 誰かがこの部屋のドアをノックした。

 ノックの音が、私の後頭部のさらに遠くから聞こえた事から、この部屋がかなり広いことが分かった。

 私は混乱する頭を冷やすように、ひとまず寝たふりをした。

 まずは状況把握を。

「公女様、マリアです。入ります」

 ギイ...パタン

 コツコツコツコツ

 公女様?他に誰か居るの?

 許可を得ないで入ってきたけど、看護婦さんとかかな。いや、でもマリアって。

 ぐるぐると考えを巡らせていると、足音が私のすぐ近くで止まった。

 気配から、私の様子を覗き込んでいるのが分かった。

「公女様、お目覚めではありませんか。今日で三日目です」

 やはり私を公女様と呼んでいる。というか三日目?私は丸二日は眠っていたのか。

 このまま寝たふりを続けようか悩んでいると、マリアという女の口調が変わった。

「っは。薄気味悪い髪色。まるで呪いね」

 え?

「悪女が。なんでこんな女が皇太子殿下と…」

 私が悪女?皇太子殿下?なぜこのマリアという女性に恨まれているの?

 突然向けられた敵意に、心臓の鼓動が早くなる。

 そんな私を他所に、マリアはガサゴソと部屋を物色し始めたのが物音で分かった。

 そしてマリアは、ジャラジャラと音のなる物を、何かに詰め込んだようだ。

 一通りの作業を終えると、「はあ」とため息をつきながら、私の首を持ち上げ、やや乱暴に右側に向きを変えてくれた。

 そのときうっすらと目を開けると、女がメイド服を着ていることは分かった。

 エプロンのポケットがいびつな形に膨らんでいたので、そこにジャラジャラとした何かを入れたのだろう。

 窃盗だと直感した。

 ポケットに入れた時点で、他人の財物を自己の占有下に置いたとみなされ、窃盗の既遂となる。

 しかし、被害者は誰?

 あれはおそらく貴金属類だろうけど、私の物ではない。

 そんなことを考えていたら、マリアは部屋から出ていってしまった。

 私は、右腰を押さえながら、浅く呼吸をし、ゆっくりと起き上がった。

 どみらにしても、この負傷した身体では、窃盗犯を取り押さえることは出来そうにない。

「ふう」

 何とかベッドに腰かけ、部屋の中を見渡した。

 部屋と呼ぶには、いささか広すぎる気もする。

「署の道場よりも広い」

 床一面には、高そうなペルシャ絨毯が敷き詰められていて、テーブル、ソファー、椅子、ドレッサー等、全ての家具に華やかな金色の装飾が施されている。

 そして何より、今私が座っているベッドがとんでもなく豪華だ。

 キングサイズは優に越えた大きさで、四本のきらびやかな柱で囲まれ、プリンセスでも隠れていそうな繊細なレースのカーテンが束ねられている。

 病院じゃない...よね。

 華やかな装飾とは裏腹に、薄暗くだだっ広い部屋に漂う空気は、シンとして寂しげだった。

 私はゆっくりと立ち上がり、ドレッサーの横に立て掛けられた大きな鏡の前に立ち驚愕した。

「え?」

 そこに立っていたのは、私ではない。

 明らかに異国の少女だった。

 私よりも一回り小さい華奢な体つきで、白く滑らかな肌にはシミひとつ無い。

 黒く艶やかな髪の毛は、なだらかなウェーブを描き、長いまつ毛の奥には、深い藍色の瞳が宝石のように輝いている。

 こんなに美しい人は、初めて見る。

 あまりに浮世絵離れした容姿に、私はしばらく目を離せないでいた。

「違う。知ってる」

 唐突に気がついた。

 髪の色も、瞳の色も違うが、この子は目が覚める前に出会った、あの少女だ。

 夢とは違う、リアルな経験として彼女とのやり取りが蘇ってきた。

「どういうこと?私は死んで…あの子は?ここは、あの子の部屋?」

 部屋を再び見渡すと、大きな肖像画を見つけた。

 腰を押さえながら、ゆっくりとその肖像画に近づくと、あの少女と見知らぬ男性が描かれている。

 男性は、かなり若いが父親だろうか。

 レイモンド・ハイリン・マレ公爵 4世

 マレ公爵?なぜか読める。

「この子は、エイヴィル・デ・マレ...」

 ドクン

 突然、心臓が大きく鳴った。

 そう、この少女はエイヴィル。

 二日前、誰かに殺された。



 パタパタと走り回る足音が聞こえる。

 物音に気が付き、目を開けると、ちょうど誰かに抱き上げられるところだった。

「うへ?っああっ痛いっ」

 ぐんと、お姫様抱っこするように持ち上げられ、腰に激痛が走る。

 どうやら私は、肖像画の前で気を失ったらしい。

 ちょっとした騒ぎになっているようだ。

「申し訳ありません、公女様。ベッドにお運びするまでの間、ご無礼をお許し下さい」

 鼻先ほどの距離で、私に謝罪をする見たこともない青年。

「え?」

 その距離と、青年のあまりの美しさに、思わず息を止めた。

 まだ十代だろうか。肌艶が良く、健康的だ。

 下から見上げる首筋と喉仏には、どことなく幼さが残っている。

 高い鼻にシャープな顎、眉間に薄くシワを寄せ、真っ直ぐ前を見つめる瞳はエメラルドの様な深い緑色をしている。

 その緑を引き立てるかの様に、髪の毛は赤みを帯びている。

 きれいにパーマがかった髪はかき上げられていて、形の良いおでこをさらけ出している。

 そんな絶世のイケメンのおでこに、荒々しい傷跡が一本走っていることに気がついた。

 この人は毛を上げて、わざわざこの傷跡を見せているのだろうか。

 傷もワイルドで良いけど、絶対に前髪を下ろしたほうが素敵なのに。

 そんな事を考えていると、ベッドに優しく降ろされた。

「先の戦争で負傷したものです。お見苦しくて申し訳ありません」

 青年は、ベッドに座った私の目の前で、片膝をついて頭を下げた。

 紺色のマントを左肩に掛け、きらびやかな勲章が胸に沢山ついている。

 中世の騎士の様な服装が、とても良く似合っている。

「い、いえ。ジロジロと見てしまって、申し訳ありませんでした」

 ガシャーン

 グワングワングワン

 誰かが落としたグラスやトレーが大きな音を立て、思わずビクリと反応してしまった。

「こ…公女様?」

 青年の後ろに集まっている、メイド服を着た女性陣や、執事の様な年配の男性の顔がみるみる青くなる。

「公女様が謝罪している…」

 ゲテモノを無理やり食べさせられているかのような彼等の表情を見て、エイヴィルという女性がどんな人物だったのか、何となく察した。

 騎士服の男はというと、無表情のまま完全に固まっている。

「とにかく主治医を連れてきてくれ。公女様がお目覚めだ」

 執事のような男が指示を出し、メイド達がパタパタとかけていく。

 その中に、金属音を立てる者は居ない。

 さっきのマリアというメイドは、この中には居なさそうだ。

 いや、既に贓物は何処かに隠したか。

   ※贓物(ぞうぶつ)…犯罪行為によって手に入れた物品。贓品(ぞうひん)。

「あの、カーテンを開けてもらっても良いですか?」

 目の前で固まってる青年に声を掛ける。

 青年は無表情のまま「承知いたしました」と答え、カーテンの方へ向かった。

 ヒラリとマントをなびかせて歩く姿を、つい目で追ってしまう。

 スラリとしてるのに、私を支える腕は硬く鍛えられていた。

 あんな素敵な人にお姫様抱っこされたなんて…

 一人で赤面していると、勢いよくカーテンが開けられ、強い光が目に飛び込んできた。

「わっ」

 顔を両手で覆い、思わず下を向く。

 すると、誰かが優しく肩に手を乗せてきた。

「カーライル卿、そんな力任せにカーテンを引いては、公女様の目を痛めます」

 耳元で聞こえる、優しく低い声に思わずピクリと反応してしまう。

「申し訳ありません!公女様」

 騎士服の青年は、カーライル卿と呼ばれているようだ。

 目は開けられないが、シャランという音からして、恐らくその場に片膝をついて私に謝罪をしているのだろう。

 どこの国にも、バカ真面目な男子は居るのね。

 嫌いじゃないけど。

「公女様、ゆっくりと目を開けてくださって結構ですよ。さあ」

 恐る恐る目を開けると、新たなイケメンと目が合った。

 ベージュ色の長い髪の毛を後ろでゆるく束ね、長いまつげを揺らしてニッコリと微笑むその男性は、私の肩からスルリと髪の毛を一束手に取った。

「えっ」

 マジマジと私の黒い髪の毛を観察する瞳は真剣で、キレイな金色をしている。

 私より年上だろう。

 大人で、聡明な雰囲気を醸し出している。

 白いシャツの襟元に、朱色のスカーフを宝石があしらわれたブローチで留めている。

 繊細な刺繍が施されたベストの上に、白衣を羽織っているから、さっき呼ばれたお医者さんなんだろう。

 筋の通った鼻に落ちるまつ毛の影、薄く艷やかな唇。

 ふっくらとした涙袋には、ホクロが一つある。

 むせ返るような色気に、完全にあてられてしまった。

 耳が赤くなっているのが自分でも分かり、更に恥ずかしくなる。

 不意に、金色の瞳が自分に向けられた。

「はいっ」

 じっと私の目を見つめ、ゆっくりと近づいて来る。

 自分の心臓の音がうるさい。

「…黒く染まってますね」

 男がつぶやく。

「え?あ、髪の毛…」

「はい。髪だけでなく、瞳の色も。公女様の水色の瞳に、まるで黒色のインクを垂らしたかのように、濃紺に染まっています。視力はいかがですか」

「あ、問題ありません。見えています」

 そう。私が会った少女は、ピンク色の髪の毛に水色の瞳だった。その身体に私が入った影響なのだろうか。

 この身体がエイヴィルのものだと自覚した瞬間から、借り物ではなく、融合に近い感覚に変わっている。

「やはり毒の影響でしょうか」

「え?毒、ですか?」

「はい。公女様の身体から、毒物が検出されました。詳しい成分は 不明ですが、その影響が考えられます」

 この腰の傷だけでなく、毒まで…犯人の強い殺意を感じる。

 涙をギリギリまで溜めながら背筋を伸ばす、エイヴィルの顔が頭に浮かんだ。

 大丈夫だよ。

 私に任せて。

 この髪色は、毒の影響ということにしたほうが、説明が付きそうだ。

 ついでに…

「実は、記憶を失ってしまったようです。私がエイヴィル・デ・マレであるということ。二日前に何者かに殺されかけたこと。それ以外、何も分からないのです」

「なんですって?ここがレミラン帝国だということは分かりますか?」

「申し訳ありません。分かりません」

「分からない…いや…公女様が謝罪のお言葉を!?」

 その反応は、さっき見ましたけど。

 なんの手がかりもない状況では、記憶喪失ということにしておいたほうが良いだろう。


 私、水野ひかりは、殉職した。

 そしてエイヴィルに出会い、捜査を依頼された。

 今は、そのことだけに集中しよう。

 少しでも後ろを振り返ると、不安で押し潰されてしまうことが分かったから。

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